教育って何なのだ?5

現状の教育には

言われたことができるようにするために
何をやるかを指示しなければならない。
そして
何をやるかは具体的でなければならない。

という「型」があるように思えます。

別にそういうマニュアルがあるわけではないけど
(高校以下にはあるようですね)
なかば常識というか、習慣というか
そういうものだという認識があるでしょう?

そういう「型」が
あっても良い
とは思うのだけど

それしか無い
のであれば問題ではないかな。

ちなみに
「型」は「基準」なので
定量的な評価に向いています。
つまり点数が付けやすい。

もちろん
「型」が無ければ
定量的な評価はしにくいです。

さて
あらかじめ「型」が決まっている
ということは
ゴールがすでに決められているというわけで

ゴールを設定する際
どんなゴールにすべきかを考える

ゴール達成のために
どうすべきかを考える

そういう機会はほとんどありません。

「型」があるので
手段はある程度固定化されます。

その手段で達成できることしかできないのは当然で
「型は教えるが、その他は社会に出て学べ」
ということなのでしょう。

それは理解できる。
昔もそうだった。

しかし
恐らく時を経るごとに
無駄が削減されて
効率化されて

「型」に対して
無駄と思われる経験は無くなっていく。

自然の中で遊びをつくる経験が無くなり
危険な遊具は公園から無くなり
公園で球技ができなくなり

他人が作ったゲームなど
作り込まれた遊具で
あらかじめ決められた「型」で遊ぶ。

無駄は無い
リスクも無い
やる前から楽しいことは分かっている。
楽しくなるように設計されているから。

でも、そこに創造性は必要無い。

「学び」も固定化されている。
無駄なく効率的に教えることによって
手段が強固に固定化される
立場や前提も固定化される

「自分は言われたことをやる立場である」と。

一頃、大学でベンチャー企業を…
みたいな潮流がありましたね。
でも、全く流行らなかった。

そんなの当然で
言われてやったこと(与えられた手段)によって
できることを決定する
というロジックでは
ベンチャービジネスなんて思い付くわけ無いからです。

しかも、失敗しないことの優先度が高ければ
なおさら無理でしょう。
ベンチャービジネスはチャレンジですから。
うまくいく保証なんて無い。

リスク回避の優先度が高く
安定を求めるなら
ベンチャーという選択肢はありえないはずです。

では、現状の「型」を壊せるのか?

勇気が要ります。
それもチャンジです。

チャレンジすれば失敗するかもしれない。
失敗したらどうするのだ?
誰が責任を取るのだ?
となるでしょう。

その場合の
責任を取る
とはどういうことなのか?

責任なんて取りきれないかもしれないけど
チャレンジを続ける
ベターな形にしていくために継続する
それが責任を取るということでも良いのではないか?
どうせ正解なんて無いのだし
改善するための努力や経験は無駄にはならないのだから。

でも、今のやり方による結果の
責任は誰が取るのでしょうね。

誰も取れない
と言えるし
皆が取ることになる
とも言えますね。

教育者はどこまで導くべきなのか?

学生のために
失敗しない道筋を用意するのか。

それとも
自分で道筋を見つけられるようにするのか。

たとえば
クルマが作れるようになりたい
海外のレースに出たい

そう思ったら
まずやってみる。

必要なことが見えてきたら
それを学ぶ。

自分が望むことを実現するために
必要なものを手に入れる。

その過程では
リスクが発生するでしょうし
失敗もするでしょう。

それは今の「型」がある教育から見れば
凄まじく無駄があるでしょう。
でも、チャレンジで大冒険です。

そこから何が学べるのか?
それによって
どう学べるようになるのか?

それは定量化できないので
保証も証明もできない。
でも、比類の無い
貴重で意味のある経験になるのは確かです。

続く…かも。

テスラのクルマが飛びました

日曜日ですし、今日はクルマの話しにしましょう。

テスラが新型ロードスターを発表しましたね。

話題を呼んでいるのが
短時間飛べるとか
空中で姿勢制御できるとか
といった実に未来的な技術です。

高いゴールを設定して
とにかくやってしまえ!
という推進力を感じさせるあたり
実にテスラらしいです。

すぐに発売するわけでは無いようですが
すでに予約を受け付けているのもテスラらしさを感じさせます。

飛んだり姿勢制御をするためには
コールドガススラスター
と呼ばれる装置を使っていますが
この”スラスター”というのは
ロケットなど宇宙機の技術の応用ですね。

スペースXがやっている
再利用可能なロケットの姿勢制御ののノウハウを使っているのでしょう。

一般的にスラスターは、何かしらを噴射して推進(Thrust スラスト)を発生する装置を言います。

自動車の速度記録では、従来はタイヤと路面の摩擦によって伝達される駆動力(Traction トラクション)から、ジェットエンジンの推力にスイッチすることによって、1997年に音速を超えたマシンがありました。
その名がThrust SSCです。
2017年にイギリスのコヴェントリー・トランスポート・ミュージアムで実車を見てきました。

話をテスラのロードスターに戻します。
スラスターで飛べるクルマは
夢の提示としてはとてもパワフルです。

こういったものを見せられると
価格とか実用性とか技術的なこととか
はたまた法規制が…
とか揚げ足取りをする人もいるでしょうけど

こういうダイナミックなことにチャレンジする
というゴール一直線なスタイルは見習いたいものです。

教育って何なのだ?4

「型」が決まった効率の良い教育では
教育者が「望ましい姿」を決める。

良い学生
正しい進路
望ましい能力

そこへ効率よく導くために
教育を標準化する。

教材や課題
評価
成功への道筋

当然ながら
学生は与えられた正解(とされるもの)を選ぶようになる。

それは何のためか?

失敗を回避するためだったり
他人の期待に適応するためでしょうね。

その結果
自分の理想を持ち
それを試す機会は減るでしょう。

その枠組みが強化されれば
多様性が無くなるでしょうし
主体性が育ちにくくなったりするでしょう。

問題なのは
教育者が決めた
「望ましい姿」は
今でも本当に望ましいのか?
ということです。

そもそも
望ましい能力は
かつてのように
単なる特定のスキル「だけ」では
無くなってきていると思います。

近年では
テクノロジーや環境の進化が早くて
それに応じて
人も変化する必要があるから。

新しいアイデア
それにチャレンジする勇気

そういったものが必要になるはずだけど
(実は昔から必要なのだけど)
「型」が決まった環境で訓練されれば
変化には弱くなるでしょうね。

あらかじめ決められたことが起こらなかったり
決められたものが提供されなかったり

そういった変化に
臨機応変に対応する力を養う機会は減っているし

そういう局面に対応できるようになりたい
というニーズも無いのではないかな?

それで果たして
社会のニーズに応えている
と言えるのか?
本人はハッピーになれるのか?

これは大いに疑問です。

続く