自身のコントロール権を手に入れるために

人は何かを意識して行動する。

のですが、なかなか思った通りにはなりません。
頭では分かっているけど、なかなか思い通りにいかないってことは結構多い。
その辺のメカニズムがちょっと分かった気がしたのでご報告。

実は、意識より前に脳は反応しているそうです。
視覚やら何やら、外部からの入力に対して、意識の部分が認識して、行動を決定するより前に、です。

なんだそりゃ?
と思うかもしれませんが、実験するとそうなっているのですって。

なので、我々は意識によって行動を決定していると思っていますが、実はそれ以前に行動は決定されている。
何とも不思議です。

実はその部分が無意識によるものなのでしょうね。
習慣とか癖です。

なので、特に意識によって認識後の行動を決めない限りは無意識による自動操縦状態になるということです。

我々の行動は、全て自分で意識したとおりかというと決してそんなことはなく、実はほとんどの行動が無意識によるものです。

日常の行動のうち、どこでも良いので一部を切り取って、そこで何をしたかを考えてみましょう。
例えば「階段を上る」にしてみましょうか。

階段に歩いて接近するのですが、その時にどちらの足をどのように踏み出していくのかなんて意識しませんし、どちらの足からのどのように上っていくか、その時の腕の使い方や上体の角度とか、必要とされる数多くの動作の詳細まで意識しません。
でも何とかなっているでしょう?無意識でね。

これを朝起きてから家を出るまで、でも何でも良いのですが、他の行動に当てはめても同じように、ほとんどは無意識によるものです。

もちろんそこに意識を加えてやれば、変化させることはできるでしょう。
でも、意識しなければ自動操縦です。

では、その自動操縦になっている部分はどうにもならないのか?

そんなことはなくて、意識的に繰り返すことによって習慣として定着します。

しかしここで問題があります。

この無意識を改造したいと思ったとします。
で、どうしますか?

そのうちやろう
とか
あとでやろう
と思ったら負けです。
どうせやらないのですよ。
するともちろん結果は変わらない。

「そのうち」とか「あとで」でやれるなら、すでにやっているでしょう?
それができないから「現状」という結果があるわけです。

ではどうしましょう?

簡単です。
今すぐやる!
何度もやる!
です。
それが深層心理に定着するまで。

意識せずともできるようになるのがトレーニングです。
そう、トレーニングは意識よりも先に望む行動が発動するようになるためにやるのです。

最初は面倒だったり勇気が必要かもしれません。
でも、3週間もすれば意識せずとも自然にやるようになっています。
すると負荷はゼロになります。
そうなったら次の習慣作りをしましょう。
繰り返したら凄いことになりますよ!

原因を変えれば結果は変わるのです。

オタクの話

↑ChatGPTが想像するオタクの姿。へー。

最近ではあまり聞かなくなりましたね。
「オタク」というワード。

かつては強烈なアニメファンを指すワードとして、そこから様々なマニアを指す際にも使われてきました。

ただ、単なるマニアでは無く、一般的なというか、常識的な一線を越えたようなマニアっぷりを持つ人を指す場合が多いのではないかな。

「プロフェッショナル」は、その働きが多くに向けられる場合が多いですが、「オタク」は、価値観を共有できる少数が価値を発信する対象でしょう。

正直なところを言わせてもらうと、私はオタク的な気性を持つ人は嫌いではありません。
というか、むしろある種のリスペクトすら感じます。

それはなぜか?

