成功と失敗の発生確率…以前の問題

別に難しい計算は必要ありません。

よーく考えてから行動する

最低限考えたらすぐやる

どちらがうまくいくでしょう?

よーく考えることに時間を使うと
失敗する確率は減るのかもしれません。
となると、成功する確率自体は向上する…かも。

しかし、大事なことを忘れがち。

そもそも、、よーく考えて
行動が先送りになると
実行するためのチャンスが消えてしまうかもしれない
ということ。

チャンスは時間とともに変化するので
いつ無くなってしまうか分からないのです。

ペーパーテストみたいに
時間が保証されているものではないし。

よーく考えるのは
失敗しないことがゴールであることも多い。

なので、最終的には
ノートライ・ノーエラーに落ち着きがち。

では逆に

すぐにやると失敗する回数は増えるでしょう。
でも、失敗から学ぶ機会は最大化します。
チャンスを掴むトレーニングもできます。

そもそもチャンスを掴めなければ
どんなに実力があっても活かしようが無いでしょうから
成功という領域とは無塩になります。

これは思いのほか重要なのです。

学校に関するちょっとした予想

学校では
向いていようがいまいが
皆に同じことをやらせて
その成果を一つの尺度で評価して
できるとか、できないとか
そういうことになってます。

以前、記事にしましたが
これはプロイセン型の教育といって
300年前のプロイセンで始まり
150年前に日本に伝わってきたやり方です。

どうもこのやり方は
ボチボチ限界なのではなかろうか?
というのが今回のお話し。

何でボチボチ限界と思うのか?

前提として
文明や文化はもちろん、技術やら何やら
あらゆるものは、いつか潰える。
我々人間による文明だって例外では無いわけで。

学校における「授業」を使った教育だって
人類が誕生したときからあるわけではない。

プロイセン型の教育が
永久に続くなんてあり得ない。

一度に大勢に
言ったことをやらせる
といったやり方で育成された者が
社会に出て価値を創造したり
次の世代を育成したりして
今の世の中があるわけですが

年を経ることに良くなってきていて
未来が明るいのかというと
どうもそうは思えない。

世の中は変わっているけど
学校の基本的な構造は変わらない。

科目は変えてるし
表面的な部分を変えたところで
基本的な「やり方」を変えなければ
結果は大して変わらないのではないかな。

世の中は変わってきていて
従来の価値観は通用しなくなってきている気がします。
新しい価値観を
旧来のシステムにはめ込んで駆動しようとしているのが現在。

これ、メカの機構は変わらないけど
部品の一部を変えたくらいのもので
最終的な動作は一緒
みたいなものなのではないかと思うのです。

蒸気機関車を電気モーター駆動に変えたところで
レールの上を走るのには変わりありません。

今やインターネットとAIをベースとした
爆発的な情報伝達と処理の時代に突入しているわけですが
これはもう単なる技術の域を超えています。

それに応じて
ものごとの価値自体が変わっていくのは必至ではないでしょうか。
現に仕事のやり方は大きく変化しているわけで。

それに対してプロイセン型の教育で
「いいから黙って皆と同じようにやれ」
が通用するのかというと
それはもう限界でしょう。

分かりやすいところで言うと…

最近良く言われる
主体性を求めるとか
批判的思考をするとか

確かにそれらが無いと
これからのご時世
価値を生み出せないと思うのですが

それをプロイセン型の教育で手に入れるなんてのは
強烈な矛盾をはらんでいるわけで
破綻する前触れとしか思えないのですよ。

でもこの矛盾
頭の良い皆さんは
すでに気付いてるのでしょうけどね。

ここまで問題が明確化しているなら
そこそこ明確な手を打つことができそうな気がします。

でも、変えられない・変えたくない事情があるのでしょう。

なので人任せにせず
やるか
やらないか
だけです。



似てるけど違うこと

素直さ、誠実さは大事です。
でも、単に「言われたことをやる」ではない。

強い意思は大事です。
でも、単なる「頑固」では困ります。

柔軟性は大事です。
でも、「いい加減」ということではありません。

これらの似て非なるものを分けるものは何でしょう?

単に無意識で
癖とか習慣とか性格とかのせいにして
行動するのではなく

ゴールをセットして
目的意識目的意識を持っているとか
そんな違いです。

似てるけど違う
もちろん
結果は全然違う。