考え方の問題だ

世の中には凄い人がたくさんいますね。
分かりやすいところだと、イチロー氏や大谷選手あたりですかね。
凄いなぁ、と思うでしょう?
開発者とか商売をやっている人だって、凄い人はたくさんいます。

「凄い」とは言っても色々あるのですが、そんな人達に共通するのは何だろうな、と思うのです。
そこから何かしらのヒントを得て、自分の仕事に活かしたいですから。

で、そういうことを考えつつ、学生達と付き合っていると気付くことがあったりします。

ゴールを設定できるか否か
そのために必要なことを考えられるか否か
それはもちろん自分で、です。

凄い人達に共通している一つは、自律的であるかどうか。
これ、決定的に重要です。

ですが、学校の授業ではこういった考え方は教えません。
というか、それを言われて、その通りにやったところで、それは「自分で」ではありません。

当然のことながら、「言われたことをやる」が基本的な姿勢(習慣)になっている状態で、クリエイティブなことをやるのは難しいです。
言われたことをやる時点でクリエイティブでは無いし、クリエイティビティは知識の問題では無いですから。

そんなことを考えていると、かなり初期の段階に、自らの果たす役割って確定してしまうのではなかろうか?なんて思うのです。
自らの考え方によって、です。

幸いなのは、それは自分で決められることだ、ということです。

違う考え方をするということ

違う考え方が強みとなる
というお話しです。

  • 同じである
  • 差が無い

ということは価値が無いということでもある。
正確には「付加価値」と言うべきかもしれないけど。

しかし、他と異なる考え方は、「間違い」や「敵対」と判断されるかもしれないし、同調圧力もあるでしょう。
リスクですね。

多くの場合、付加価値はリスクを伴うもの。
特に、新しいものを生み出す場合。いわゆるチャレンジですね。
そういう時って、やったことが無いことをやるわけですから。

リスクとは、単に「危険」を示すものでは無く、何かしらを失ったり提供したりする可能性があるということ。
不確実性から来る「損失」が発生する可能性がある、と言った方が良いかな。

チャレンジってそういうものでしょう。
結果が保証されていないけどやるわけですから。

要は、リスクを取らないとチャレンジは成立しないということで
チャレンジしないと価値は生み出せないというと。

付加価値を生むためには手間がかかります。
コストが必要と言えるかもしれません。
この場合のコストは、費用のことだけではありません。
時間とか、心身の負荷とか、手放すリソースと言ったら良いかな。

リスクとかコストとか、人によって何をリスクとするか、何にどこまでコストを払えるかは違うでしょう。
けど、それがマジョリティに迎合していくと、結果としては違いを生むことができなくなるわけで、価値は無くなる。

なので、人と違う考え方をしないと価値は生み出せないということです。
まさにそれが価値観と言っても良いでしょう。

勇気要りますね。
でも、勇気でOKという言い方もできます。

自分のコアがあるか?

今回言いたい「コア」って、「核」というか、この場合は自分の考え方の中心となるものといった感じで

「自分はこうやる」
「自分はこう考える」

そんなことです。

明確ではなくても
自信がなくても
そういうのがあると結構うまくいきます。

どうせそういうものは完璧な形なんて無いのです。
そして、何かしら「基準」を持っていないと、この先どうするべきかが決められませんから。

ポイントは、そういうの、は探して見つけるものではないということ。

親や先生をはじめ、他人には
「こうして欲しい」
「こう考えて欲しい」
というのがあるでしょう。

そういう人達に対して、敬意とか気遣いは必要で、それは大事なことだとは思います。
でも、なんでもかんでもその通りにすると

「自分はこうやる」
「自分はこう考える」

にはなりませんよね。
だって「自分は…」じゃないのだから。

そして、そういうものを見つけようとしてはいけません。
探して見付かるのは
「古いもの」
「そもそも誰かのもの」
だったりしますから。