学校で主体性は育めるのか

もうお分かりかと思いますが、学校は主体性が育ちにくい構造・環境になっています。
ほとんどの動機は外的で

  • 価値は「点数」
  • 成果は「評価」
  • 成長は「偏差値」

に置き換えられます。

これは短期的には効率的ですが
価値創出の訓練にはなっていません
そもそも動機が内的ではないからです。

その結果

  • 優秀だが価値を生めない
  • 指示がないと動けない
  • 自分で意味を作れない

という状態が生まれやすくなります。

とはいうものの、いきなり「教育改革だ!」というのも難しい。
最大の理由はここです。

  • (現状の)一部だけ変えると混乱する
  • 全体を変える権限はない(基本構造は文科省などが決めている)
  • 評価制度だけは変えられない

結果として

本質は変えず
言葉だけが変わる

という現象が起きます。

  • アクティブラーニング
  • PBL
  • 主体的・対話的で深い学び

という言葉を聞いたことがあるでしょう。
そういうワードが増えても

  • 時間割
  • 単位
  • 成績
  • 卒業要件

という基本要素や構造が同じなら、本質は変わりません。

ただ、全く無意味かというと、そんなことは無いとも思います。
急に変えるのが難しいのなら、できるところからやるというのも大事だからです。

しかし、この現状は

  • 管理しやすい
  • 説明しやすい
  • 完成度が高いシステム
  • 誰もが慣れている

という点で「合理的」で、かつ強力な慣性力を持っています。
手強いです。

主体性と価値の話

主体性は「価値を生み出すための前提条件」です。

  • 指示されたからやる
  • 評価されるからやる
  • みんながやっているからやる

このように行動の主語が自分以外に向いているのは主体的ではありません。
これらが無価値とは言えないかもしれないけど、少なくとも付加価値は無いでしょう。

そう、主体性がある状態とは、行動の理由が自分の内側にある状態なのですね。
まさに内発的動機です。

価値とは何かを端的に言うと

誰かの課題を解決すること
とか
誰かの不便・不安・不足を減らすこと
です。

一見ネガティブな「問題」(problem)にフォーカスしているようにも見えますが、例えば
「格好いいスポーツカーを作る」
「レースで1位になる」
なんてのも課題ですから、必ずしもネガティブなことを指すわけではありません。
「誰か」が、自分、チーム、スポンサーなどの組み合わせだったりしますが。

ここで重要な点があります。

価値は「問題設定」から始まるということです。
ポジティブな表現をするなら、「夢」とか「ゴール」の設定から始まるということ。
もちろん、その設定は誰かに与えられるものではなく、自身でやることが核心的に重要。

つまり

  • 問題を「自分ごと」として認識できるか
  • 「これは放っておけない」「やらずにはいられない」と感じられるか

ここに主体性が不可欠になります。

主体性がないと

  • 問題は常に「他人のもの」
  • 解決は単なる「作業」となる
  • 結果は単なる「消化」となり経験が活かされない

になってしまいます。

この状態では、新しい価値はほとんど生まれません

主体性の話の前に

むかしむかし、ある人に
「建築は建築士の資格が必要なのに、なんでクルマの設計者は資格が要らないんでしょうね?」
と聞いたところ
「クルマの開発はアイデアでやるものだからだ」
とのご返事。

実際に仕事をしてみて、その通りだな、と思いました。
そりゃもちろん、知識やら技術は必要ですが、それらを組み合わせるだけで何とかなるものでは無いですから。

当然、建築だってアイデアは必要でしょうけど、恐らく知識や技術とアイデアの比率が違うのででょうね。
建築の場合は、法的にクリアしないといけないことが多いのかな。
そもそも、こういう構造でなければならん!とか。
具体的な手段による制約が多いのでしょうね。

方やクルマの場合、法的な要件とか社内要件はあるのだけど、達成方法・手段は自由です。
例えば、ある部分において、ある強度が必要だとして、どうやってその強度を確保するかは自由なのです。なので、アイデア勝負。

さてさて、ではアイデアはどうやって出すの?
という話なのですが、これこそ主体性が無いと無理なのです。

前向きなマインドによる主体性もあるし
時には追い詰められた末に主体性を発揮することもあるでしょう。

いずれにせよ、アイデアを出したい・出さなきゃ、という環境に身を置かないと無理でしょうね。

というわけで、主体性についての話を展開する前振りはここまでにしておきましょう。