教育って何なのだ?3

前回
教育の目的の一つに
「導くこと」
がある
という話をしました。

で、一体どこへ?
という話になるのですが…

凄く奇妙に思えるのは
手段が目的化していることです。

ある科目で特定のスキルを身に付けること
一定以上の点数を獲得すること

それ自体は問題は無いのです。

目的があれば
です。

なぜそのスキルが
なぜその点数が
必要なのか?

それは本来
何かのために必要な
「手段」
のはずでしょう?

本来は「その先」のゴールがあるはずで
そのための手段として
スキルやら知識やらが必要なはず。

しかし!

ゴール無しで
沢山の手段を身に付けて
それによってできそうなことをゴール(職業)として選択する?

それ、おかしいですよ。

そういうのがあっても良いとは思う。
そうしたければ、すれば良いのだけど
そういうケースがあまりにも多い気がするのですよ。

でもたぶん
そうなった理由の一つは
「効率」
です。

効率よく
兵士を量産する教育モデル
が
効率よく
言われたことができる社会人を育成する
という目的にピッタリだった。

そのための手段が
いまだにフルパワーで回り続けていて
空気のように自然に
当然の環境となっている
そんな気がします。

学校に入ったら
まずレールを敷かれて
言われたことをやる

授業は選択できるのだから
そんなことは無い?

いやいや
結局同じですよ。

大抵の授業は
言われたことができるようになるために
言われたことをやるのです。
皆と同じ結果を出すために。

それができれば
怒られないし
恥をかかないで済むし
留年しないし
面倒は起きない。

結果として行動原理は
ネガティブなことが起きないようにするため
になります。

そうやって手に入れた手段を組み合わせて
卒業前に
「これで何ができるかな?」
と考える。

こういった現状に対して
昔から言われるのは
「今の若いモンは」
です。

違うでしょう。
彼らは環境に適合しているだけです。

アレができなきゃダメ
コレができなきゃダメ
できないとお仕置きが待ってます。

赤点、留年、浪人…

そうなったら当然
お仕置きを受けないようにするために行動するのです。

なんか不健全じゃないですか?

そういうのが好きな人は
そうすれば良いのですが
そうじゃない人に対するチャンスが少なすぎます。

あら、また長くなりそうですね。

続く

教育って何なのだ?2

教育の目的の一つに
「導くこと」
があると思います。

思います
というか
まさにそれが目的でしょう。

問題は
「どこへ導くのか?」
そして
「誰が導くのか?」

もちろんそれは
理想へ
となるのでしょうけど
一体誰の「理想」なのでしょうか?

自分の理想なのか
他人の理想なのか

具体的な理想なのか
大まかな方向性なのか

他人の理想に
自分の理想を合致させる
もしくはその逆

チームでやる仕事は
そういうケースが多いですね。

で、導くのは誰か?

先生?
親?
それとも自分?

学校においての「理想」は何でしょうか?
導くのは誰?

と、ここまで考えたところで
現状の学校教育に戻りましょう。

学校では何をしているか?

あらかじめ決められたことを
できるようにする訓練です。

何のために?

試験に合格するためです。

これは言い過ぎ?
そうでもないと思いますよ。

仕事ができる人達の中には
学業の成績が良かった人も含まれるでしょうけど

学業の成績が良かった人が
良い仕事ができるか?
というと
必ずしもイコールではありません。

続く

教育って何なのだ?

似たようなタイトルの記事はすでにありますが
やはりどうにも気になってしまうのですよ。

教え育む
と書いて「教育」

学校では教育をするのですが
「教育って何なのだ?」
と、考えることが良くあります。

言って
やらせる
それが教育である

そういう側面もあるでしょう。
特に義務教育の内容などは
そういうのがあっても良いのかもしれません。

けど、それだけで良いの?
その後もそれで良いの?

言って
やらせる

その結果
言われたことができれば
それは「できた」ということで

上手にできれば
「優秀」
ということになるでしょう。

やるべきことは指示される。
指示されたことができれば良いし
指示されたこと以外はやる必要は無い。

恐らくこれが
効率の良い教育ですよね。
で、多くがそれを望んでいるでしょう。
でしょう?

想定外・範囲外・規格外

そういうのが含まれていると
効率が悪い
とか
失敗だ
ということになりますね。

気になるのは
想定するのも、範囲や規格を決めるのも
自分ではない
というところなのですよ。

そしてもちろん
失敗をハンドリングする経験は得られない。

そんなルールのもと
小学校、中学校、高校、大学
と、16年間も訓練されます。

22歳の大学生なら
人生の70%は
言われたことをやる
という環境だったということです。

指示されたことをやって
さらに
すでに答えが決まっているなら

別に自分じゃなくてもいいんじゃないの?
さらに
そんなのやる必要あるの?

と思っちゃっても無理ないんじゃないかな
と思うのだけど
どうなのでしょうね?

そういう理由もあって
近年、不登校の児童が増えている
ってのもあるのではなかろうか?
と思ったりもします。

まあ、そんな風に思っちゃうのは
私が人一倍お勉強が嫌いで
指示されれるのが嫌いだったからかもしれませんけどね。

誤解が無いように言っておきますが
業務としてのゴールを提示されるのは
まだ良いのですよ。

何がイヤって
手段まで拘束されるのがダメなんですよね。

本当は、ゴールも手段も自分で決めたい。

では、そのゴールや手段に関する知識は
どこからどうやって手に入れるんだい?
という話になりますが。

続く