「教える」について

昔ながらの職人さんは
弟子に教えません。

技を盗む
という方法で技術を継承してきました。

この方法にはメリットもデメリットもあるでしょう。

メリットについては深読みすれば
いくらでもネタは出てきます。

これは思い込みとか勘違いかもしれませんが
結局は親方と同じ
もしくは親方より良いものができれば良いわけで
詳細な方法は問わない
というところがあるのではないかな
と思っています。

親方がいちいち教えていると
弟子は自ら考える必要は無く
言われた通りにしかできなくなる可能性があります。

デメリットは
分かりにくい
ってところでしょうか。

学校では
「こうやるんだよ」
と教えます。

で、それを覚えれば良い。

もちろん
この方法にもメリットとデメリットがあります。

簡単に知ることができる
というのは最大のメリットでしょう。

でもそれは
最大のデメリットでもあるのです。

自分の興味の有無にかかわらず
情報が提供される

よって、興味を持つ必要が無いのです。
言われたことをやれば良いのですから。

従順に従うことも求められます。
やることに対して疑いを持つのは悪い子で
従わなければ点数はもらえません。

これ
考えなくなる
ってことです。

「やれ」と言われてやるのだから
理由も目標も興味も無くて良い。
むしろそんなものは邪魔でしょう。

そんなやり方を
小学校から大学まで
16年間もやったら
それはもう、そのやり方から簡単には抜け出せないでしょう。

挙げ句の果てには
就活セミナーやらで
さらに言われたことをやる

これは本当に社会が求める教育なのでしょうか?

言われたこと疑問を持たずに
覚えたりやったりする
それが上手にできるのが理想の技術者?

そんなことはない。

この構造は
我々年長者が良かれと思って作ってきたわけですが…
いや、私は作ってはいませんが
現状を継続する片棒は担いでいますので
責任はあると思っています。

でも、この構造に従っているとマズイぞ
と気付いたとしたら
それを継続するか否かは本人の決定によります。

まぁ、これに関しては
誰が責任を取れるわけでもないのですが

このままじゃ行き詰まるのは確定していませんかね?
というのが今回言いたいこと。

どうするのが正解かなんて、未来のことは分かりませんが
自分で考えて、信じることを一所懸命やってみる
なんてのは、いつの世でも価値のあることです。