今後の教育について考えてみた

そもそもゴール無しで
つまり動機無しで学ぶってのは
ボチボチ限界なのではないだろうか。
これ、何度も言ってますが。

学びにはゴールはありません。

「○○ができるようになりましょうね」
みたいな目標はあるでしょうけど。

でも、それが「何のためなのか」は、無い。
むしろあったら困る。

それは他人から与えられるものでは無い。
自分で考えて
自分で決めるべきことだから。

そう。
学校にはゴールは無い。

学びはゴールに到達するために必要な
「手段」

…なのだけど

ゴール無しの状態で手段を提示されて
それができないとダメ
ってことになると

当然ながら手段が目的になります。

単位を取るために勉強する
って、そういうことでしょう?

手段が目的化してしまう
ってのを軽視してはいけません。
考え方が逆になってしまうからです。

最高のクルマを作るために
最高のボルトの構想からスタートしていたら
いつになってもクルマはできません。

何かをやるにしても
「何のため?」が無いと

ただやればいい
とか
むやみにやる
とかいうことになって
落としどころがありません。

そんなの面白いわけありません。
面白くもないことが
うまくいくはずありません。

そして
「単位を取るために勉強する」
なんてことになっていると
問題を解くために脳ミソを使ってはいるけど
一番大事な
「何のため?」
「で、どうする?」
を自分で考えられなくなる。

ゴールの設定と
そのための手段の発想や選定が
できなくなるということです。

これはとても残念なことです。

でも
学びにゴールがないことが
問題なのではないと思っています。

ゴールを持たないまま学ぶことを
教育の中心に据え続けていることが
問題なのではないでしょうか。

そして

ゴールを与える教育ではなく
ゴールをセットしたくなる環境を作る

これが今後の課題ではないだろうか
なんて思ったりしています。

求められる人材像…はどうなる?

教育とは
「言われたことができるようになることである」
というのが現在に続く主流のスタイル。

確かに今までは良かったのですが
これからますます予測の付かない時代に突入するわけで…

となると
言われたことができる
ばかりでは
なかなかうまくいかなくなります。

仮に
カリスマ超人のボスがいたとして
その人がアイデアを出して
仕事を組み立てて

部下に、いちいち
「言って」「やらせる」
なんてことをしていたら
仕事のレベルは上がっていきません。

ボスは、あっという間に疲弊して
限界に達してしまいます。

そのやりかたでは
ボス個人の限界が組織の限界
になってしまいます。

受動的な下々の者が
工夫もせず
言われたことをやる
という状況では
そうならざるを得ない。

今の学校のやり方に順応した
「良い子」が
そのようになるのは
今までもあったことですが

これからはAIがボスを助けて
仕事を回すために活躍するようになるでしょう。

すると、下々の者の受動的なやり方にブーストが掛かって
ますます受動的なマインドを加速するかもしれません。

一応言っておきますが
受動的ってのは
基本的に消極的みたいなもの。
どう考えても積極的ではない。

組織があったら
そこには複数の脳ミソがあるわけで
いかにそれを主体的に発動するようにするか
というのが今後の課題になるでしょうね。

というか、すでになってるのか!?

いずれにせよ、そんな課題を
バリバリゴリゴリ解決できる人財が求められる
そういう世の中になっていく気がしています。

そういう人はいつの世も必要でしょうけど
昨今は少ないですからね。

見えないものの価値を取りに行けない理由

見えないものは信じない?

まあ、そういう考え方もあるでしょう。

でも、そこにこそ価値がある
と言う考え方もあります。

アイデアの源は
思いとか考え方
それらは目に見えません。

目に見えないので
見えないものは信じない人
は狙いにいきません。

点数とか資格とか
知識とかロジックとかは
定量化・定型化できるので
手っ取り早くそういったものを手に入れると
何となく安心できたりします。

でも、よーく考えてみると
我々の周囲に溢れている
物体やサービスのほとんどは
人が作ったもの。

それらはどうやって作られたか?

ずーっと源流を辿ると
人の「思い」が終着点になります。

そこから発する
想像力とか
行動力とか

そういったものは
思いの強さによって発動するのです。

もちろん
定量化・定型化できる諸々を
手に入れるか否かも同様です。

幸いなことに
思いの強さなんてものは
自分で好き勝手に設定して良いのです。
誰の許可も資格も要りません。

でも、そいつを解放するとどうなるか?

「普通」じゃなくなるのですよ。

すると
普通じゃないことによるメリットと同時に
何かしらのリスクが発生するのです。

そこで

前に進めるか
腰が引けてしまうか

どちらになるかは価値観の問題なのでしょうね。