動機の話

我々は
なぜ
何のために
行動するのでしょうか?

行動原理ってヤツですね。

まあ、時と場合によって色々でしょうが
あなたはどういうケースが多いですか?

我々は、子供の頃から
宿題やら何やら
やらされることが多いです。

なので
締切に間に合わなかったらどうしようとか
点数が取れなかったらどうしようとか
できなかったらどうしようとか

そんな恐怖を避けるがために「やる」
つまり、行動の理由
つまり動機が「恐怖」

そして
自ら進んでやっていることより
やらされていることの方が
多かったりしますね。

言われたから
しかたなく「やる」

恐怖を回避するために
しかたなくやる。

そういう経験も必要だとは思います。

でも、そういう経験ばかりだと
その行動原理が習慣になります。

するとどうなるか。

ゴールは恐怖から逃れること
になります。

何が得られるかというと
最大限でも「安心」です。

安心、結構なことじゃないか!
と思いますか?

そうでもないですよ。

最大限に成功すれば
安心が手に入るかもしれませんが
人のやることなんて
大抵はちょっと不足が出ます。

なので
安心すら手に入らない
ということになりがちです。

やはり
ワクワクすることにチャレンジする。
これでしょう。

手に入るのは
喜び
です。

ちょっぴりうまくいかなくても
そこそこのものが手に入ります。

小さな喜び
充実感ややり甲斐
「ここまでできた」という自信
などなど

もちろん
ワクワクすることにチャレンジしたところで
壁にぶつかったりして
困難はあるでしょう。

でも頑張れ!
これで解決だ!
と言いたいところですが
ここで問題が発生します。

恐怖が行動原理になっている人は
チャレンジ中の困難すら避けようとします。

せっかくワクワクすることにチャレンジしているのに
しかたなく最低限のことをやろうとしてしまったりする。

結果、手に入るのは
安心未満の体験です。

恐らく本人も意識はしていないと思います。
習慣ですからね。

でも、動機をどのように設定するかなんて
個人の自由で、考え方、気持ち次第です。
能力の問題では無いのです。

結局
心の持ちよう一つで
結果は大きく変わるということです。

見えないものの価値

いわゆる「センス」
とでも言うべきでしょうか。
「第六感」なんてのは
まさにそういうものですが

非言語的な能力は
言っても
見せても
伝わらない
なので
手に入りにくい。

まあ、文字にできないのだから
当然です。

ほとんどは
やってみて
繰り返して
習得するものです。

経験知とか暗黙知とか呼ばれるものですね。

なので当然ながら貴重なものです。

ものを作る場合なんかは
経験知が効いてきますね。
経験値も効きますが。

ですが最近は
そういったものが軽視されているというか
軽視されても何とかなるというか…
そんな感じになってきた気がします。

決してそれらの価値が無くなったわけではないのですが
「見えるもの」が幅を利かせてきたというか。

まあ生成AIなんて
まさに文字や画像といった
見えるものの世界ですしね。

学校などは
まさに形式知100%の世界です。
全部教科書に載ってますし。

暗黙知とか経験知とか言ったところで
これらは評価できません。
見えないのだから。

なので、知っていても分かっていても
成績上は得しません。
1点にもならない。

そもそも
皆が同じようにできなければいけないので
見えないもの
言語化できないもの
なんてのは
お呼びじゃありません。

皆がやっていることを
できるようにならなければならない。

しかし
ひとたび社会に出れば
価値を持つのは「見えないもの」です。

見えるものなんて
誰でもできるのだから。

学生のうちから
そういったものを
手に入れる経験ができると良いのですが
そんなの誰も欲しがらないのですよ。

簡単じゃないし
誰もやってないから。

学校も
そういったものを身に付けさせようとはしない。

面倒だし
そんなのやれって言われてないから。

と、愚痴をこぼしているようですが
違います。

ここにチャンスがあるのですよ。

次世代のために

今日はスーパーフォーミュラの某チームで
レースエンジニアをしている卒業生が来てくれました。

彼の場合
「今日は」というか
「しょっちゅう」ですけどね。
夢工房の現役生に指導してくれるので助かります。

彼と話をしていて
ハッとしたのは…

無料でレースを見られないと
レース人口増えないよな
ということです。

私も彼も
幼少期にTVの地上波で
(当時は地上波しかありませんでしたけど)
レースを見ていたのが入り口でした。

私はクルマもバイクも大好きですが
幼少期は、全く自覚がありませんでした。

で、自覚が無いまま
TVで往年の名ドライバー
星野一義さんや中嶋悟さんの
レースを何となく見ていました。

特に週末に雨が降って
外で遊べないときですね。

確か小学生か中学生か
その頃です。

そんな状態でも
クルマが好き
という自覚はありませんでした。

小学校の通学路には
ホンダのバイク屋さんと
ハーレーとBMWを扱うバイク屋さんがあって
特にバイクが好きという自覚があったわけでも無いけど
きれいだなー
カッコいいなー
と毎日見ていました。

こんなふうに
労せず、何となく視野に入ってくる
というような経験があったわけですが…

これ、まさに「刷り込み」ですね。

今やF1もMotoGPも
無料で実況を見ることはできないので
本当に好きなだけ人が
お金を払って見ている状態。

それじゃ、興味の入り口にはなりえませんよね。

なるほど
これじゃレース盛り上がらないわ。

好きになる前は
好きじゃないわけで

次世代のためには
そういう状態でも
視野に入る機会が無いとね。
と思った次第です。