二階に上げてハシゴを外し一階に火をつける

そんな感じの追い詰められた状態にして知恵を絞って成果を出す
そんな環境で成長させる
といったような意味です。

これ、昔のホンダでよく言われていたことです。
今も言われているのかな?
今じゃハラスメントとか言われちゃうのだろうか。

でも、開発の仕事に関わったら、多かれ少なかれそういった状況になるのではないかと思います。

ただこれは、「やらされる」という側だけで見るとハラスメント的かもしれませんが、その環境を作る人、つまり管理職側から見るとちょっと違ってきます。

二階に上げるのも、ハシゴを外すのも、火をつけるのも
すべて勇気が必要です。
相手を信じて任せる勇気です。
管理側には責任がありますからね。
任せるのは良いけど、できなかったらどうすんだ?って話です。

実はその辺を理解するまで随分時間がかかりました。
追い詰められると成長するのは分かっていましたが。

そうそう、昨日の投稿にあった
「部下に任せておけば驚くような成果を出すから」のようなことをいった人が…
ですが、出典が分かりました。
アメリカ陸軍のパットン将軍です。

正しくはこうでした。

“Never tell people how to do things. Tell them what to do and they will surprise you with their ingenuity.”
「人にやり方を教えるな。何をすべきかだけを伝えれば、彼らは驚くほどの創意工夫でやり遂げる。」

これはなかなか素敵な名言なのですが、「ホントか?」とも言いたくなります。
理想論だろ、と。

しかし
魅力的なゴールと期待に応える高いモチベーション、そして任せる者の勇気と覚悟、そして相互の信頼を前提としているなら分からなくもない。

夢工房のやり方は、そんなのが理想なのだけど、学校教育の現状から照らすと、どうも距離感がありますね。
そのギャップを埋めるのが一苦労なのですよ。
でも、そこが最も大事で最も面白いところなのかも。

失敗しないと成長できない

人が成長するには困難にぶち当たって
乗り越える必要がある

というのは散々ネタにしてきたことです。
まぁ、常識と言えば常識なのですが。

とはいえ
「知識や技術を得ることが成長だ」
と思っている者が多いのも事実。
特に成長過程の学生はそう思いがち。

知識や技術はもちろん重要です。

ですが、それを手に入れるのは
必要な道具を手に入れるようなもので
成長とイコールではありません。

「艱難汝を玉にす」
とも言いますね。

チャレンジすれば
艱難に遭遇するわけで
成長するには
自分から突っ込んでいって
「玉」になるしかないわけです。

なので
リスク回避志向が強かったりすると
大変もったいないことになります。

まぁ、若いうちなんて
そんなものですけどね。

なので、夢工房では
苦労しないように助けちゃう
とか
失敗しないようにやり方を教える
なんてことはしません。

さらに、失敗に対して
むやみに叱責するようなこともありません。
ベストを尽くして失敗したのであれば
そこから得られたことはあるはずですから。

学生がやることに対して
一々細かい指示を出して
失敗が起きないようにすれば
教員も楽なのですが
それでは彼らの成長は最低限になってしまいます。

それに
彼らのゴールは在学中には無くて
社会に出てからですから。

もちろん在学中に優勝!
ってなってくれれば
それは最高で
そこを目指して努力すべきです。

ベストを尽くす中で失敗しよう
絶対に成長するから!

正しいって何だ?

「何を測定するかが行動に影響する。
正しいものを測定しなければ、正しいことは行われない」

元世界銀行のエコノミスト
ジョゼフ・スティグリッツという人が
こんなことを言ったそうです。

ふむふむ、なるほど。

何かアレですね
「観測が結果に影響を与える」
ってヤツでしたっけ
量子力学の観測者効果ってのに似てますね。
いや、違うのか(笑)

量子力学、興味がある人は
調べてみると面白いかもしれません。
一見トンデモ理論のようですが
ちゃんとしたサイエンスです。

ま、それはそれとして

冒頭の言葉はもっともなのですが
正しさとは一体何だ
というのがそもそも難しいところかと。

正しいとか間違っているとか
科学的なことならともかく
多くは主観的な価値観によるもの
である場合が多いですよね。
というか、それがほとんど。

分かりやすいところで言うと
「テロリスト」
と呼ばれる人達がいますが

何も彼らは
「世界を地獄に叩き込んでやろう!」
なんてこれっぽっちも思っていなくて

むしろ自分達の価値観にのっとって
正しいと信じていることを
命がけでやっているわけですよ。

対立する価値観を持つ者からすれば
とんでもない悪党
ってことになるかもしれませんが
それは双方とも思っていること。

理屈はそういうことですね。

で、ですよ

「正しい」
を考える上で大事なのは
その対象の集団の範囲ってことなんでしょうね。

ビジネスとか
物質的な欲得ベースの
短期的な価値観では
必ず争いが起きるので

結局は
「多くにとって共通の価値があって、かつ持続可能なもの」
という感じになるのかな。

そういうのを共有して
うまいことやっていこうぜ
ということになるのでしょうけど…

いやぁ、こりゃ難しいですね。

聞くところによると
環境の厳しい国で争いが多いのは
少ないリソースを奪い合うことによって
生き残る必要が生じてしまうためだそうです。

水とか油とか鉱物とかですね。
それこそ住みやすい土地なんかも該当するでしょう。

日本の場合、自然災害が多いとはいうものの
自然が豊かなので
命をかけた奪い合いとかは
あまり発生しないわけですね。

で、そんなふうに
色んな基本的な条件が異なるところに住む者が
共通で持てる正しさって何だろうな。

なんてことを考えてました。

日本は日本で、持つべき正しさってあるわけで
それが道徳ってことなのでしょうね。
皆が気持ちよく生きられるように
って。