アイデアを出すために

良いアイデアはどんなときに出るでしょう?

何も考えていないときに突然やってきたりしませんか?
それは業務時間外であることが多い。
というか、大抵は業務時間外。

もちろん前提条件としては、その対象に入れ込んでいて、それなりに前提の知識や情報が入っていて、モチベーションやらボルテージやらが上がっていることが前提だったりします。
で、スッっと緩んだ瞬間に、ポッと浮かんできたりして。

なもんで、職場に行ってアイデアが出るか?といったらそうでもなくて、普段から考えていないとダメなんですよ。
良いアイデアは職場の外で出たりします。
で、業務時間にそれをまとめたり形にしたり、そんなものです。

なので私は、プライベートとオンデューティーの境目が曖昧です。
そもそもそれらを明確に分けたいとも思ってません。

好きなことを仕事にするとか、どうせやるなら仕事を楽しく変えていくとか、そういったことが大事だと思っているので。

業務時間以外は仕事のことを考えたくない?
それだと良いアイデア出ないと思うんだけど、どうなんでしょうね。

良いアイデア出なければ仕事は面白くならないだろうし
仕事が面白くなければ良いアイデア出ないだろうし

仕事が面白くなければプライベートも楽しくできないし
プライベートが楽しくなければ仕事も面白くできない

そんな風に思ってるんですけど、どうなんでしょうね。

AIの時代に向けて その2

AIの発展と台頭に伴って、教育がどうなるかというのは気になるところ。

AIによる適切なプログラムや内容、もしくは対応などで教育の質が向上する
なんてことを聞いた覚えがあります。

義務教育のようなレベルで知識を得るのであれば、そういったやり方は効果的…
かどうかは分かりません。
言われたことをやる、という姿勢が強化されちゃったら残念ですし。

というか、知識を与え、それを得るのが教育であり学びかというと、ちょっと疑問。

もちろん知識を得るのがダメってことではありません。大事なことです。

知識を得るのは、凄く広範にわたる学びの中の一部であって、まして定型的なものであれば、それは知識の中のごく一部に過ぎないだろう、ってことです。

そこだけに特化して「効率の良い学びを…」とかいう状態になっているとしたら、ちょっと恐ろしい。

学ぶべき対象って、それこそ無限で、目指すべきゴールや戦略によって、もしくは個性によって変わるべきで、個々のそれぞれが独自のやり方を模索するような機会があって良いと思うのです。

そうしたら、もっと尖って、もっと面白くなるでしょう。

でもそういうのって、きっと効率が悪いことになると思います。
でも、効率が悪い中から生まれること、気付くこともあるわけで、その辺はAIにはできないことなのではないかな。

AIの時代に向けて

AIがに人の仕事を奪うなんて言われたりするし
AIが我々の代わりに仕事をしてくれるとも言われる

どちらも間違えてはいないでしょう。

AIが我々の知能を越えるシンギュラリティに対する警戒などはあるかもしれないが、そういったものを恐れていても始まらない。

大事なのは、奴らをいかに上手にツールとして使うか。
あとは、奴らにできることの価値は低下するので、人間ならではのことにフォーカスすること。

しかし、人間ならではのことって何だ?なんてことを考える日が来るとはねぇ。
人間って何だ?なんてこと、普段考えませんものね。

そういうのって、哲学的というか何というか、そういったものでしょうから、時間をかけてじっくりいくべきなのでしょうね。

では、じっくりいかずとも分かるものは何でしょう?
消去法で考えてみましょうか。

まず、凄くザックリいくなら、数値などの定量的なものや、文字や画像の情報などの視覚的な情報。
こういったいわゆる定型的なものはAI得意です。

そして時間軸でいくなら過去から現在に至る情報ですかね。
そういったメモリーに格納できるものは得意でしょう。

あとは作業的なものですかね。
計算とかも含めた情報処理的なヤツ。
何かしらのルールに従って処理できるものですね。

とまぁ、そんな感じのものを消去していくと、残るのは定量的ではなく、不確定だったり、定型的では無いもの。
その辺が我々が注力すべきもののようです。

あと、ヒントになりそうなのは…

人対人のコミュニケーションにおいて、言語による情報伝達は、全ての情報の7%に過ぎない…の、残りの93%の中にありそうです。
印象とかフィーリングとか、なにか曖昧で定量的にできないもの。

そんなことを考えていると、これからの世の中において、ものごとの価値が大きく変化しそうですね。

願わくば、そういった流れにフォローするのではなく、クリエイトする立場でありたいものです。

さて、どうなることやらお楽しみ。