学びの本質

そもそも
「何のために学ぶか」がズレているのではないか
と思っています。

本来、学習は成長そのものであるのが理想でしょう。
「成長」とは学力でしょうか?
学力が含まれていても良いと思いますが、イコールでは無いはずです。
現実世界の課題を解決するために学んでいるのですから。

その「課題」とは
将来の職業であったり、スキルであったり、具体的な能力だったり…
それらを実現するのがゴールです。

なので学習は
それらの課題を解決し
ゴールに到達するためのものである必要があります。

エンジニアを育成するのであれば
現場で、現実で、現物で
役に立つ知識や経験が重要でしょう。

しかし、実際はどうなっているかというと
学習は単位取得の手段です。
学校では、どんなに実践力を持っていても
ペーパーテストの点数が良くなければダメです。

与えられたから学ぶ
学んだことは、いつか使うだろう(その多くは使わないけど)
ではなく

必要に迫られて学ぶ
課題を解決するために学ぶ
やってみて、分からないから学ぶ
そして、自分で決めて動く

これでしょう。

なので、魅力的なゴールが重要なのですよね。

未来を決める「積極性」

熱量は当然として…
「積極性」は思いのほか重要です
というのが今回のお話し。

旧来の「真面目さ」には価値が無い
というのは言い過ぎかもしれないけど
これからは急激に価値が低下していくと思います。

「~がこう言ったから」
「みんなそうしているから」

他の情報を参考にするのは良いことでしょうし
言いつけを守るのも大事でしょう。

しかしこれは
外発的な行動原理や動機によって
自らの行動が決定されていて
受け身で消極的な
考えられない
決められない
状態です。

主体性が無い状態
と言っても良いかもしれません。

でも、それでも大丈夫かもしれません。

というのも、これからは
あなたの代わりに
AIが考えて決めてくれるからです。

その方が自分で考えて決めるより
正確かもしれませんし
何より楽です。

でもそれは
誰でもできることです。

なので
価値は低いかもしれません。

しかし
多くがそうなら
それは「普通」であって
だったら別に問題無い
と思うかもしれません。

そんなことを考えていると
これからの世の中は大きく二極化するのだろう
と思います。

「積極」と「消極」
「発信する側」と「受け止める側」
といったように。

どちらに属するかは自由ですし
消極には全く価値が無いとも言い切れません。

言われたことをやる真面目さ
それが必要とされるシーンは常にあるからです。

しかし
新しい価値の創造や発信に関しては
消極には期待できない
と言っても良いでしょう。

それは当然で
消極は
発信する側では無く受け止める側
だからです。

消極的になるのには理由があって

アウトプットへの評価を恐れる
批判、否定を恐れる
目立つことを恐れる

といったように
「恐れ」が行動原理になっている守りの反応。

リスクを取ってアウトプットするより
黙ってインプットする方が安全です。

先の見えない昨今において
守りに入るのは正常な反応かもしれませんし
それが大多数となるのは当然かもしれません。

となると
二極化のうち「積極」の方へ向かう者にとっては
今がチャンスなのです。

だって、多くが流される方とは逆方向なので
希少性とか優位性とか
価値の根源となるものが
ほぼ間違いなく手に入るのですから。

積極的に行きましょう!

結局は熱量なんだよ

一体どうしたらハイレベルなものづくりが、ハイレベルなチャレンジができるのか?
それを明らかにして適用するのが、私の業務上のミッションです。

恐らく一般的には
学校での教育による知識の獲得が…
ということになるのでしょう。

でも、それは本当だろうか?

アカデミックな世界にいる人達は
「知識こそ全て」
となりがちなのかも知れません。

エンジニアリングの世界にいる人も
「知識がものを言う」
となりがちなのかもしれません。
いや、それに加えて「経験が…」となるかな、

いずれにせよ、もちろん知識は重要です。
しかし、これまでの様々な業務経験から
知識さえあれば良い仕事ができる
とは言い切れないことは断言できます。

言ってみれば、知識は道具のようなもの。
それをアイデアに変換して
実現に向けて駆動するのは何か?

それは「熱意」でしょうね。
ついでに言うなら、「主体性」もそこから発動します。
「動機」は、何かに取り掛かる際には、すでに存在するので、ここでは際除外します。

しかし大問題があります。

その「熱意」を
一体どうやったら強化できるのか。

それが大問題。