教育って何なのだ?4

「型」が決まった効率の良い教育では
教育者が「望ましい姿」を決める。

良い学生
正しい進路
望ましい能力

そこへ効率よく導くために
教育を標準化する。

教材や課題
評価
成功への道筋

当然ながら
学生は与えられた正解(とされるもの)を選ぶようになる。

それは何のためか?

失敗を回避するためだったり
他人の期待に適応するためでしょうね。

その結果
自分の理想を持ち
それを試す機会は減るでしょう。

その枠組みが強化されれば
多様性が無くなるでしょうし
主体性が育ちにくくなったりするでしょう。

問題なのは
教育者が決めた
「望ましい姿」は
今でも本当に望ましいのか?
ということです。

そもそも
望ましい能力は
かつてのように
単なる特定のスキル「だけ」では
無くなってきていると思います。

近年では
テクノロジーや環境の進化が早くて
それに応じて
人も変化する必要があるから。

新しいアイデア
それにチャレンジする勇気

そういったものが必要になるはずだけど
(実は昔から必要なのだけど)
「型」が決まった環境で訓練されれば
変化には弱くなるでしょうね。

あらかじめ決められたことが起こらなかったり
決められたものが提供されなかったり

そういった変化に
臨機応変に対応する力を養う機会は減っているし

そういう局面に対応できるようになりたい
というニーズも無いのではないかな?

それで果たして
社会のニーズに応えている
と言えるのか?
本人はハッピーになれるのか?

これは大いに疑問です。

続く

教育って何なのだ?3

前回
教育の目的の一つに
「導くこと」
がある
という話をしました。

で、一体どこへ?
という話になるのですが…

凄く奇妙に思えるのは
手段が目的化していることです。

ある科目で特定のスキルを身に付けること
一定以上の点数を獲得すること

それ自体は問題は無いのです。

目的があれば
です。

なぜそのスキルが
なぜその点数が
必要なのか?

それは本来
何かのために必要な
「手段」
のはずでしょう?

本来は「その先」のゴールがあるはずで
そのための手段として
スキルやら知識やらが必要なはず。

しかし!

ゴール無しで
沢山の手段を身に付けて
それによってできそうなことをゴール(職業)として選択する?

それ、おかしいですよ。

そういうのがあっても良いとは思う。
そうしたければ、すれば良いのだけど
そういうケースがあまりにも多い気がするのですよ。

でもたぶん
そうなった理由の一つは
「効率」
です。

効率よく
兵士を量産する教育モデル
が
効率よく
言われたことができる社会人を育成する
という目的にピッタリだった。

そのための手段が
いまだにフルパワーで回り続けていて
空気のように自然に
当然の環境となっている
そんな気がします。

学校に入ったら
まずレールを敷かれて
言われたことをやる

授業は選択できるのだから
そんなことは無い?

いやいや
結局同じですよ。

大抵の授業は
言われたことができるようになるために
言われたことをやるのです。
皆と同じ結果を出すために。

それができれば
怒られないし
恥をかかないで済むし
留年しないし
面倒は起きない。

結果として行動原理は
ネガティブなことが起きないようにするため
になります。

そうやって手に入れた手段を組み合わせて
卒業前に
「これで何ができるかな?」
と考える。

こういった現状に対して
昔から言われるのは
「今の若いモンは」
です。

違うでしょう。
彼らは環境に適合しているだけです。

アレができなきゃダメ
コレができなきゃダメ
できないとお仕置きが待ってます。

赤点、留年、浪人…

そうなったら当然
お仕置きを受けないようにするために行動するのです。

なんか不健全じゃないですか?

そういうのが好きな人は
そうすれば良いのですが
そうじゃない人に対するチャンスが少なすぎます。

あら、また長くなりそうですね。

続く

教育って何なのだ?2

教育の目的の一つに
「導くこと」
があると思います。

思います
というか
まさにそれが目的でしょう。

問題は
「どこへ導くのか?」
そして
「誰が導くのか?」

もちろんそれは
理想へ
となるのでしょうけど
一体誰の「理想」なのでしょうか?

自分の理想なのか
他人の理想なのか

具体的な理想なのか
大まかな方向性なのか

他人の理想に
自分の理想を合致させる
もしくはその逆

チームでやる仕事は
そういうケースが多いですね。

で、導くのは誰か?

先生?
親?
それとも自分?

学校においての「理想」は何でしょうか?
導くのは誰?

と、ここまで考えたところで
現状の学校教育に戻りましょう。

学校では何をしているか?

あらかじめ決められたことを
できるようにする訓練です。

何のために?

試験に合格するためです。

これは言い過ぎ?
そうでもないと思いますよ。

仕事ができる人達の中には
学業の成績が良かった人も含まれるでしょうけど

学業の成績が良かった人が
良い仕事ができるか?
というと
必ずしもイコールではありません。

続く