アウトプットを磨くということ

この場合のアウトプットは
言ったり
やったり
その他諸々全てです。

学校教育では
アウトプットの方法は
ペーパーテストがほとんどで
定型的な方法で善し悪しを測ります。

頭の中に入れること
に重きを置いていて
それを頭の外に出す
というところに重きを置いていません。

言われたことができる
決められたことができる

というのも大事かとは思います。

しかしそれは
社会に出たら最低限のことではないですか?

もちろん、最低限のことが凄くできても良いのでしょうけど。

でも
言われてもいないことができる
誰も決められないことができる

そういう人も必要です。
そしてそれは超重要。

なぜって
それが価値の本質だから。

一体誰がそれをやるのでしょう?

言われたことや決められたことをやりまくって
その先にいく人もいるでしょう。

ですが、心の構造が
受け止めて
インプットする
という風になっていたら
そこから変えるのは凄まじく難しいはずです。

なぜ難しいか?

それは、「思い」を
言葉や、その他の手段で
アウトプットする経験が少ないから。

恐らく今の教育機関では
そういった経験をするのは
極めて難しいのではないでしょうか。

そもそも学校での教育自体が
決められたことをやっている訳で

そこで学ぶ学生達も
決められたことを学んでいるだけです。

システム的に
伝えられたことを処理しているだけに過ぎない。

そこで自分の「思い」をアウトプットする必要は無いし
仮に、そうしたところで評価はされません。

むしろ、そんなところで目立ってしまったら
面倒や厄介のタネになる可能性がある。

そういうリスクの一端として
捉えられているのではないでしょうか。

もっとも、そんなことを意識しているわけではなく
もはや無意識に反応しているだけでしょう。

「思い」に価値の根源があることは
恐らく多くの人が感じていることだとは思います。

でも、そこは
正解とか不正解とかいう世界ではないので
定型的な学びができない。

批判されたり否定されたりする可能性がある上に
やりながら試行錯誤して磨いていく必要がある。

でも、だからこそ
各人それぞれの独自な価値
が生み出されるわけですが。

というわけで
そんな大変面倒で非効率的な世界でのリスクを取らず
言われたことや、あらかじめ決められたことにおいて
マイナスになることを避けることが得策
という姿勢になっているのではないかな。

それ「ゼロ」なんですけどね。

アウトプットを磨き
「思い」を価値あるものにしていく
というのは
生きる術を手に入れるということでもあります。

それを楽しみながら
トコトンやっていく

夢工房はそういうところです。