失敗の意味

価値をつくり出すためのチャレンジのプロセスは
大雑把に言うと

「考える」
そして
「やる」
です。

実にシンプルです。
この二つの要素を使って以下のプロセスを回していきます。

企画
設計
製作
テスト
改善

これらのプロセスそれぞれに、「考える」と「やる」が適用されます。

例えば、「企画」について「考える」そして「やる」
すると、企画が完成します。
以降のプロセスも同様です。

なのですが、ものごとには締め切りがあります。
「何をつくるか」
は大事ですが、それとセットなのは
「いつまでに」
です。

望むものが、望むときに形になって初めて「価値」となるのです。

で、問題だなと思っているのは
授業では、「考える」と「やる」の上手な使い方が構成できない
ということです。

最も問題だと思っているのは
「考える」プロセスで
正解を出さなければならない
となっていることです。

というのも、新しいものを作ったり、チャレンジすることにおいては
正解なんて無いからです。

なので、締め切りに達する前に
手早く考えて(想像して)
まずやってみる(試してみる)
ということが必要です。

これによって、やらないと分からない事が手に入ります。
やらないと分からない事を、考えることによって明らかにしようとすると、非常に時間がかかります。
ヘタすると永遠に時間が必要になります。

なので
ダメを承知で、やってみる
ことに意味があるのです。

大事なのは
失敗しないこと
ではありません。

成功することです。
それは
欲しいものが欲しいときに形になっていること
です。

失敗を避けるために考えすぎると
やれなくなる。

失敗からしか学べない
というのは、そういうことでもあります。

先の見えない今だから 4

先の見えない不確定な未来に向かっていくと言うことは
今まで
正しい、良い、優秀
とされてきたものからのシフトが起きるということ。

まさに今、それが起きつつある。

AIの普及によって
知識の価値の低下が起きている。
(全ての知識の価値が下がっているということでは無いので誤解なきよう)

安価で大量のドローン兵器などによって
少数で、高額で、強力な兵器の優位性が低下している。

そういった変化に伴い、人の役割は変化せざるを得ないでしょう。
もちろん、倫理観なども変化しているのではないかと思います。
が、渦中にいると、現状がどうなっているのかは気付きにくいものです。
そういうのは、後年に評価することによって明確化されるのでしょうね。

クルマの世界なんかは
ついこの間まで
「これからはEVだー!」
なんて言っていたと思ったら
「やっぱりEVやめた」
となったて
中東の戦争が始まったら
「やぱりEVだ!」
とか言い始まったりしてます。

果たして、この先どうなることやら
と思ってしまうのですが
要は、フレキシビリティが大事な時代に突入しているってことでしょう。

対して、我が国の教育は

  • 言われたことをやりなさい
  • 言われたことしかやっちゃダメ
  • 言われたことができないとダメ

といった、古典的なソルジャーの育成方法(許可されたもののみOKという、いわゆるポジティブリストによる行動)を延々と続けてきたわけですが、これでは競争力が無いことが徐々に明らかになってきている気がします。

軍事大国であるロシアの兵士の死者数が、ウクライナに対して圧倒的に多いというのは、実はこの辺に理由があるという説があります。
私はその辺はあまり詳しくないので、あまり突っ込みませんが、戦争といえども社会活動の一部(特殊ではありますが)だと思うので、指揮・命令系統とか、行動原理、そしてその結果などは参考になります。

というように、ちょっと考えれば問題点とかは見えてきたりするのですが
じゃぁ、どうしたらいの?
というのが解決すべき課題。

解決方法としては
失敗が許される環境でチャレンジしまくる
これしかないと思うのです。

で、これについては良いネタを思い付いたので、ある程度まとまり次第記事にしてみます。




先の見えない今だから 3

というわけで、工夫できる人が必要です。

それは平時はもちろんですが
危機的状況ではなおさらです。

その「工夫」は、つまり
他から必要とされる価値を創り出すこと。

そして
生み出された価値の提供によって
必要なリソースを手に入れて
また価値を創造する

これを継続するループが大事。
相互依存の社会環境では
これが無いと生きられませんし
成長できません。

そのためには動機(モチベーション)の強化が重要なのですが
そのきっかけは…

平時なら
好きなこと
でしょうね。

危機が迫っているなら
その状況からの脱出
となるでしょうか。

いずれにせよ
受け取るだけの側
ではなく
想像して発信・提供する側
である必要があります。

当然それは
普通に・言われたことをやる
ということでもない。

平時に好きなことを一所懸命やっている人は
好きなことをやる中でも、何かしらの壁にぶつかって
ブレークスルーをする経験をしています。
チャレンジするってそういうことです。

そういう人は、危機的状況でも
その状況を打破するための工夫ができます。

それは当然なことで
好きなことで壁にぶつかるというのは
一種の「危機」なので、行動原理が同じだからです。

細かいことを言うなら、その行動が
利己的か
利他的か
というのも大事なところではありますが。
つまり道徳心ですね。

もちろん、いきなりはできないので
学校でトレーニングする必要があるのです。

と、そんな事を考えていると
ニュージーランドの学校で目にした

  • チームで動くことによる帰属意識の醸成
  • 好きなことををトコトンやることによる動機の強化
  • チャレンジした結果、特に失敗からの学び

この辺を重視している理由がよく分かります。

危機的な状況は、誰も好き好んだりしませんが
それをきっかけに好ましい方向に変化するなら
まんざら捨てたものではないのかもしれません。

つづく…かも