今のうちにやっておいた方がいいこと

よく高校生から質問されます。

「今のうちにやっておいた方がいいことありますか?」
と。

そりゃまあ、色々やっておいた方が良いし
それは人それぞれなので
相手を見てアドバイスはします。

細かいことはさておき
基本的なところは

(自分が)やりたいことを(自分で)やってみな
(自分が)やってることが楽しくなる工夫を(自分で)してみな

ってところです。

その結果がうまくいこうがいくまいが…
いや、むしろうまくいかない方が
得られることは多いのですけどね。

自分で決めて
自分でやる

その結果に向き合って
そこから何が分かったか
その経験をどう利用するか
というところが重要で

他人に決めてもらって
他人にやらされる
もしくは
他の人の手のひらの上で、やる

そこから脱出しておくことができれば最高ですね。

親に養われているのであれば
完全に自立するのは無理でしょうから
せめて精神的に自立しておいて欲しい。

これは
「甘えてんじゃねぇ」
とか言いたいわけではなく

心が自立していないと成長が難しいからです。
「自律」と言った方が良いかもしれません。

要は

自分で決めて自分でやれば
結果は「自分のせい」です。

それは
自分でリスクを取ることでもあります。

そこから生じる結果を変えたければ
自分が変わるしかありません。

その変化こそが成長です。

これは
リスクを取ってチャレンジして
成長という変化を取る
というトレードオフです。

他人に決めてもらって
他人にやらされる

という状況では
結果は他人のせい
…にしたくなります。
そりゃそうです。

本当は
疑いも持たずに従ってしまった自分のせい
なのですけどね。
その方が楽で簡単なのかもしれませんし。

そういう状況では
自分が変化せずに(成長せずに)
愚痴や文句を言いたくなります。

でも、そんなことをしても
決して結果は変わりません。

これは
変化というリスクを取らずに
チャレンジしないで済む代わりに
不満足な結果で我慢する
というトレードオフです。

何をトレードするかは
自分で決められます。

その根源にあるのが
「自分にとって大切なのは何か?」
という「価値観」です。

多くの場合、そのトレードは
考えずに
習慣で
自然に
自動的に
瞬時に
選んでいます。
「価値観」によって。

しかもそれが
自分が望んで構築したものではなく
他人の価値観だったりもします。

というわけで

本格的なチャレンジの準備としては

やりたいことをやって
壁にぶつかる時が成長のチャンスだ
ということを理解する経験をしておいて欲しい

というところですね。

そこに到達できれば準備完了!
多くの人には見えないものが見えてくるでしょう。

やらされマインドからの脱出

自分の学生時代を振り返っても
今の学生達を見ても

この
やらされるマインド
は、何とかならんものか
と思います。

学校では
決められたことを
やらされます。

それが全てではないかもしれませんが
ほとんどがそうででしょう。

それによって何が起きるか?

当然、やらされるばかりだと
うんざりします。
できればやりたくない
と思います。

そうじゃないですか?
私はそうでした。

なので
貴重なリソースを

愚痴や文句を言ったり
面倒を回避することに使うのです。

できればやりたくない
でも
やらないと卒業できない
とか
そんな不毛な悩みに
貴重なパッションを消費していくのです。

若いうちは
時間があって
気力もスキルも
大きく伸びる可能性を持っています。

なのに
やらされマインドで
できればやりたくない
と思いながら日々を過ごします。

そこまで消極的でネガティブじゃないにせよ
深層心理に刷り込まれていて

好きなことをやっているにもかかわらず
「できるだけ楽なやり方で…」
とか
最小限で最低限なやり方を
自動的に選択しようとしたりします。

すると
視野狭窄になって
最小限で
最低限で
目の前のことだけをやろうとします。

当然、結果も最小限で最低限になります。

アウトプットを軽視して
受け止める側に回ります。

本当は、凄い勢いで成長する可能性を持っているのに
自ら自動的にブレーキを掛けているのです。

当然
そうなっていることに気付いてさえいませんし
そういう状態を望んでもいません。

もちろん全員ではないですが
多くがそうなっているのではないでしょうか。

まあ、皆がそうなっているなら
それが普通なわけで
疑問に思ったりはしないのでしょうね。
だって、普通だもん。

もったいないですね。

で、ここまで書いておいて何ですが
別に悲観的になっているわけでもなかったりするのです。

どうやったらこれをひっくり返せるのかなー?
なんて、作戦を考えたり
チマチマ試したりしています。
なかなかうまくいきませんけどね。

でも、簡単なわけ無いのですよ。
長い長い年月を掛けて
この状況が作り上げられてきたのですから。

でも、だからこそ
価値があるし、面白いのです。

今後の教育について考えてみた

そもそもゴール無しで
つまり動機無しで学ぶってのは
ボチボチ限界なのではないだろうか。
これ、何度も言ってますが。

学びにはゴールはありません。

「○○ができるようになりましょうね」
みたいな目標はあるでしょうけど。

でも、それが「何のためなのか」は、無い。
むしろあったら困る。

それは他人から与えられるものでは無い。
自分で考えて
自分で決めるべきことだから。

そう。
学校にはゴールは無い。

学びはゴールに到達するために必要な
「手段」

…なのだけど

ゴール無しの状態で手段を提示されて
それができないとダメ
ってことになると

当然ながら手段が目的になります。

単位を取るために勉強する
って、そういうことでしょう?

手段が目的化してしまう
ってのを軽視してはいけません。
考え方が逆になってしまうからです。

最高のクルマを作るために
最高のボルトの構想からスタートしていたら
いつになってもクルマはできません。

何かをやるにしても
「何のため?」が無いと

ただやればいい
とか
むやみにやる
とかいうことになって
落としどころがありません。

そんなの面白いわけありません。
面白くもないことが
うまくいくはずありません。

そして
「単位を取るために勉強する」
なんてことになっていると
問題を解くために脳ミソを使ってはいるけど
一番大事な
「何のため?」
「で、どうする?」
を自分で考えられなくなる。

ゴールの設定と
そのための手段の発想や選定が
できなくなるということです。

これはとても残念なことです。

でも
学びにゴールがないことが
問題なのではないと思っています。

ゴールを持たないまま学ぶことを
教育の中心に据え続けていることが
問題なのではないでしょうか。

そして

ゴールを与える教育ではなく
ゴールをセットしたくなる環境を作る

これが今後の課題ではないだろうか
なんて思ったりしています。