フラフラしなさい

限界領域でフラフラするのが理想ってことです。
何のことかよく分からないでしょう。

有限な時間の中で
最大限の成果を出すためには
一体どうしたら良いのか?
とか
パフォーマンスを伸ばすには
一体どうしたら良いのか?
というお話しです。

最初にお断りしておきますが
「分かっている」と「できる」は別です。

なので、このブログで偉そうなことを書いていますが
何事においても完璧にできるわけではありません。
でも、ある程度の実体験があるから
自信を持って書いています。

というか、常識的な内容ですが。

ちなみに
本質的なセオリーは
意外なほど異なる分野においても共通です。

理想は
限界ギリギリのパフォーマンスを発揮することです。

そして、それを繰り返していけば
パフォーマンス自体が向上していきます。

しかし、一番の問題点は
限界は目に見えない
ということです。

果たして自分はどこまでいけるのか
それはもう、色んな意味でですが
そもそもそれが分からない。

なので、何をどこまでやったらいいのか分からない。

「分からない」
という感覚は、恐怖というか不安に結びつくので
その領域には近づきたくなかったりします。

そもそも勇気が要りますね。

なので、多くは限界よりもかなり低いところで
足を止めます。

もちろん、限界から遠い領域では
いくら頑張ってもパフォーマンスは向上しません。

それはスポーツのトレーニングと同様です。

ちなみに
トレーニングの主な目的というか効用は二つあります。

一つは限界を押し上げること。

もう一つは
何度も繰り返すことで
考えずともできるようになること。

いずれも限界点を引き上げるために必要なことです。

さて
で、限界を引き上げるためには
限界点を知らなければなりません。

そのためには
一度限界を超えてみる必要があります。
それしかありません。

で、そこから加減していって
「あぁ、この辺が限界なんだな」
と分かったら調整して

限界領域あたりをフラフラしながら継続する
これです。

レーシングマシンをセッティングする際の方法も
似たようなアプローチです。

ちなみに、夢工房に良く来てくれる
元世界GPライダーの上田昇さんから
レースの時の限界点の探り方の一例を聞いたことがあります。

世界GPをラウンドしていると
初めて走るサーキットもあるわけで

勝負の決め手となりがちな
ストレートから第1コーナーの進入など
どこまでブレーキを我慢して突っ込めるかを
真っ先に知る必要があります。

そんな時は決勝前の練習走行時に
ブレーキングの開始ポイントを思い切り奥にとって
あえてオーバーランしてしまうそうです。

で、「あぁ、ここまでは行けないんだな」
と理解して、そこから逆算で最適化していくとのこと。

…言うのは簡単ですが
こりゃ、勇気要りますね。

でもほら、セオリーは一緒なのですよ。

上田さんが世界GPを走っていたときのヘルメットを頂きました
1992年シーズンの時のものですね ウィキペディアより

とはいえ、このご時世
限界点まで近づくようなことは
「ブラック」とか「ハラスメント」とか
そういう分類をされがちです。

ただ、自分で好き好んでやる分には
この限りでは無い。

なので、この先
自発的に動く者と
外発的動機で動く者の差が
もの凄く大きくなるはずです。

だからこそ
好きなことを全力でできる環境が重要になってくるのです。

差別化に価値を見出すということ

つまり「違い」ということですが。

違っているだけでは価値にはならない。
そこには優位性が必要。

概念的には、「優位性」を構成するものの一つに
「違い」があり、それが必要ということ。
なので、優位性のための違いと言うべきですね。

ところが
先の見えない世の中になると
皆が不安な気持ちになるわけで

そういった状態だとリスク回避で妥協したり
同じようなものを求める傾向になります。

違っていることを考えたりするのは面倒だし
それをやったところでうまくいく保証は無いし

誰かが言う、いわゆるセオリー的なものに従っちゃうのが
面倒が無くて確実な気がしますね。

果たしてそれは
リスク回避になっているのでしょうか?
その辺を考えてみましょう。

学校では
「皆同じようにできるようになりなさい」
というやり方です。

そこで
「皆と同じじゃないと不安」
という人間を育てています。

それは学校だけに限らず
社会の傾向だったりするでしょうし
家庭でも、それを望んでいたりするかもしれません。

そこに先の見えない未来への不安がブーストを掛けます。

「いやいや、そうじゃなくて
基本的なことは、皆同じように知っていないと…」
それはそうです。
義務教育では、そういう風にやる必要があるのかもしれません。

でも、義務教育課程を過ぎてからも
そのやり方が固定されているなら
学校を出てからも同じように義務的にやるでしょう。

結局、同じ「型」しか知らなければ
同じようにしかできない。

でも
「基本的なことをしっかり理解したら
その先の応用だってできるのだから」
というのであれば同意できません。

応用というのは
単に「難易度が高い問題」ではなく
現実社会への適用です。

学問レベルの「知る」だけでなく
実際に「やる」ということです。
この二つは大違いです。

大学を出たら社会で仕事をするわけで
そのために必要な準備をする必要があります。

最初は「型」通りでも良いですが
型を破り、独自性を追求する経験も必要でしょう。

皆と同じことをしたい人間が社会に出て
ものを作る仕事をしたら
優位性が無い製品になるのは当然でしょう。

作ったものは、作った人以上にはなりませんから。

そして
優位性の無い製品をお客さんに買って欲しい
というのは無理な話です。

さてさて
あなたはどうしたいですか?

方や、先の見えない状態で
差別化、優位性を求めてチャレンジする

一方は、可能な限りリスクを排除して
周囲の流れに乗る

いずれも保証なんてありません。
自分次第ですから。

チームの力

最近気になっているのは…

世の傾向が個人主義になれば
多くの事を個人の力でやるわけで

極端な話
できることの限界は
個人の力で可能な事になる
ということ。

悩みとかストレスとかの原因は
大抵は人間関係です。

個人主義になれば
人間関係の面倒が無くなって
その辺の負荷は減るのですよね。

でも
組織で仕事をしていても
中身が個人主義だったら
チームのパフォーマンスは低く
組織としてできることは小さい。

それが個人主義の代償です。

超人的なトップがいて
全てを一人で決めて
トップダウンで大勢の優秀な兵隊に落とし込む

そんなやり方ができれば
そのトップがいるうちは良いかもしれません。

でも、日本人には合っていない気がします。

チームの存在理由は
個人ではできない事を集団の力でやること。

組織力の源泉は
スピードとパワーとフレキシビリティ
…と思っているのですが、どうでしょう?
あとは相互の信頼関係ですかね。

だとすると
密に直接的なコミュニケーションを取るのが一番です。
メールやネットミーティングより
速く大量の意思の伝達ができますから。

テクノロジーは便利で役に立ちます。
正確で大量の情報伝達などには向いていますね。

でも、完全な依存は危険で
シーンに合わせた使い分けや併用は大事です。

「あうんの呼吸」なんて
過去のものになっている感がありますが
実は、それができれば最強でしょう。

世の中便利になって
個人でも色々できるようになってきましたが
それでもチームじゃないとできない事はあるわけで
というか、実は世の中そんな事ばかり。

テクノロジーは大事ですが
同時に、そういった基本的なことも大事にしていきたい。

コミュニケーション能力云々と言われますが
そんなものは
高い目標に向かうパワフルなチームに身を置いて
実践で必要とされる環境に曝されれば
手に入るのは当然で

むしろ、それが無い環境で「何とかせい!」
というのは無理な話だと思いませんか?

本当に必要だと思えるのなら
手に入るのですよ。