成功よりも失敗が重要なわけ

強くなること
賢くなること

よりも

倒れても
崩れても
そこから力強く立ち上がる

その方が重要です。

というのも
新たなチャレンジをすれば
当然失敗もするわけで

その度に強くなるなら
より大きなチャレンジができるようになるからです。
当然ですね。

失敗を避け続けると
失敗を避けることが目的になりがちです。

もし
失敗を避けながら
実力を付けて
いずれその時が来たら…
と思っているなら

残念でした。
恐らく「その時」は来ません。

理由は簡単で
失敗を避けることが目的化すると
それが習慣となります。

一度習慣になってしまうと
それは深層心理にセットされて
無意識下で自動発動します。
習慣とか癖というのはそういうものです。

無意識下にあるものは意識できないので
自覚できません。

まだあります。

失敗を避けるマインドは
否定を嫌います。

なので、評価者とのコミュニケーションが最低限になります。
自分から評価を求めることは無くなります。

すると
現状が分からず
どうしたら良いかも分かりません。

守りに入って
受け止めて
という消極的な姿勢で
我慢の連続になる。

その状態から脱出することは極めて困難でしょう。

なので恐らく
「その時」は来ません。

さてさて
では、どうしたら良いでしょう?

それは実にシンプルで
何度も言っているように
諦めたくない好きなことをやるしかない
そう思ってます。

それで失敗したらどうするの?
って?

いやいや
そう考えちゃうから困ったことになっちゃうのですよ。

教育ママの話

ずっと気になっていて記事にしたかったのですが
誤解を招きそうで躊躇していたことを今回のネタにしてみます。
これを書かないと次に進めない気がしたので。

今、下巻を読んでいるナシム・ニコラス・タレブの著作、「反脆弱性」(原題:Antifragile: Things That Gain from Disorder)にあった以下の内容がとても気になっています。
まさに日本における教育の危機の根底にあるのはこれではないかと思うのです。
タレブが書いているのだから、恐らく欧米先進国における共通の問題なのでしょう。

部分的に引用します。

かつて、生物学者で知識人のE・O・ウィルソンは、子どもの発達をいちばん阻害するのは何かと訊かれて、教育ママだと答えた。
彼はプロクルステスのベッドという概念こそ使わなかったが、見事に同じことを言い表わしていた。彼は、教育ママが子どもの本能的な生命愛を阻害していると訴える。
だが、問題はもっと根深い。教育ママは子どもの生活から試行錯誤や反脆さを取り除き、子どもを生きた世界から遠ざけ、(自分の思い描く)現実の地図どおりに動くオタクへと変えてしまう。優等生だけどどんくさいヤツ、ひと言でいえば、動きの遅いコンピューターだ。彼らは、あいまいさに対処する訓練も受けていない。

プロクルステスのベッド Wikipediaより

これ、簡単に言うと、いわゆる教育ママが我が子を心配して、自らの価値観と経験をベースに、子供に具体的な行動を指示したり制限したり強要することによって残念なことになっている、ということですね。

「教育ママ」とは言っていますが、別に性別は関係ないでしょう。
パパだって先生だってやってますもの。

ただ、昔はこういった「心配」という感情ベースでの教育は主に母親がしていて
父親は「そんなの放っておけ」「好きにやらせたらいい」みたいなケースが多かったのではないかと思います。
その両方があってバランスが取れていたのではないかな。
ま、家庭によるのでしょうけど。

ともかく
このようなケアというか指導というか
それらは我が子を守り導くという
愛情に端を発するのは間違いないでしょう。

学校の場合は、似たような動機があったり
業務上の都合があったり
そんな風にやっておけば無難だろう
というのがあるのかもしれません。

少なくとも
教育ママと同じようにやれば
教育ママからクレームは来ないでしょう。

良い学校に入れて
良い会社に入れて
安定した人生を歩ませたい

ということです。

そもそも
いわゆる「良い学校」や「良い会社」に入っただけで
安定できるのか
というのは大いに疑問ですが。
特にこれからの世の中では。

安定したら、それは幸福なのか?
というのもありますが
その辺は価値観の問題ですかね。

ともかく問題は
守れば守るほど弱くなってしまう
指示すればするほど考えられなくなってしまう

失敗させたくない
遠回りさせたくない
傷付いて欲しくない

という気持ちは理解できますが
それらは全て
成長するためには絶対に必要な経験です。

不安定から生まれるもの

安定していたら動機が無い
満足していたら動機が無い

何の動機?

端的に言うと
現状からの変化に対する動機です。

ちなみに
「安定した生活がしたい」
というのは
現在が特に不安定なわけでは無く
言ってみれば
現状よりちょっとリッチになって
今まで通り生活したい
みたいなニュアンスかと思っています。
恐らく、当たらずとも遠からずといったところでしょう。
なのでコイツは今回のお話しとは無関係とします。

さて、話を戻して…

現状から面白くするとか
向上するとか
改善するとか

とにかく
ポジティブ側に変化するためには動機が必要です。

それは
不安定で不十分な満足できない現状から変化したい
という願望でしょう。
その動機こそが行動の原動力となるわけです。

そういった願望によってテクノロジーやら文化やらが経済やらが
発展・成長してきたのが我が国の現状であって
成長がピークを打っちゃってる状態です。
言ってみれば満たされた状態。

そうなったら後は落ちるだけ
それが今。

いや、もう落ち始まってるか。

ともかく、皮肉なことに
そういうちょっとヤバイ状態になっている時
人は、それまでの発展・成長してきた状態のマインドを持っているわけで
下がっていく状態に、すぐには対応できません。

「茹でガエル」ってそういうものでしょう?

すぐには危機感を感じられない。
我々は変化を嫌う特性を持っていたりするのでなおさらです。

どの時点で危機感を実感して重い腰を上げるか?
ってのが気になるところではありますが

その「危機感」を感じるのは
現状に対してどのような評価をするか
ということにかかっているので
それこそ自分次第。

つまり自由です。

「危機感」を認識すれば
自分にとっては、その時点で
不安定というか
不十分な状態となるわけで

そうなってしまえば変化する動機が発生して
あとは行動するだけです。

今回、「危機感」というワードを使いましたが
「向上心」と読み替えてもらって良いと思います。

夢を思い描いて
ゴールを設定して
現状とのギャップを評価すれば
ハングリーなマインドを獲得することが可能

…なはず。

そんなの簡単にできたら苦労しないよ
って?

まぁ、そうですね。
でも、それこそ自由なのですけどね。

自分のマインドを自由な状態にするって
意外と難しいことなんだよなぁ
なんて、改めて思ったり。