これからの人材育成方針

AIの発展と普及に伴い、いわゆるホワイトカラーの人員削減と同時に、ブルーカラーの給料が上がり、志望者も増加…
アメリカでは、そのような流れになりつつあるそうです。

まぁそうでしょう。
すでに我が国も他人事ではない社会状況になりつつあります。

介護士が、大工が、自動車整備士が、配管工が…
などなど、現場仕事は深刻な人材不足。

ということは、やはり同様に
ブルーカラーの給料の上昇
という流れになるのではないかな。

今や大学進学が50%を超え、大学院への進学も増加しており、彼らはホワイトカラーの仕事を望んでいるのだろうけど、果たしてどうなるか。

日本は、人材育成について真剣に考えるべきターニングポイントに来ていると思います。

企業は、とにかく頭数が足りないので、採用はするでしょう。

しかし
少人数で、生産性や、付加価値の向上をしなければならないのが現状。
で、従来のように、じっくり育てる余裕が無い。
先輩社員による指導にも限界があるでしょう。

「言われたらやる」「素」の人材は、単純に組織の負荷になってしまう可能性が高いと思っています。

で、それに対してどうすべきか。
あくまでも夢工房の狙いですが。

即戦力か、チャレンジしながら主体的に成長し、仕事を楽しめる人材を育成するのが必至です。

現状、主体性を養う教育環境はあまりに少ないと思うので、恐らくこれは間違いない。

そしてもう一つ。

ホワイトカラーでも、ブルーカラーでも、突き抜けた能力を持つなら、それは強みになります。
それは再現型思考や、想像型思考も同様でしょう。

しかし、それらの領域にとらわれず、境界を自由に動ける人材育成。
これを狙うべきだと思っています。

ちょっと分かりにくいですかね。

頭だけではなく、手を使ってやってみて、「手で考える」ような人材です。
もっと分かりにくくなりましたか?
でも、そういう感じです。

主体性に関する問題の構造

話は主体性に戻ります。
やはり核心はここでしょうから。

ニュージーランドで得た知見は、ここに向けて組み立てる必要があります。

さて、主体性が弱くなる構造(典型的プロセス)はどんなものなのでしょう?
それを明確にして、ひっくり返す必要があります。

何度か言っていますが、子どもは元々かなり主体的。
ですが、環境によって変わってしまう。

他からコントロールされることが日常になると
「何のために」とか、「どうすべきか」は、自分で考えるべきことではなくなる。
本当は、それこそが考えることの核心なのに。

自分の外、つまり他人の頭の中にある「正解を当てること」がいわゆる「学習」の中心。
それをやらせるのが「教育」。

正解が外れた場合の、失敗のペナルティがあれば
試すより安全な行動を取りたくなる。

つまり、失敗するリスクを取らず、チャレンジせず、言われたことをやる。
そして、心の片隅には、常に「できればやりたくない」がある。

これは主体性が無い状態になるのは当然ですね。
むしろ、主体性があると回らなくなる。

主体性を発揮する生き方をしたい人にはキツイ状態でしょう。
近年の不登校の増加には、こういったことも原因になっていると思います。

やるべきことを決められて、やらされる

できればやりたくない
or
最低限にしたい

それは当然。

夢工房は

やりたいことを、できるところまでやりたい

と思う学生のための環境です。
それを磨いていかねばなりません。

創造型思考のために

昨日の記事で
再現型思考
創造型思考
の二つの話をしました。

開発の仕事をする人などは、創造型思考を持つ場合が多い。
というか、ほとんどがそうでしょう。

でも、そんな人でも最初から創造型ではなかったりします。
だって、学校では再現型思考のトレーニングをしているし、受験に成功するためには、再現型思考を磨くしかないのですから。

その結果、再現型思考に留まり続ける場合もあれば、変わる場合もあるということです。

では、変わるのであれば、何をきっかけに変わるのか
もしくは変わらないのか
そこが興味深いところです。

創造型思考にシフトするためには、原因が必要です。

知的創造には知識が必要となるのが間違いないのは当然なのですが
ただ、知識があれば創造型思考に繋がるというものでは無いというのが難しいところ。

なので、それ以外に原因が必要ということです。

で、それは環境ではないかな
と思うのです。

夢や希望を持てる環境
ゴールを設定したくなる環境です。

ただそれも、単に待っているだけではダメで、探して、掴みに行って、試してみる必要があるでしょうね。
理想的な環境が無ければ作ればいい。

誰かのせい、何かのせいにしても、何も変わりません。

その辺もウェルビーイングに繋がってくるのではないかな。