「工夫」の正体

工夫は価値を生みます。
というか
価値には工夫が必要。

そして
工夫には
「やる気」
が必要です。

やらされる
ではありません。

自ら「やりたい」と思う気持ちです。

やりたいと思うには何が必要?

「やりたい」と
パッションに結びつくには何が必要なのか?

それが簡単に分かったら苦労しないのですけどね。

でも、成功者の伝記を読んだり話を聞いたりすると
成功には工夫が必要なのが良く分かる。

で、その工夫の根底には何があったのか?

大抵は、バネを縮める何かがあったりする。
ストレスとかプレッシャーとか。

で、その状況でゴールを定めて
現状とのギャップを埋めたいと思う。

何がなんでも何とかしたい
と。

そこに工夫が必要となるのですね。

そのために環境は大事な要素の一つでしょう。

と、考えていくと
大事なことが見えてきます。

まずはチャレンジできる環境に身を置くこと。
後述しますが
これは単に「恵まれた環境」
ということではありません。
でも、それだけではダメで

そこで
何がなんでも何とかしたい
と思えること。
そういったものが「すでにある」状態である必要はありません。
むしろ無い方が良いかもしません。

そして、ストレスやプレッシャーは
「敵」や「悪」ではないと理解していること。
これは解釈の問題。

そして結局は自分次第。

仮に
ストレスもプレッシャーも無く
ふんだんにリソースがあったら
工夫するか?
チャレンジするか?

「恵まれた環境があれば自分だって」
なんて思ったりするかもしれませんが…

普通はしませんよ。

だって、そんな環境なら
工夫なんてする必要ないのですから。

結局は根性なのか?

そうかもしれない。

一昔前
「精神論では…」
のようなことを言われてきたけど
最近はあまり聞きませんね。

根性を発揮する場が無くなったから?
まぁ、そうかもしれません。

ナシム・ニコラス・タレブの「反脆弱性」の下巻をダラダラと読んでいて、ふと思ったのです。

イレギュラーな問題などが起きたとき
まぁ、そういうのは起きるものなのですが

弱いのはもちろんダメで
でも
単に強いだけじゃダメで

要は
外力に対して脆弱なのはダメで

大事なのは
ストレスを受けた状態から
いかに強くなって立ち上がるか
ということ。

確かに、それが成長するってことなのですが

それって「根性」ってことだよなぁ。

結局重要なのは精神だったということか?

とはいえ
根性だけじゃダメで
やはり考えないとね。

で、この「考える」が問題で
恐らくそれは学力とかIQとかじゃない。

いや、それも大事なのかも知れないけど

考え方というか
ものの見方というか
ものごとに対する解釈が大事で
解釈の基準となるもの
つまり価値観が強力に効いているのではなかろうか。

なんて思ったのでした。

諸法無我

仏教用語です。

この世に独立したものは存在せず
すべてが他との依存関係による

という意味だそうです。

利己的な考え
自らの利を追求する考え方では、結局自らの利すら得られないということ。

そんなことを考えていると

仕事は食うため
(自分の)将来の安定のために

といった一般的な価値観に疑問を持たざるを得ません。

それでいいのか?
と。

もちろんそれは、自らへの戒めでもあるのですけどね。

ドラッカーも言ってます。

貢献に焦点を合わせろ
と。

まぁ、「価値」の本質を考えると当然なのですけどね。

焦点が内的なものに当たっていて
コミュニケーションがうまくいかないとか
成果が出せないとか
そういったのは当然で

いくら頭の中に知識を詰め込んだところで
それが価値に変換できないのは当然で

学びとは
いわゆる勉学だけでは片手落ちどころか
リソースの無駄遣いにすらなりかねない
なんて思うのです。

「片手落ち」
って、放送禁止用語なのですね。知らなかった。
そもそも差別的な意味が語源になっているわけではないそうですが。