「面倒」の扱い方

若いうちは
何もできないと言ったら言い過ぎだけど
これから色々できるようになる過程なのだから
色々やらなきゃいけない。

やりたいことも
やらされることも

そりゃ面倒に感じることも多いだろうと思う。

でも、自分のゴールを決めて
自分には何が必要かを考えれば
面倒という感覚は低減されるでしょう。

そしてそれが
どうしても必要だ・欲しい
となれば
面倒という感覚は消滅します。

そのように
面倒なものを欲しいものに変えてしまうことこそが
学びと成長の効率を向上させるはずです。

一般的に言われる「必要であろうこと」に関しても
考え無しに受入れるのではなく

自ら取捨選別をして
強みをつくる・伸ばす

というのが
これからは戦略としては重要となってくる
と思っています。

そんなふうにやっていれば
勘違いとか間違い、失敗はあるだろうけど
リスクを払わずに価値を構築するのは不可能です。

その辺は腹を決める必要があるでしょう。

効率の功罪2

効率の向上自体は
悪いことでは無いばかりか
技術の発展とは切り離せず
重要で歓迎すべきことです。

なので学校では
効率良く高効率に欠かせないことを教えます。

が!
教わる方は、その価値は十分理解していないことがほとんど。

当然です。
その手段(知識)だけを教わるからです。
何に対して何が良いのか分かりません。

大工仕事を知らない人に
ノミやカンナを渡しても
どうしたら良いか分からないでしょう。

そんな状態で
何のために理解し
覚える必要があるのかというと
それは
試験に合格するためです。

なので動機としてはちょっと弱い。
試験という一時的なもののためだから。

本当に大事なのは
彼ら自身が効率を向上したいと思うこと。

必要なのは
そう思うための経験でしょう。

そんなことを考えていると
好きな事をとにかくやってみる
という経験が必要なことが理解できます。

もっと効率良くやりたい
もっと良くしたい
と思えるから。

効率良く高効率に欠かせないことを
試験という一時的なことのために習得すると
実用的な知識として残らず

結果として
効率の悪い経験となってしまうのではなかろうか
なんて思うのです。

効率の功罪

効率の良い教育を受けた結果どうなるか

それは
ものを作ったりすると良く分かります。
もちろん、言われたことをやる前提での
ものづくりではありません。
ちょっと思い付く範囲で書いてみましょう。

やったことがないけど
自分がつくりたいものを作る
とか
つくるべきものを考えて作る
とか
想像(創造)力を要するものづくりにおいてという前提です。

効率の良い教育の結果
余計なことをやった経験が少ないので
いわゆる「引き出し」が無い状態になります。

それはまあ仕方ない。
だって経験が無いのだから。

で、そこからどうするか?

色々アイデアを出してみる
とか
色々試してみる…
とはなりません。

なんで?

本人も気付いていないことが多いのですが
恐らく正解じゃないかもしれないからです。

アイデアやトライは
正解である保証はありません。

さらに
多くのアイデアを出すことができません。
発想の初歩段階から視野を狭めて
一つだけ考える
とかになりがち。

発想の初期段階においては
色々と想定して
最初は視野を広げないといけないのだけど

多くの手数を打って
その中から相対的に良いものを選択する
ということにはなりません。

それは効率が悪いからでしょうね。

色々考えて試してみる
つまり
間違えているかもしれないけどやってみるというのは
彼らにはとても難しいこと。

というか
そんな間が方ややり方は
否定されたり禁止されたりするだろうから
思いもよらないことでしょう。

なんか愚痴を言っているようで気持ちよくないですが
問題を解決するために
まずは問題を明確化せねば
というのが今回です。

こりゃまた続いちゃうかも。