心配と信頼

人を心配するのって
どんなときですか?

色んなケースがあるでしょう
なので、一口には言えないかもしれません。

良くあるところでは
親が子を
先生が学生を
とかですね。

そういったケースでは

自分が望んでいる状態に相手がなってくれそうもない
とかでしょうか。

「相手のためを思って」
と口にしたりしますが…

それが本当に相手のためなのかどうかは
けっこう判断が難しかったりします。

なぜって
心配による行為が…面倒を見たりすることですが
それが自分の欲によるものだったりするからです。
自分の価値観を相手に押しつけようとしていたり。

あと、本質的な「心配」という感情では
そのままでは相手はダメだと思っているが
相手との関係上
放置するわけにはいかない
そういう状態では
相手を信用していない
ということもあるでしょう。
そもそも、相手を「ダメ」だと思っている前提があります。

大抵の場合は、意識的にダメだとは思っていなかったりしますが
そういうのもけっこう伝わってしまうものです。

「ダメ」だと思われている者が
何とかなろうとするかどうか

これはけっこう微妙なところで
人にもよるとは思います。

人によっては
ダメなんだから、やってもしょうがない
となるかもしれないし

そういう状態に我慢できないので
何とかしてやる!
となるかもしれない。

ネガティブ側の見方としては
こんなところでしょうか。

色々あるかもしれないけど
経験しながら学んでいくだろうから
コイツは結局大丈夫!

と思っていたら
本人の判断に任せて良いと思います。

でも、勇気要りますけどね。

色んなケースがあるでしょうけど
心配する・される
という関係では

経験がある者と無い者
という関係でしょうから

時として任せる
時として導く

その辺のサジ加減が大事で難しいところ。

何にせよ
手取り足取り教えてしまう
これは最悪。

言われたことをやるだけになるし
考えなくなるから。

いやー、教育は難しい。
というか
人間関係は難しいです。

正解は無いし、終わりも無い。

でも、だからこそ
面白かったりするのです。

仕事柄、そんなことも
しょっちゅう考えていたりします。