主体性の育み方7

今回のお話しのゴールはこれです。

自分でゴールをセットして
チャレンジできるようになるべし

そして、それを妨げているのはこんなこと。

他から与えられた目的や動機に対して
正解とか不正解とかやっていると
不正解とか失敗を避けたくなる。
「正解の外に出る力」は育ちにくい。

そして
本人が考える前に
望む前に
差し出してしまう
レールを牽いてしまう

それは主体性を失うためのトレーニングでもあるし
やればやるほと失敗を恐れて
失敗すらしないようにするために
チャレンジできなくなる。

いわゆる
ノートライ・ノーエラー
が起きがち。

もちろん
目的と手段の入れ替えが起きるとか
ゴールの設定ができなくなるとか
そういうことにもなります。

ではどうしましょう?

主体性を育むためには
こんな循環が必要なのではないかと考えます。

興味・好奇心
面白そう、やってみたい
まずはココから

自分で選ぶ
自分でそれが決める
小さなことでも

分からなくても
失敗しても
暫定で動く

実際にやってみる
成功も失敗も経験する
経験の数を重視する

どんな結果でも
発見があるはずで
自分の行動が
「何かを変えた」
という実感を得る

もっとやってみたい
次の挑戦を自ら考えて
新たな興味と自己決定で循環する

そういうことができる環境が必要でしょう。

今年の2月に行ったニュージーランドの
とある高校の校長先生が言っていた
「大事なのは学びとスリルなのよ」
という言葉が実に的を射ていると思いました。

この場合の「学び」は
Learnであって
Studyではありません。

自ら決めてチャレンジして
経験を身に付けていく
そういうことです。

リスクを自らコントロールして
楽しみながらスリルと上手に付き合っていく
そういうことでしょう。

このネタはこの辺にしておきましょう。
何か思い付いたらまた書きますけどね。

主体性の育み方6

主体性が不要となる原因の一つは

失敗しないように
間違えないように

という親切心であり親心でしょう。

教員として言わせてもらえば

聞かれたことに正しい答えを返せる
言われたことができる

そういう学生になって欲しいわけで
言ってみれば
授業が効率よく進むための能力獲得
かな。

それが果たして
実社会で求められる能力なのかはさておいて
ですが。

さておくなよ!
という感じですが。

で、この場合重要なのは

失敗しないように
間違えないように
聞かれたことに正しい答えを返せる
言われたことができる

というのが、果たして誰のためなのか?
それらのゴールは何なのだ?
というところです。

そんなのは簡単で
指示する人を安心させて
満足させるためでしょう。

指示する人がハッピーになれば
指示された側もハッピーになるでしょうね。

しかし多くの場合それは
学校や家庭という
限定されたフィールドにおける短期的なものです。

しかし皮肉なことにそれが

考える経験
実行する経験
その結果に対する自己評価と改善

そういった機会を奪っていて

結果として
自分で考えられない
決められない
行動できない

ということが起きる。

言われたことしかやらない
言われないとやらない

そうなるのは当然かもしれない。

それが極めて上手にできるのであれば
テストで満点が取れるでしょうから
家庭でも学校でもハッピーでしょう。

しかし、それが社会から求められているかというと
決してそんなことは無いわけで
他から必要とされなければ
それはハッピーではありませんね。

とはいえ、本人はどうなのかというと
天井は自分の価値観で決めているので
「そんなもんだ」と思うなら
満足できるかは別として
納得はできるのかもしれません。

続く

主体性の育み方5

効率よく正解を求めることを要求するシステムの中では
学ぶ内容(手段)にばかりフォーカスされているので
そもそも動機が主体的では無いわけで

効率よく正解を求めようとすればするほど
不正解が及ぼす結果にもフォーカスされて
主体的に動けなくなる。

問題は動機であり目的だ

もちろん動機無しで動ける人がいても良い
目的無しに手段にこだわる人がいても良い

良いのだけど
そればかりでは困ったことになるでしょう。

今や特に珍しい話ではないのだけど

やりたいことを探すために大学に行く
とか
色々学んだ末に
できそうなことを探して就職を決める
とか
自分が何をやりたいのか分からない
とか…

そんなことになっていたりする。

やりたいことができるようになるために
学校に行く必要がるのでしょう?
義務教育は別でしょうけど。

と、ここまで書いて思ったけど
きっと義務教育の時点で
うまく離陸できていないのはないだろうか。
やりたいことが定められないのでは?

子供のうちの将来の夢は

スポーツ選手とか宇宙飛行士とか
お花屋さんとかパン屋さんとか
一見幼稚と捉えられがちな夢があったりするのだけど
その時点で何が起きているのかな。

「じゃぁ、たくさん勉強して良い大学に入らないとね」
「そんなの儲からないからやめときなさい」
のような事が起きていないだろうか?

別にアドバイスすること自体は悪いことではない。
ここで言いたいのは

本人が求めていないことを
本人が考える前に
一方的に突っ込もうとしていないだろうか?

ということです。

自分の夢を設定して実現するためにはどうすべきか?

最初は分からなくてもできなくても良いし
それが当然だと思うのだけど

自分が求めることについて考える
これは主体性の「本体」と言っても良いことでは?

まず自分で考えてみる
とか
まず何かやってみる
といったような主体性な経験を
奪う環境になっていないだろうか?

分からないし、できない人が考えたことややったことは
間違えたり失敗したりするのが当然なのだけど
そのプロセスをすっ飛ばして
最初から間違えないように
失敗しないように導こうとしていないか?

どうでしょうか?

そんなことをしていたら
主体性なんて必要なくなるのは当然でしょう。

ちなみに
「主体的になりなさい」
と指示すること自体が矛盾を孕んでいます。

他人に言われてやるのなら
それは主体的ではないのだから。

主体性は、主体的に行動する経験によってしか育くむことはできない。

そして当たり前だけど
主体性があるから主体的に行動するのではなく
最初から十分に持ち合わせていなくても
それでも考えて
それでもやってみて
主体的に行動する経験を通じて主体性が育つ。

主体性が十分ではない学生に対して
どのように自分の意思で行動する機会を作るのか。
それが現状に対する課題だと思います。

そして
それこそが教育と言っても良いのではないか
とも思います。

まだ続く…かも