AIとのお付き合い

皆さん、生成AI使ってますか?
最近では、Googleなどの検索エンジンからChatGPTなどの生成AIへシフトしているケースが増えているようですね。

それは良く分かります。
「検索」ではなく、「尋ねる」に対して「答えてくれる」のですから。

検索では、その結果に対して自らが取捨選択したり、統合したり、推測したり、という考えるプロセスが入りますが、生成AIなら返答を見るだけ。
そりゃ楽です。

他にも、文章の要約や、資料の作成、画像の生成など、大変便利なわけですが、皆さんは何に使っていますか?
調べ物だけではもったいないですよね。

話し相手?
それもアリでしょう。

では、私は何に使っているかというと…
大きく分けると

  • 自分でもできるけど省力化で使う
  • できないことをやってもらう

という二つに分けられます。
で、「省力化」は良いとして、「できないこと」は、どういうものかというと、コンピューターのプログラム生成だったりします。
そういうのは、コードを書いてもらうといった方が良いのでしょうか?
なにせ専門では無いもので、正しい用語の使い方が分かりませんが、まぁそういうことです。

具体的には、私が管理しているサーバーのセキュリティ管理です。

これまで余計なことを色々やってきたお陰で、サーバーを構築するまではできるのですが、セキュリティともなると、ちょっとハードルが高い。
でも、そんなことを言ってられないのが昨今。
大学のサーバーなんかも、結構外部からアタックがあるのですよ。
昨年末、実際に外部から侵入されて問題が生じたので、それを機に、生成AIにお任せして、スクリプトのコードを書いてもらいました。

とはいえ、まるっきり丸投げというわけにはいきません。
基本的な動作など、骨組みは自分で考えないと指示できませんからね。

それに、AI任せで一発で完璧なものができるわけではなかったりするので、動作テストを繰り返しながら、ブラッシュアップする必要があります。

ともあれ、現状ではそこそこ満足いく状態になって、外部からの攻撃は効果的に防がれています。

というように、現状においては、大まかな知識を持っていて、それなりに指示ができれば、細かい専門的なところはAIがやってくれると言う段階にはきています。

このように、コンピューターのプログラムなど、専門知識が無くてもそれなりに色々作れる、というのがあるべき姿なのでしょうね。
それによって、プログラマーが淘汰されるというのはあり得る話だな、というのが実感できました。

しかし!
それはスキルレベルが低いプログラマーは、という話でしょう。
本当に凄い人は凄いことができるわけで、むしろAIはそこから学ぶのでしょう。当面は。

これ、教員にも当てはまると思います。
単に言ってやらせるだけなら、AIの方が効果的なやり方ができそうですから。
なので他人事じゃ無いのですよね。

今後どうなるか分かりませんが、大変興味深いところではあります。
さて、どうやることやら。

教育は何のため?

どのように教育すべきか?
それは「何のため?」が明確になっている必要があります。

細かいところを見ていくと色々あるでしょうけど
本質的なところで言うと
「生きる術」を得るため
でしょう。

では、人はどうすれば生きられるのか?

人は一人では生きられません。
これは、衣食住の全てを一人で賄うことはできないからです。

未開の部族ですら一人で生きるのは難しいでしょう。
だから部族単位で生きているのです。

皮肉なことに、文明が発達した社会ほど顕著です。
高度に文明が発達した社会ほど、多くの人々が多様な価値を持ち寄ることによって構成されているからです。

このような状態では、人は相互に依存しているので
他の助けが無ければ生きられない
ということです。
一方的な依存では継続性がありません。

なので
他から必要とされる必要がある
ということです。

では
何によって必要とされるか
そのために何をどうするのか
これが問題です。

どう生きたいのか?
それによって、何をどう学ぶ必要があるかを決める
…と、それを自分でできるのが最もハッピーなのではないかな?

そんなの当然のこと?
本当かな?

判断を学生に委ねる時が来た

これまでは、あらかじめ決められた、統一した正解を出させる方が効率が良かった。
時代背景を考えると間違えでは無かった。
でも、どうもこのやり方で今後もうまく行きそうもありません。

というのを、さんざん言ってきました。

現状のやり方では、多くの判断は教員側に委ねられているのがポイント。
やる・やらない、何をする、などなど。

学生側の判断は最小限です。
では、判断無しなら、何をしているのか?

理論の記憶と、決められた解法に沿った「回答・解答」という名の「作業」です。
かなり極端な言い方ですが。

どうしてこんなことを言うかというと、勉学が優秀だからと言って、自力でクリエイティブなことができるとは限らないからです。

教わったことに対して
「やりなさい」
と言われればできるでしょうけど

未知のものに対して
「どうする?」
と言われたら、どうにもならないでしょう。

これ、非常にマズイですよ。
新しいものをつくり出せないってことです。

学校では、教わったものを組み合わせれば高度なことができるようなことを言ったりしませんか?
でも、そんなことは無いですよ。

だって、求められる能力が違いますから。

「やれ」
と言われて
かつて記憶したものを思い出して
指示通りに組み合わせたり、処理したりする

「やれ」
とも言われていないのに
未来を想像して
やったことも無いことに挑戦する

これは全く違います。

では、何が必要か?

  • 学生が自ら判断せざるを得ない環境を用意する
    正解を与えない…というか、正解・不正解ではない環境が必要
  • 学生のアウトプットに対して問う
    何のため?どうしたい?で、どうする?などなど

そんな環境が大事なのではないかな。
と思ったりしながら、夢工房は試行錯誤を続けています。