技術との付き合い方

「技術」は、そもそもの太古の昔は存在せず
何らかの目的を達するために生まれたわけで
「手段」に過ぎない…

なんて言ったら軽く見過ぎているようだけど
実際その通りです。

要は、ある手段を達成することができるのなら
どんな技術でも良いわけです。

もちろん、高度な目的を達するためには
高度な技術が必要なわけで
そういった経緯で技術は発達してきました。

ちょっと厄介なのは
理系人間の我々は
「技術」が好きなわけで

何かをやるときに
ついつい技術の側から
全体を構成したくなっちゃうのです。

つまり、手段を先に決めがち。

細かいところからやろうとするのは
学校教育の弊害でもあるとは思いますが

手段を先に決めると
それによって為されるゴールが制限されちゃって

ヘタすると目的が手段にコントロールされる
なんてことも起きて

それではまさに本末転倒。

技術の進歩は
実現手段は置いておいて
高いゴールを設定して
「これ、なんとかならねぇかな」
というところから生まれます。

ゴール到達のモチベーションが高ければ
何がなんでも手段を生み出そうとするでしょう。

これに対して
楽をすることがゴールだったりすると…

目標(形上のものであって、すでにゴールではない)を設定して
実現手段は、できるだけ労力が必要無いことを選択する(むしろこっちがゴールだから)けど
無理そうなら目標を手段に合わせて下げちゃったりして
一体、何のために何をやっているのやら…
という状態になります。

ヘタすれば
「それは不可能である」
ということになれば
それこそやる必要が無くなるので
最高に楽になる。

しかもこのロジック
意外なほど蔓延していると思います。

まぁつまり
技術と付き合っていくなら
好きなことに熱中するようなやり方をしないと
ちょっとうまくいきそうもないわけです。

これ、知識とか知能とかじゃなくて
心の問題でしょう?

そう思いませんか?