「型」が決まった効率の良い教育では
教育者が「望ましい姿」を決める。
良い学生
正しい進路
望ましい能力
そこへ効率よく導くために
教育を標準化する。
教材や課題
評価
成功への道筋
当然ながら
学生は与えられた正解(とされるもの)を選ぶようになる。
それは何のためか?
失敗を回避するためだったり
他人の期待に適応するためでしょうね。
その結果
自分の理想を持ち
それを試す機会は減るでしょう。
その枠組みが強化されれば
多様性が無くなるでしょうし
主体性が育ちにくくなったりするでしょう。
問題なのは
教育者が決めた
「望ましい姿」は
今でも本当に望ましいのか?
ということです。
そもそも
望ましい能力は
かつてのように
単なる特定のスキル「だけ」では
無くなってきていると思います。
近年では
テクノロジーや環境の進化が早くて
それに応じて
人も変化する必要があるから。
新しいアイデア
それにチャレンジする勇気
そういったものが必要になるはずだけど
(実は昔から必要なのだけど)
「型」が決まった環境で訓練されれば
変化には弱くなるでしょうね。
あらかじめ決められたことが起こらなかったり
決められたものが提供されなかったり
そういった変化に
臨機応変に対応する力を養う機会は減っているし
そういう局面に対応できるようになりたい
というニーズも無いのではないかな?
それで果たして
社会のニーズに応えている
と言えるのか?
本人はハッピーになれるのか?
これは大いに疑問です。
続く