彼らは常識的な一線を軽々越えてしまうパワーを持ち合わせているからです。
というか、人の目を気にしていない?
そんなことはないだろうけど、閾値のレベルが一般的じゃないのかな。

そもそもレースをやってるとか、かなりオタクっぽいんじゃないかと思うこともあります。
一般人の持つ価値観とはかけ離れた感性とか価値観とか、変な拘りとかを持っているのは間違いないでしょう。

もちろん他の分野でも、そういった気質を持っている人はいるでしょう。
そんな彼らに共通するのは、自分の好きなことのために、普通の人が捨てられない何かを軽々捨ててしまう潔さではないでしょうか。

それ、うまくいくためには必須だと思うのです。
何のために、それをどの程度の高いレベルまで高めるか。
ブチ抜けて極みに達すれば、「凄い人」と呼ばれるようになるのでしょうね。
ま、そんなものでしょう。

変わるものと変わらないもの

製造業は国内回帰するのか?
かつては工業大国でもあったアメリカが、まさにこの問題に直面しています。
果たして狙い通りに変貌を遂げることができるのか?
狙い通りにならないにしても、何かしらの変化は起きるわけで、どういった形に落ち着くのか、それにはどれだけの時間がかかるのか、壮大なチャレンジが行われようとしています。

アメリカも我が国も同様ですが、国内の製造拠点をより人件費の安い国外に移転すれば、企業の収益は増大して、消費者は安くて良いものを買えるようになります。

けど、それまで国内で製造に従事していた人は職を失うという事態になります。
アメリカの場合、年齢が低ければ、職業訓練を受けるなどしてIT系の職に就くなどして、むしろ収入が上がる例もあるようです。

が、そうでない場合も多いでしょう。
なにせ大規模な製造業には多くの人員を擁しますから、それだけの人口を吸収できる仕事が必要になるわけです。
サービス業やインフラ関係など、後は何でしょう。やはりアメリカと言えば農業でしょうか。でも、新規参入は難しそうですね。
もちろん仕事を得られない場合もあるでしょう。

対して我が国はどうなっているのでしょう?
今は過渡期なのか、それとも製造業からシフトした人の受け皿が十分にあるのか?
そもそも労働人口が不足しているから問題無い?
実感がなく、良く分かりません。
工場の海外からの呼び戻しも無くは無いようですが、こちらもあまり実感がありませんね。

そもそも、人件費を節約するために海外進出したわけで、製造を国内に戻したら単純に製品価格が上がってしまいます。
なので、むやみにそうすることもできないのでは?

それにしても、製造を海外に出してコスト低減して、会社は儲かるようになったのかもしれませんが、国民の日々の暮らしが総じて豊かになったようには感じません。
で、「暗黒の~年」とか言われているわけです。

さて、これから我が国も製造を国内に戻す方向に行くのでしょうか?
そうならないにしても、何かしらの変化が求められるでしょう。
恐らく想像よりも早く…と思っておいた方が良いです。
というのも、変化が求められてからアクションをしても、大抵はオロオロドタバタして、うまく対応できないだろうから。

いずれにせよ、かつて理想的だった状態があったとして、そこへ戻ろうとしても無駄です。

一度なくしたものは復活しないから。
技術や文化など総じてそんなものです。

やめてもまたやればいいじゃん
のようなことを考えているなら、それは大間違い。

明文化できるものはそのまま残せます。
でも、文章や音声、動画などの視覚情報で伝えられることには限界があります。
やらないと分からない経験知などは、無くなってしまったら、もう分からない。

航空産業などは分かりやすい例です。

戦後、日本は航空機の開発を禁じられたので、航空技術者がいなくなりました。
その後も防衛産業として、飛行機を作ったりやめたり。
やめる度に施設は失われて、人もいなくなります。
「またやればいいじゃん」で以前と同じように再スタートできるかというと、そんなに簡単ではないのです。

というわけで、今後の我が国に限らず、世界中が未知の未来に突入していくことになる気配があります。
そんな未来に恐怖したところで事態は好転しないわけで。
ではどうしましょう?

時代が変わって、必要な知識やスキルが変化しても、恒久的に求められるものはあります。

困難に立ち向かい
屈しない心
乗り越える心

そういったものの重要性は、いつも時代も変わらないでしょう。
何事も始まりは「心」からです。

できればそういったものを、楽しさとか好奇心を動機として構築していけるとハッピーですよね。
なので、今のうちに好きなこと、楽しそうなことでチャレンジしておくと良いと思います。
その経験は近い将来、きっと役に立ちます。