特等席は空席だ

学校教育では
問題が与えられる
条件も与えられる
解くべき範囲も決まっている
そして、ほとんどの場合、正解も存在して
リスクも排除されている。

何のために?
とか
なぜ?
は無くて
正解・不正解のみが存在する。

そんなプロセスしか経験しておらず
そんな環境で過ごしていれば

ゼロヒャク思考とか
正解を追求してチャレンジできないとか
そういう極端なことになってしまうのは当然かもしれません。

そんな環境から社会に出ると…

正解はありません。
ヘタすりゃ問題も明確になっていません。
それらは自分で想像(創造)して追求するものだから。
でも、責任はあります。

今まで
主体性は必要無く
環境から様々なリスクを排除されて
責任も問われず
メンタルタフネスが向上する理由も無いとしたら

ハラスメントなどに敏感になるとか
「ブラック企業」とかのワードがが容易に出てくるとか
その辺も理解できます。

自分を守ることが行動の中心になるのは当然かもしれません。

しかし!

自分を守る
これは、自分以外
誰も喜びません。
家族は別でしょうけど。

つまり
価値が最小限になるのです。
そこにゴールをセットするのはいかがなものか。

この風潮は必ず行き詰まります。
だって、価値を生まない価値観で
このまま未来永劫継続できるはずは無いから。
必ず何かが、誰かが行き詰まります。

ではどうしましょう?

近年学校で言われる

主体的に…
とか
答えが無い問題を…
とか

それらがヒントなのですが
それ、凄く分かりにくいでしょう?
一体何をしたらいいの?
ってなるでしょう。

たぶん、具体的に言いにくいのですよ。
授業と矛盾するから。

自らリスクを取ってコントロールする経験
やらないと分からない事をやる経験
つまりチャレンジ
ですが

そういったことで得られること、分かること
そういったことが凄く重要になります。

これ、予想じゃ無くて
当たり前だと思ってます。

だって
そういうことは誰かがやってくれないと困るのですけど
ニーズを満たす人材が少なすぎるのです。
それらの素地を身に付ける機会も環境も無さ過ぎます。

高い価値を創造するには
リスクもチャレンジも欠かせませないのに
そこを目指す人が少なすぎる。

多くは
リスクを取らずに
チャレンジなんかせずに
失敗せずに確実に
と思っている。

ということは…
それはチャンスです!
特等席が空席です!

さあ
頑張って探すか
自ら作るか
自力で何とかしましょう。

すぐにです。

これを誰かに探してもらうとか
「後で」とか
となると本末転倒なので要注意。

色々やっとけ

この先
「色々やる」
というのが重要なキーワードの一つになるだろう
というお話しです。

それはなぜか?

みんな「やらされすぎ」だからです。

言われたことをやる
言われたらやる
言われなければやらない

そんな感じでしょう。

無理もありません。
やらされすぎたら
できればやりたくなくなる。

どうせやるなら
限定した領域でとか
最小限でとか
余計なことはやりたくないとか
そういうことになるでしょう。

もうこの時点でアイデアが必要な
クリエイティブなことは難しいでしょうね。
残念ですが。

現状はそんな感じでしょう。

多くの要素やアイデアから磨かれて
ミニマルになったものは美しいですが
そもそもの出発点がミニマムでは
磨きようがなく、何者にもなりようがありません。

大きな原石を割っていって磨けば
美しい宝石になるかもしれませんが
砂粒を磨いて美しい宝石を手に入れることはできません。

一応言っておきますが
こういう状況になってしまったのは
当事者である若い世代のせいではありません。
環境を作った年長者の責任です。

しかも悪気は無いどころか
良かれと思ってリスクを排除して
あーしろ、こーしろ
と言って
彼らを導こうとした結果でしょう。

その結果

何のために?
なぜ?

といった
クリティカルな部分

考える必要が無くなるのです。

だって、指示側が
それら全てを考えた上で指示しているのですから
指示される側が主体的に考えることは許されません。

主体的に考えて
間違えたら
失敗したら
一体どうすんの!?
余計なこと考えるな!!

となると
指示される側は
クリティカルなことを
考える必要は無くなります。

受けた指示を正として
余計なことはせず
受け止め実行するのみ。

出された問題を解く
というシーケンスを延々と繰り返して
無駄が無く効率的な
「コスパ・タイパが良い」教育を受けて
社会に放り出されるわけです。

でもそれでは
全く面白くなくて
結局は誰のためにもならない
ということが明らかになる時が来るでしょう。

そう。
「コスパ」「タイパ」とは言っても
パフォーマンスが高いのは学校内でのペーパーテストだけ。
それは社会で必要とされるパフォーマンスではないので。

ちなみに
すでにそれは問題になっていますが
明らかになっていないだけです。

というわけで
「色々やる」
が突破口になるだろうな
と思ってます。

ま、突破したい人にとっては
ですが。

チャンスを掴まなきゃ始まらない

ますます先の見えない世の中になりつつある昨今

当然ながら世の中は二極化していく
と見ています。
「お金」に限らず様々なことで
です。

やるべきことが決まっていれば
皆、やれば良いだけの話です。

でも、やるべきことが分からなければ
やれない人
それでもやる人
と、分かれます。

やるべきことが分からない人は
もっともらしい他からの情報を受け止め
それに従う。

しかも多くが似たような事をする。

皆がやっているのだから
その方が安心感を得られます。

でも、皆がやってることって
どれだけ価値があるのでしょうか?

皆がやっていれば安心なのでしょうか?

そもそも
安心を求めると安心が手に入るのでしょうか?
本当に欲しいのは安心なのでしょうか?

でも、何をどうしたら良いか分からないのに
何をどうしたら良いのか?

何でも良いからやってみたら良いんじゃないの?
と思います。

身の回りを見渡せば何かあるでしょうけど
それらを「チャンス」として見られるかどうかで
何が見えるかは変わります。

というのも
ここでやるべきことのフィルタリングが始まるからです。

できるだろうか?
失敗しないだろうか?

そして、うまくいかない可能性があるものは
無意識かつスピーディーに排除され
それらは見えません。
意識に上がってこないから。

ここで起きているのはリスクの回避で
リスクを排除し切ったものはチャレンジではなく
誰でもできることになってしまいます。

結果として
当たり前で確実なことを求める
これは一見当たり前のようです。

しかし、リスクと価値はトレードオフです。

果たしてリスクを排除しきったものに
感動や喜びはあるのか?

リスクの排除からスタートする思考では
チャンスは見えません。

チャンスは掴むところからスタートするべきで
リスクは後にマネージメントすれば良いのです。