教えれば教えるほど…4

新入生がやってくるシーズンになりました。
早くも夢工房には1年生達がやってきて、見学をしたり先輩達の話を聞いたりしてます。
そこで多くの1年生が聞いてくるお決まりのセリフ、それは…

「活動時間は何時から何時までですか?」

これは、何時までいればいいのか?ということです。
もちろん「その時間が長かったらいやだなぁ」ということでしょう。

自分が好きなことをやるのに、できるだけやりたくない??
これ、「やる」と「やらされる」の区別がついていないのでしょうか。
でしょうね。

自分が好きなことをやらされたい?
自分の好きなことすら「やらされるものである」という価値観なのかな。
冷静に考えると頭がグルグルしそうです。

これが言ってやらせる教育の結果だと思います。
10年前にはあまりそういう感じでは無かった気がします。
20年前には全くと言って良いほど無かったかな。

これは、教育とは「言って」「やらせる」ものである、という構造の行き詰まり…というか、行き詰まりの予兆である気がするわけですが、気のせいでしょうか。
その行き詰まりの原因は現状の「教え方」の構造にあるのではないか?というのがこのシリーズで言いたかったことです。

でも、そういうのが上手にできちゃう人もいるわけで。
それはそれで良いのかもしれません。
良いのか??

しかし、やらせてやらせてやらせまくったら、大抵は嫌になりそうなものですが、他に選択肢が無く、従うしかないというのを繰り返した結果、自由な環境で好きなようにやるようなことが苦手になる、というか、できなくなります。

さてさて、そもそも教育のゴールは何なのでしょう?

教育がシステムとして提供されるのは目的があるからですね。
大抵は国家の必要性に応じた方針とかでしょうか。

でも極論すると、本人が生きる力、そのための能力を手に入れることだと思っています。
「能力」とか言うと手段的で限定されすぎているのかもしれませんが、ここで言いたいのは広範なことなので、ぶっちゃけ何でも良いのです。

もちろん人は一人では生きられないわけで、そのためには世のため人のための価値を生み出し、必要とされる必要があります。
そのための能力を手に入れることが、生きる力を手に入れることでもあります。
他から必要とされるというのは幸福なことです。

上記の太字のどちらが手段でどちらが目的かというのが少々曖昧ですが、それらは相互に結びついていて一方を外すわけにはいかないでしょうから、この際細かいことは言っても仕方ない気がします。

それらを手に入れるための仕組みが学校で、そこには継続するためのモチベーションとそのための仕組みが必要です。

従来の、というか今の「言ってやらせる」やり方は、トップダウン型で、上からの指示に従って末端がやるべき作業的な業務を全うするために必要なスキルを獲得する方法です。
よって末端は、その目的とか手段とか、根本的というか本質的なところは考える必要は無いし、そもそもそんな機会はありません。

なので、そういったやり方でトレーニングされると、受け身で求められる最低限のことをやるようになるし、加えて目的とか手段とかの戦略的な考え方ができなくなります。

その状態から脱出したいというモチベーションというか駆動力を持っていれば、いずれは何とかなるのかもしれません。
けど、そういった希望を持てなければ何も変わらないでしょう。

今までは、そんなのは個人の問題だという話で済んでいたのかもしれないけど、少子高齢化ともなると話は別で、いかに駆動力を持った「やりたい者」を増やしていくかが重要です。
それは本人の幸福のためでも社会のためでもある。

そのためには、現状のトップダウン型をボトムアップ型に変えて、自分から進んで考えたくなる、やりたくなるようになっていく必要があります。

ただ、現状の教育システムの構造は、きっと文科相がらみのルールとかあるでしょうし、学校という大きな組織はそう簡単に大きく舵を切ることは難しいでしょう。
それに私が好き勝手に偉そうに言っていることが正解という保証もありません。
そもそもどこにも「正解」も「保証」も無いのですけどね。

しかし、やらねば!
現状で満足いっていないなら、そこにはチャレンジする必要があるのです。

好きなことを一所懸命やれば、こんなに面白いことになるよ!
ってのを皆に見せる必要があります。
それが夢工房のミッション。
やればきっと見えるものがあるはず。

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