色々やっとけ

この先
「色々やる」
というのが重要なキーワードの一つになるだろう
というお話しです。

それはなぜか?

みんな「やらされすぎ」だからです。

言われたことをやる
言われたらやる
言われなければやらない

そんな感じでしょう。

無理もありません。
やらされすぎたら
できればやりたくなくなる。

どうせやるなら
限定した領域でとか
最小限でとか
余計なことはやりたくないとか
そういうことになるでしょう。

もうこの時点でアイデアが必要な
クリエイティブなことは難しいでしょうね。
残念ですが。

で、ここが現状。

多くの要素やアイデアから磨かれて
ミニマルになったものは美しいですが
そもそもの出発点がミニマムでは
磨きようがなく、何者にもなりようがありません。

大きな原石を割っていって磨けば
美しい宝石になるかもしれませんが
砂粒を磨いて美しい宝石を手に入れることはできません。

一応言っておきますが
こういう状況になってしまったのは
当事者である若い世代のせいではありません。
環境を作った年長者の責任です。

しかも悪気は無いどころか
良かれと思ってリスクを排除して
あーしろ、こーしろ
と言って
彼らを導こうとした結果でしょう。

その結果

何のために?
なぜ?

といった
クリティカルな部分

考える必要が無くなるのです。

だって、指示側が
それら全てを考えた上で指示しているのですから
指示される側が主体的に考えることは許されません。

主体的に考えて
間違えたら
失敗したら
一体どうすんの!?
余計なこと考えるな!!

となると
指示される側は
クリティカルなことを
考える必要は無くなります。

受けた指示を正として
余計なことはせず
受け止め実行するのみ。

出された問題を解く
というシーケンスを延々と繰り返して
無駄が無く効率的な
コスパが良い教育を受けて
社会に放り出されるわけです。

でもそれでは
全く面白くなくて
結局は誰のためにもならない
ということが明らかになる時が来るでしょう。

ちなみに
すでにそれは問題になっていますが
明らかになっていないだけです。

というわけで
「色々やる」
が突破口になるだろうな
と思ってます。

ま、突破したい人にとっては
ですが。

チャンスを掴まなきゃ始まらない

ますます先の見えない世の中になりつつある昨今

当然ながら世の中は二極化していく
と見ています。
「お金」に限らず様々なことで
です。

やるべきことが決まっていれば
皆、やれば良いだけの話です。

でも、やるべきことが分からなければ
やれない人
それでもやる人
と、分かれます。

やるべきことが分からない人は
もっともらしい他からの情報を受け止め
それに従う。

しかも多くが似たような事をする。

皆がやっているのだから
その方が安心感を得られます。

でも、皆がやってることって
どれだけ価値があるのでしょうか?

皆がやっていれば安心なのでしょうか?

そもそも
安心を求めると安心が手に入るのでしょうか?
本当に欲しいのは安心なのでしょうか?

でも、何をどうしたら良いか分からないのに
何をどうしたら良いのか?

何でも良いからやってみたら良いんじゃないの?
と思います。

身の回りを見渡せば何かあるでしょうけど
それらを「チャンス」として見られるかどうかで
何が見えるかは変わります。

というのも
ここでやるべきことのフィルタリングが始まるからです。

できるだろうか?
失敗しないだろうか?

そして、うまくいかない可能性があるものは
無意識かつスピーディーに排除され
それらは見えません。
意識に上がってこないから。

ここで起きているのはリスクの回避で
リスクを排除し切ったものはチャレンジではなく
誰でもできることになってしまいます。

結果として
当たり前で確実なことを求める
これは一見当たり前のようです。

しかし、リスクと価値はトレードオフです。

果たしてリスクを排除しきったものに
感動や喜びはあるのか?

リスクの排除からスタートする思考では
チャンスは見えません。

チャンスは掴むところからスタートするべきで
リスクは後にマネージメントすれば良いのです。

夢と動機と目的と

2月に行ったニュージーランドの視察時に取ったメモを何気なく見ていたのですが
大事なことが書いてありました。

ニュージーランドは動機付けが強力

ガッチリ勉強するのは動機付けの後
日本は逆

目的が明確
手段は自由

説明しましょう。

ニュージーランドは
やりたいこと、好きなことに
夢中になるフェーズが最初にあります。

と同時に
将来は何をしたいか
というのもかなり明確になっています。

もちろんそれは
外発的動機
つまり他からの押しつけではなく
自ら選んだものです。

高校生以下で
自らの意思で動機付けが完了しています。
これは強い。

そんな調子で
好きなことをガンガンやっていって
その先に、大学で学ぶ必要があるのであれば
入学に必要なことを学び、必要なポイントを取ります。

ちなみに、大学入試はありません。
必要な分野のポイントがあれば入学できます。

受験が目的化していません。
大学に行くのは
やりたいことをやるための手段です。

その「やりたいこと」が目的なので
何をやりたいか分からない状態で学んでいる
というようなことは無いでしょう。

学びには動機があるということです。

日本は受験が目的です。
大学に入るのも目的で
一流企業に入るのも目的です。

学びはゴール到達のための手段のはずです。

しかし
動機が無いまま
それが目的化しています。

動機も無いまま
言われたことをできるようになる必要がある。

これはツライ。
というか
そんなことできるなんて凄い。

目的が明確になっていないなら
何が必要かも明確ではないわけで

だったら念のため、広い範囲のことを
徹底的にやっておきますか
みたいなことになるのですかね。

それを
「選択肢が広がる」
と言ったりするのかな。

私は、そういうのは無理です。
動機も無いことをできるようになれ
とか言われちゃうと

何を無茶なこと言ってんですか?
となってしまう。

で、「選択肢が…」とか言われても
特に強みも無い状態で
選択もヘッタクレも無いんじゃないの?
そんなヤツ選ばれる必然が無いだろう
と思ってしまうのです。

たぶん先生達は
動機無しでも勉強ができるとか
勉強そのものが目的だったとか
そういう人が多いのではないかな。

学者さんとか先生になるためには
お勉強ができる必要があるのだろうから
まあ、納得ですよね。

で、学者にも先生にもなりたいわけでは無い人に
同じやり方をしなさい
ってのも、なかなか苦しいですね。

あ、私も肩書きは学者なのでした。

でも私の場合は
学者になりたくてなったわけでは無くて
そもそもエンジニアであって
好きなことをやっていて
いろんな方のお力添えがあって
気付いたら今の位置にいたわけで
まあ、そんなのもアリなのでしょうかね。

そんな背景もあるので
学生達には
本当に欲しいものを手に入れる方法を身に付けて欲しいのです。

そして
本当に欲しいものを手に入れる機会の一つが
Formula SAEだったりするのです。

でも、大変残念なのは
高校まで
リスクを回避しながら言われたことをやる
というトレーニングをみっちりされてくると
大学で急に変わるのは凄く難しいようです。

好きなことをガッツリ学んでくる連中は手強いです。

この現状を何とかしたいのですよ。