夢の無い国を変えるには

どうも最近、我が国は夢の無い国に成り果てている…とまで言うのはきっと言いすぎなのでしょうが、まんざら冗談とも言えない気もしていて、夢が無かったり、夢に向かうパワーが低下している気がするのですが、どうなのでしょう?

色々と良くなっていることもあるのですけどね、どうも心がワクワクしない。

それはなぜだ?ってのを解明したりするのは大事で、興味深いことかもしれません。
でも、その方向で大人数を何とか…みたいなことをするのは難しいというか、夢が無い人を何とかしようとしてもそれは無駄なのかもしれないわけなので、多少でも夢がある人の背中を押すのが良いような気もするのです。

止まっている大きな岩を転がすのは大変ですが、転がっている大岩を加速したり方向転換するのはそれほど難しくありませんから。

で、環境が変わってくれば、追従型の人も動く可能性もありますしね。

でも、ヘタすれば二極化を引き起こす元凶にもなる?
いやいや、現時点では余計なことを考えるのはやめましょう。
そもそも、私ごときがそんな大きなスケールのことに関与できるのかってのもありますし、アレもコレもとか、全員を、みたいなことをするとロクなことになりませんから。

そう、夢工房発で変えられるスケールで。でも、最大限のボリュームと熱量でスタートしたいな。
と、そんなことを考えています。

違いにこそ価値がある

今夜は、お師匠様の佐野先生とともに、現役学生や卒業生にお誕生日会を祝ってもらっちゃったりしたのですが…

彼らを見て思うのは、個性って大事だよなぁ
ってことです。
楽しいのはもちろん、単純に、そこには価値を感じられますもの。

対して、皆と違うことを恐れ
皆と同じようになろうとする
といった風潮もあるのが残念でなりません。

気持ちは分かるのですけどね。

ですが、これは恐ろしいことです。
違いにこそ価値があるのに
そんなことをしたら
無価値になってしまう。

何でも 違っていれば良いのかというと、そんなことは無いのですが、せめて自分が力を入れていることとか、勝負をかけることとか、そんなところには違いを作り出して欲しい。

だって、違いにこそ価値があるのですよ。
皆が同じように持っているものには価値が無いでしょう。
そんなことは皆分かっているはず。

というか、そんなことは子供でも分かっている
いや、子供の方が直感的に分かっているかもしれない。

でも、いつの間にか間違った価値観に改造されてしまうのですよね。

「学生の本分は勉強だ」
よく聞くセリフですが
これが「皆と同じように同じようなことをできなければならない」だとしたら、致命的です。

なんか歳をとるほどそういったことが見えてくる気がします。
それもまた興味深く面白いことです。

未来予測に思うこと

これから我々はどうなるのか?
そんなことを想像するのは楽しくないですか?

未来を想像しておけば、そのための準備をしておけたりしますから、色々メリットがありそうですものね。
というか、我々は未来のために学んだり準備したりして日々を過ごしているといっても過言ではないわけで、日々のこと、手元のことを頑張るのは重要ですが、それは全て未来に繋がることだってことは忘れてはいけません。

なので、ゴールだのなんだのをしきりに言っているわけです。
そういうのを戦略的思考といいます。

さて、その未来予測なのですが、それこそ人によって考え方やアプローチは様々なのですが、過去の事例を元に「今はこうだから、以前のようにこうなる可能性がある」のような考え方は有効な気がしますね。
ただ、それを考える上で、環境条件とかがどのように異なっているかなんてことも考慮に入れないとですが。

今回、ブログのネタにこんなことを選んだのは、以前担当していた授業のネタがたまたま目にとまってしまって、それを再整理したからなのです。

その授業は、新技術が登場する背景とか、技術が停滞する理由などを、紀元前3000年以上前から近代までの長きに渡って解説するものでした。

そういった授業なものだから、資料は年表のようになっているわけですよ。
昔々、いつごろこんなことが起きた、なんて感じに。

それを見ていると、あぁ、我々人類は、似たようなことを繰り返しながら発展してるんだなぁ…なんてことが分かるわけですが、そのうちハッとするのです。

「あれ?今のこの問題って、かつて通った道か!?」

となると、今現在問題と感じていることに対する解決法とか、それによって起きることって、ある程度分かっちゃう。

あと、その今現在の問題ってのも、原因が分かっているようで分かっていなかったりもするわけで、その辺はある程度見通せる気がします。

とか、そんな記事を書きながら
「そうだよなぁ、大事なのは年号を覚えることじゃなくて、この出来事の流れとか中身なんだよなぁ。で、その知識をどう使うかってのが最も重要だったんじゃないの?」
と思うのですよ。

そう、知識って道具なんですよね。
何のためにどう使うか、それによって何を起こすか。
それで意味や価値が決まるのですよ。

持ってるだけじゃ何も起きません。