成長の難しさ

成長の過程において
障害とか困難、失敗などは
あった方が良いのか
無い方が良いのか

いやー、これは結構難しい問題…
でもなくて

障害とか失敗とかは無いとダメ。
成長できないから。

でも、皮肉なことに我々は
本能的にそれらを回避しようとしてしまう。

「本能的に」
ということは
何も考えなければそうするし
繰り返せば習慣になる
ということ。

しかも、それを意識すらせずに行動している。

逆に
考えていれば
それらを成長に利用できるのだけど

理由も無く困難な方に向かう
なんてのは結構難しいものです。

なので、それらに
ぶち当たったり乗り越えたりしたくなる
理由が要ります。

どうしても手に入れたくなるゴールです。

と、ここまで来ると
こりゃ難しい問題だぞ
と感じます。

どういうことかというと

このご時世
そんなゴールは設定できるのか?
ということです。

小さいことだけど結構楽しめたりするもの
そういうものが世の中には溢れています。

どうしても手に入れたくなる
魅力の大きなゴールを手に入れるには

大きな労力
つまりリスクが必要になります。

そして皮肉なことに
人は成功よりも失敗に対して大きく反応してしまう。

失敗の方が強く印象に残るのであれば
チャレンジするときに問題になります。

「どうせうまくいかない」
となりがちだし

失敗するくらいなら
やらない方が良い
とか
この小さいヤツで満足しておこう
とかなりがちです。

そして価値は最小化していく。

一般的には。

さて
何が言いたいかというと

魅力的な大きなゴールを設定して
そのために頑張れるヤツはいるのです。

現にリスクを払いながら
夢工房でやっているような活動をしていたり
スポーツで頑張っている学生は世界中にいます。

そういう連中は一体何なのでしょうね。
彼らはどうしてそういうことができるのでしょう。

恐らく自分でもよく分からないんじゃないかな。

現に行動している彼らに対して疑問を持つことは少ないのですが
そういう連中を増やしていくにはどうしたら良いのでしょうね。

もちろん自発的に
です。

一つ分かっていることは
どうやら我が国においては
今のような社会環境とか
教育のシステムでは無理っぽいぞ
ということです。

全員を…なんてのは無理でしょうけど
もうちょっと増やしたりはできるでしょう。

せめて、全体の2割が大きな夢を持ってくれたら
世の中が変わります。

うーむ
これはとても興味深くて
価値ある問題かもしれない。

現時点で明確なことは
これは知識とか知能で何とかなる問題ではない
ということ。

心の問題でしょう。

行動できない理由 勇気の根源と結果

「分からない」
とか
「できない」
と言った場合
考え込んじゃったりしますか?

そういった場合
「分からないからできない」
と理由付けされたりします。

でも
考えているだけでは何も起きませんから
分からない状態は分からないままです。

悩んで行動できないなら
悩み続けるしかなくなります。

さぁこれ、どうするんだ?
というのが今回のお話し。

「分からないから行動できない」
とは言うものの
アイデアはゼロではないはず。

間違えているかもしれない
とか
あまり効果的ではないかもしれない
というアイデアはあったりするでしょう。

でも、完璧じゃないから、それはやりたくない?

悩み続けて時間を使うと…
つまり、行動しないと
どんな良いことが起きるでしょうか?

大抵は何も無いどころか
どんどん良くない状況に変わっていきます。

この状態のまずいところは
悩んでいるときって
何もしていないから何も起きていないのですが
自分は大層考えているので
何かをやっている気になっていることです。

負荷が高い割りには
何も起きない。

対して
行動すると必ず何かしら見えるものがあります。

仮にそれがイマイチなアイデアであっても
イマイチな理由が分かったりします。

それによって前に進むことができます。

でも、イマイチなアイデアで失敗したくないから
考えちゃうんでしょうね。
分かります。

でも、今までそのやり方でうまくいったでしょうか?
恐らくうまくはいかなかったでしょう。

だったら、そのやり方を変えない限りは
結果は変わりません。

さて、なぜ行動できないかというと
勇気が出ないから
というのが大抵の場合の理由です。

この場合、「面倒だから」というのは論外。

勇気を発動する対象は
何かに対する恐怖です。

これに打ち勝つ必要があるわけです。
そうしないと行動に繋がらない。

多くの場合、その恐怖は
何かを失うことに対する恐怖に根付いています。

それにとらわれているから行動できない。

恐怖の対象となりそうなものは何でしょう?

分かりやすいところでは
地位とか財産とか名誉とか?
まぁ、それに類するものですかね。

肉体的なものだったり
精神的なものだったり
するでしょうけど。

まぁ結局は
トレードオフなのですよ。

悩む相手となる成果が欲しいのか
それとも
今持っている何かを失うのを避けたいのか

どちらかしか取れない
と思って決断してみれば良いのですよ。

どうせ若いうちなんて
「失う」とは言っても大したものではないはずだし
そういったものは
成長のための投資ですから。

やらないと分からないことを得るための授業料
だと思ってやってみましょう。

それができる自分になるだけでも
変化できたということです。
すなわち成長です。

そもそも、勇気が必要な行動なんてのは
他人が真似しにくいことですから
それだけで価値となりえます。

それで得られることは
想像以上に大きいですよ。

気付くのは
ずっと先になるかもしれませんけどね

ある日、圧倒的な価値となっている可能性大です。

ま、やらなきゃ今のままですけどね。
どちらが良いですか?

お勉強のお話し

学校では色々お勉強するわけですが…

義務教育の時の内容って
国語や算数、理科などにしても
すぐ役に立ちますよね。

本が読めるようになったり
八百屋さんでお買い物ができるようになったり
自然現象が理解できて、少々利用できるようになったり

いずれも即効性のある内容だったりするわけです。
まぁ、義務教育ですから
そういうものでしょう。

対して
大学の勉強はどうでしょう?

難しい理論とか公式とか
覚えられないと試験で点数が取れなくて留年するとか
そういった問題はあるものの

実生活ではほとんど役に立ちません。

ヘタすると、卒業するまで必要無い内容だったり
一生使わない内容だったりもします。

さらに、一体何の役に立つのかすら分からなかったりもします。

教員がこんなこと言ったら怒られるかもしれませんが
そういうものができるようになるモチベーションの源泉が無いのですよね。

あるとすれば
留年したくない
とかのネガティブ方向の動機です。

これ、どうなんだ?と思いませんか?

やはり、好きな分野を学ぶために勉強するのですから
知ったことをすぐ実践できれば楽しくなるし
楽しいことなら当然学習効果は高いのです。
実践を伴うことであれば、忘れることもありません。

凄く当然のことなのですが実際はそうはならず
我が国の教育はこれまで通り
逆方向に行こうとしている気がします。

これでいいのかなぁ
と思う反面

だからこそ夢工房は
為すべき事を為さねばならぬ
頑張らんとな
と思うのです。

我が東京電機大学は
「実学尊重」
ですので、まだマシなのでしょうけど
改善の余地はあるでしょうね。