土地と文化とチャレンジと

ロボットに始まり
自動運転のクルマやドローン
そういった技術にAIが加えられて
技術が加速する

我々は、そんな進化を日々目にしています。

それらは今後、どういった方向に
どれだけのスピードで進んで行くのでしょう。
大変興味深いところです。

最近では
自動運転のロボタクシーが試験運用されていますし
ドローンを使ったデリバリーなども始まっています。

さらにヒューマノイドロボットが量産され
市場に投入され始まっています。

しかし、それらの分野で先行しているのは
アメリカや中国ですね。

世界的に見ると我が国は
テクノロジーには強い
と分類されているのに
イマイチ分が悪い。

特に、自動運転とかドローン
あとは、空飛ぶタクシーなど
そういったダイナミックなものに関しては
どうも分が悪いような気がしませんか?

全くやっていないわけではありません。
でも、潜在的な実力に見合った発展を遂げているかというと
どうもそうは思えない。

なぜなのでしょう?

これは勘なのですが
恐らく間違えてはいません。

国土の問題です。
というか、国土に根ざした問題と言うべきか。

ダイナミックな技術が発展するには
環境が重要です。

地上を走るものも
空を飛ぶものも

チャレンジしている段階では
発生するリスクを許容できる環境が必要です。

分かりやすいところでは
広い土地です。


アマチュアのロケット愛好家が
ロケットを打ち上げられるような場所

自分で作ったクルマの最高速を試せる場所
果てはは音速を超えるまで

と、これらは極端な例ですが

クルマが好きなら
自分で作って乗ればいいじゃん

それでレースをしたけりゃ
やったらいいじゃん

そういった文化を許容する環境があると
アマチュアレベルの技術の底上げになるので強いです。

代表的なところでは
上の写真のアメリカや
オーストラリアです。

行ったことはありませんが
中国もそうなのかな。

対して
我が国は国土が狭く
とかく高密度な社会なので

ダイナミックなことを試す場合のリスクが大きい。
これはもう仕方ないこと。

衝突したり墜落したりを
そんなの自己責任だろ
ということにはしにくいです。

なので当然
ルールやらモラルも
勝手なことを許容しない方向になります。

基本的には
「ルールで許容・許可されていることをやりなさい」
という感じ。

かの国は
「ルールで禁止されてないんだから
やったらいいじゃん!」
です。

こりゃ分が悪いですね。

ですが!

一概に国土のせいにもできないかも
と思ったりもします。

分かりやすいところでは
イギリスやニュージーランドです。

いずれも広大な…とは言いにくいですが
かなりダイナミックなことをやる国です。

分かりやすいところでは
手作りのクルマで公道を走れる
キットカーの文化。

バイクのレースでは
マン島のTTなんかはダイナミックですね。

そんなことを考えていると
我が国も負けてられないぞ!

というか
もっと面白いことやりたいぞ!
と思うのでした。


教育と効率と

「効率」とはムダが無いことで
コスパとかタイパとか
最小限のリソース消費で
最大限のゲインを求める
ということ。

とはいえ
そもそもリソースが最小限なら
得られるゲインの天井も知れている
とも言えますけどね。

あらかじめ何が起きるか分かっている環境であれば
想定内のことだけに対応できるように準備すればいい。

もちろん
想定外のことに対しては対応できないし
そもそもそんなことに対する準備をしたら
それは効率が悪いということになる。

なので、問題の答えを覚えるような
いわゆる「過去問」で対策を立てるような
そんなことになる。

かつてはそれでも良かったけど
そういうのももう通用しなくなりますね。

というのもりますが!!

例えば
工学系の
それも機械系の学びについて考えるなら
効率にこだわって
最小限の最適化みたいなことをやると
価値が縮小してしまう
というか
最終的なパフォーマンスは大したこと無くなる
というか
そういうことになりかねないですよ

というのが今回言いたいことです。
前置きが長くなりましたが。

例えば、クルマを開発するとしましょうか。
で、設計を担当するとしましょう。

その際
力学とか材料学とか
そういった学問の知識さえあれば良いのか?
図面を描くなら
作図の能力が高ければ良いのか?

とんでもないですよ。

学校では
あたかも
学問ができれば良いものが作れる
というようなことを語られたりしますが
それは順番が逆です。

良い物を作るなら
作り方
使われ方
果ては売り方や
再利用の仕方など

「何のため」
つまり
どのようなゴールを設定して
そこから逆算して
必要な要素を決めていく必要があります。

もっとも大事な「ゴール」の設定をする際には
いかに視野を広げて想像するかが大事で
そのためには
一見無駄に思える
多様な経験がものを言うのです。

さらにそのためには
想像力や
それを支え、駆動する
パッションとか
そういったものが土台になります。

もちろん、限定された領域の専門家は必要でしょう。
でも、そういう人ばかり集めたところで
良い製品にはならないでしょうね。

だって「何のため」
つまり
ゴールが明確にできないから。
役割が違うのです。

「知識」は「手段」で
「ゴール」は「目的」なので
そんなのは当たり前です。

あと
効率ばかりにこだわると
コスパは良くなるでしょうけど
面白くはならないでしょうね。

面白くないものは継続できませんよ。

成長は変化すること 3

前回の記事から1年です。

基本的には考えは変わっていません。
しかし、我々を囲む環境は
混沌として予測不可能になってきています。

となると
ますます変化できることが重要になってきます。
いわゆる柔軟性ですね。

安定した時代には
与えられた環境の中で
効率よく成果を出す人が強かった。

偏差値、資格、大企業、専門分野、標準プロセスなどなど
そういったワードにまつわる能力が重宝される。
そういう価値観でした。

もちろん今も
そして今後も
そういったものは大事なのかもしれません。

ところがこれからは
それだけでは足りない。
というか弱い。

ルールそのものが変わったり
ヘタするとルールそのものが
消え去ったりするかもしれない。

その環境に対して
いかに反応・変化できるか
そういったことが求められるでしょう。

さて、では
そういった資質を身に付けるには
どういう経験が必要か?

かつて重視されていた
正解を覚えるような効率の良い教育

ではなく

全く反対の
効率の悪い
考えたらとにかくやってみる的な
そういう経験がものを言う時代になるはずだ
と思っています。

そういう経験が無いと
いわゆる「引き出し」が増えないし
知恵が使えない。

変化に対する
即興力も柔軟性も
そういったところから来るはずだから。

正解を暗記するだけでは
変化の激しい社会で生き残るため
自身が変化することができない。

創造力が枯渇して
思考が停止するのですよ。

そもそも「正解」とは過去のものであって
これから来る時代が
過去と大幅に違うのであれば
そこに「正解」は無いのです。

というわけで今後は

価値観はもちろん
学び方も変化できるのか?
その辺が問われるでしょうね。