二極化の時代の過ごし方

社会の二極化
これ、たぶん来ちゃいます。

かつての日本は「一億総中流」なんて時代がありましたが、それには原因があったわけで、今やそういう状況ではありません。

日本はアメリカの5年とか10年後を追っている、なんてのは昔から言われてきたことです。
なので、来るでしょう。
というか、もう来てる?

この「二極化」ですが、大抵は経済的な状況を指します。
ですが、そこには原因があって、それは考えるまでもなく「人」です。
価値を生み出せる人と、生み出せない人に二極化するということです。

そこには色々と要因があるでしょう。
それらの中で、自力で解決できるものもあるはず。
そして、それらの多くはメンタルとかマインドに根ざしている。

「できる」と思っていればチャレンジできるし
「できない」と思っていればできません。

そして、どう思うかは自由なのですが、環境からの影響は大きいはず。

情報社会が災いして、経済や雇用に関する不安とか、世界規模の不安定な情勢とか対立に関する情報を大量に目にします。

そんな情報を無自覚に受け止めていたら、未来に対する不安とか、行き詰まり感とかを感じて、気力が萎えるのも分からなくもない。

そう。先が見えないのは不安で萎える要因になり得ます。
外部からの情報に対して、単に素直に受け止めていたら、そうなるでしょう。

なので工夫が必要です。

まずは受け止める情報をコントロールすること。選択しましょう。
そして、ものごとには多面性があることをお忘れなく。
色んな角度から情報を検証して、都合の良いように利用しましょう。
もちろん、内的動機を発動できるように、です。

考え方としては
「どうなっちゃうか」
ではなく
「どうしたいか」
です。

つまり、自身でゴールの設定をしましょう、ということです。
これ、凄く大事です。

動機の内外について

このところ何度か記事にしている

内的動機で動くか
外的動機で動くか

これ、優劣の話でもなければ、善悪の話でもありません。
それぞれ果たす役割が違うということです。

両方いてくれないと困るのです。
そして、どちらを選ぶかは自分次第。

そう、自分次第なのですが、これが以外と厄介な問題なのです。

頭では「こうしたい」と思っていても、結果として内的動機で自律的に動けるかというと、なかなか思い通りにならないことも多い。

私は、外的動機で動くのが嫌いです。
本当にイヤ。

では、内的動機が十分に発動するかというと、これまた難しかったりもする。
それはなぜか?

面倒だからです。

多くの場合、内的動機が十分に発動しない原因は「面倒だから」だと思っています。
別に「面倒だなぁ」と考えたり、思い悩んでいるわけではなく、考える以前に行動が先送りになったりしています。

無意識に誘導されて、ものごとを先送りにして、最終的にいわゆる「究極の選択」(どちらも選びたくないけど、一方を選ばざるを得ない状況)をせざるを得ない。
そんなことが起きたりします。

あなたはどうですか?

この意識せずに「面倒」が発動するのは「無意識下で」ですよね。
これ、習慣に根ざしているということです。

無意識をバカにしてはいけません。
意識の外なので、気付けないし、自動発動で、抗うのが難しいからです。

なので、解決するには習慣を変える必要があります。

習慣を変えるには、意識的に繰り返し行動することが必要です。
それが意識せずに実行できるようになると、その時点で習慣の上書きがされているということです。

が!
それを実行するにも動機が必要。
できれば、それも内的動機が良いですね。

そんなことを考えていくと、鶏が先か卵が先かとか、マトリョーシカみたいです。
グルグルグープしちゃいそうです。

というわけで、何か原点となるものが欲しいですね。

それがゴールの設定です。
そして、それは自分にとって魅力的なものである必要がある。

と、そんなことを考えてみました。

学びのカタチ

学校では
色々知って、色々やって
でも、「色々」があまりに多くて
しかも、動機が無いままなので必要性も感じられず
せっかく覚えた四職やスキルを、どう使うかも知らないし
そもそもテストをクリアするために覚えたわけだから
喉元過ぎればなんとやらで
結果として、すぐ忘れちゃうし、あまり役に立たない。

そういうやり方のほうが安心する人はいるでしょう。
というか、そういう人の方が多いのかもしれない。

お金(授業料)払ってるのだから、その分(知識などを)もらわないと
って感じで。
うん、それは分かる気がする。
ビジネスのカタチとしては、凄く説得力がありそうに見えます。

が!

確かにお金を払った分、何かをもらったとしても、それの使い方が分からなくて、必要性が感じられなかったらどうでしょうか?

例えば…

自動車が好きで、自動車の開発者になりたくて、機械系の大学に入って勉強したら、果たして自動車の開発者になれるでしょうか?

もっと端的に言うと

果たして在学中に、自動車の開発に関する何かしらのスキルが身に付くでしょうか?

授業だけでは無理です。
これは絶対と言っても良いかもしれない。

目的が無いまま基本を学んで、沢山学んで…
それらを寄せ集めれば、きっと何とか…
…なりません。

いくら技術的な計算ができても、いくら綺麗な図面が描けるスキルがあっても
それらをどう使うか分からなければ、何も起きません。

いくら切れ味の素晴らしい包丁を持っていても、最高の調理方法を知っていても
実際に料理をした経験や、最終的にどうしたいかというビジョンや内的動機が無ければ料理はできません。
それと一緒です。

目的が無いものに熱意が発動されるわけがない
熱意も無いのに本当に必要なものが身に付くはずはない。

こういった状態に対する解決方法はすでにあります。
Formula SAEなどの、ものづくりのコンペティションです。

どうしても勝ちたい!
から始まって、まずはやってみれば良いのです。

すると、足りないものが見えてくる。
それがどうしても手に入れたければ、手に入れればいい。
それでグイグイレベルを上げていけば良いと思います。

ほら、そこには明確で健全な動機があるでしょう?
そうやって学んだものは決して忘れませんから。

夢工房では、ずっと昔からそうやってきました。
人材育成としては、上々の成果が出ていると思っていますが、何せこういったことは定量化できません。

でも、こういう選択肢がもっとあってしかるべきと思うのですが、どうでしょうか?

ちなみに、この場合
教員は知識を押し込む役割ではなく
相手を信じて、待つ
そして、アドバイスや評価などなど
環境の一部ということになりますね。