以前、陰陽についての記事を書きました。
陰があれば陽もあって、それらはセットになっているとか
ものごとの多面性とか
そういう内容でした。
学校で学生の成長を見ながら日々を送っていると、そういったことを実感します。
例えば…
お年頃の学生達は、面倒なことをしたくない。
私も経験があります。山ほど。
で、やるべき事の先送りをしがちです。
先送りしたときは、労力的には楽になります。
気持ちはモヤモヤするでしょうけど。
しかし
初動の段階で重要なことを先送りしても
というか、先送りすると
後で必ず相応の、というか、先送りした分ブーストが掛かった何かが起きます。
その「何か」は、どうにもなりません。
選択の余地無く受け入れるしかない「何か」です。
それを究極の選択とも言いますね。どちらも選びたくないけど、どちらかを選ばなければならない選択です。
で、トータルで見ると、楽でもないし、得もしなかったね、ということになる。
初動の段階で楽ができた
でも、結果としては選択の余地無く好まざるものを受け入れるしかなかった。
労力と精神的なストレスという違いはあれど、これらを均して見ると、プラスマイナスゼロ
というような感じになる。
対して、初動が早ければ、残された時間も長いわけで、自ずと成果を出しやすい状態になります。
初動の段階では大きな労力を払って、その結果、相応の成果を得る。
ごく当たり前のことですね。
この場合
初動の段階で労力を払った
その結果として相応のものを得た
ということで、これも全体を均して見ると、プラスマイナスゼロという見方もできる。
なので当然、やるべき事をとっととやった方が良いわけです。
とはいえ
それができたら苦労しないよ!
ですよね?
小学校の夏休みの宿題状態です。
これを解決するのはシンプルです。
我々は、幼少の頃から成人するまで、「言われたことをやる」という経験ばかりで、収入確保兼社会勉強としてのアルバイトだって、基本的には言われたことをやるのが仕事です。
そんな状態では、選択の余地なんか無い…ような気がしてくるでしょう?
社会に出たら、アルバイト以上に「やらされる」のが仕事だって思うでしょう。そうなるのだ、って。
まぁ、そういう人もいますけどね。
その結果、心は「できればやりたくない」に落ち着く。
やりたくないことをうまいことやる、なんてのは無理な話です。
では、どうするか?
自分がやりたいことに関しては、とにかく早くやりたいとか、とことんやりたいって思うでしょう?
そういう状態、好きなことだから意識していないけど、すごく労力を払えるのですよ。
それこそ寝食を忘れるほど。
なので、「やりたいこと」と「やるべきこと」をいかに合致させるかというのがポイントなのです。
それは学校においても、仕事においても。
「やりたいこと」と「やるべきこと」の合致ができればハッピーなのですが、そういうのは、能力の話として片付けられることが多くありませんか?
これ、能力じゃないのですよ。
いや、能力と言ってしまっても良いのかもしれませんが。
結局のところ
いかに好きなことをやるか
と
いかにやっていることを好きになるか
この二つが大事なのです。
好きなことでいくぞ!と選ぶには勇気が必要だし、それを価値あるレベルまで引き上げるには労力が必要。
やっていることを好きになるには工夫が必要だし、労力も忍耐力も必要でしょう。
何事も良いことばかりじゃ無いのですよ。
いつかは何かを払わなければならない時が来る。必ず。
それがリスクです。
であれば、それを自分で決めるのか
それとも、受け入れざるを得ない究極の選択がやってくるのを待つか
どちらを選ぶのも自由です。
払ったものは、後に必ず何かしらの形で帰ってきます。