価値はどこにあるのか その1

「人は何を守るのか」
なんてことを考えていました。

で、これは同時に
価値の作り方の話でもあるのではないか?
と思いました。
そんなお話です。

このブログでは何度も
価値だの何だの言っていますが
これは単に
「お金儲け」
の話ではありません。

自身や、自分が生み出したものが
他人からどれだけ必要とされるか
ということです。

さて、まずは
労せずして作ったものの価値
について考えてみましょう。

例えば
私がやっている
生成AIを使ってソフトウェアを作る
なんてのは、
そういうものかもしれません。

以前なら、ソフトウェアを作るには
プログラミングの知識や技術が必要でした。

でも今は生成AIに頼めば
かなりのところまで作れてしまう。

大変便利です。

でも、誰でも簡単にできるようになれば
それ自体の価値は低下します。

生成AIによってソフトウェアの価値が無くなった
ということではありません。

「その程度のソフトウェアを作れること」
の希少性がなくなったということで
価値が低下した
ということです。

では
価値はどこへ行ったのか?

一つは上流でしょう。

生成AIを使って
ソフトウェアを作ることよりも
生成AIそのものを作ることへ。

末端のユーザーが
簡単に高機能なものを作れるようになった裏側では
それを可能にするための
途方もない技術開発が行われています。

末端が簡単になった分
価値の源泉が上流へ移動したとも言えます。

AIそのものについても
同様のことが言えます。

ひとたびAIが十分に高度になれば
人間がそれほど手を掛けなくても
AI自身が、さらに高度なAIを作る
そんな状態になる可能性があります。

そうなれば、
今度は別のところに
「簡単にはできないこと」
が生まれるでしょう。

例えば
AIをどう制御し
セキュリティをどう確保するか
(これは今まさに問題になっていますね)
正しい結果なのかをどう判断するか
何をAIに任せて
何を人間が決めるのか
などなど。

簡単になったところから価値が消えるのではなく
価値のある場所が移動する。
そういうことなのでしょうね。

続く

効率の正体

効率よくやりたい

気持ちは分かります。

そしてそれは
生きものの本能に根ざしているので
そうなっちゃうのはある程度仕方ない。

といのも
生きものは
生きるために無駄なエネルギーを使いたくないのです。
だからラクしたい。

それが
面倒なことをやりたくない
に繋がっているし

テクノロジーを進化させて
便利で楽チンな世の中にしていく
原動力の一部になっています。

しかし
テクノロジーを進化させるためには
面倒なことをやる必要があります。

面倒なことをやった経験があるなら
「この面倒から何とか脱することはできないだろうか」
となるのでしょうけど

面倒なことをやらずに済んできたのなら
別に何かを変える必要性は感じないでしょう。

恐らく、その辺が先進国のジレンマでしょう。

効率の向上は
どうしたいか
どうすべきか
があって初めて必要となります。

そのためには非効率な経験が必要です。
その状況を何とかしたいという
思いが発動しない限りは
何ともなりません。

今の学校のように
「どうすべきか」
の決定を他人に依存して
何が起きるか決まっている環境で
限られたものに対応できるように
効率よく教育する
というのは
今後も通用するのでしょうか?

先人が頑張って今の環境を作ってくれた
そして現状に満足しているので
(特に不満は無いので)
別に自分が頑張る必要は無い。

なので、自分のことだけ考えて
効率よく生きたい

ということになっているとしたら
果たしてそれで
この先の世の中を生きていけるのか?
と思ってしまうし

そもそも
そんなの面白いの?
と思ってしまいます。

あ、効率の良いものって
あまり面白くはないですよね。
そうじゃないですか?

動機の話

我々は
なぜ
何のために
行動するのでしょうか?

行動原理ってヤツですね。

まあ、時と場合によって色々でしょうが
あなたはどういうケースが多いですか?

我々は、子供の頃から
宿題やら何やら
やらされることが多いです。

なので
締切に間に合わなかったらどうしようとか
点数が取れなかったらどうしようとか
できなかったらどうしようとか

そんな恐怖を避けるがために「やる」
つまり、行動の理由
つまり動機が「恐怖」

そして
自ら進んでやっていることより
やらされていることの方が
多かったりしますね。

言われたから
しかたなく「やる」

恐怖を回避するために
しかたなくやる。

そういう経験も必要だとは思います。

でも、そういう経験ばかりだと
その行動原理が習慣になります。

するとどうなるか。

ゴールは恐怖から逃れること
になります。

何が得られるかというと
最大限でも「安心」です。

安心、結構なことじゃないか!
と思いますか?

そうでもないですよ。

最大限に成功すれば
安心が手に入るかもしれませんが
人のやることなんて
大抵はちょっと不足が出ます。

なので
安心すら手に入らない
ということになりがちです。

やはり
ワクワクすることにチャレンジする。
これでしょう。

手に入るのは
喜び
です。

ちょっぴりうまくいかなくても
そこそこのものが手に入ります。

小さな喜び
充実感ややり甲斐
「ここまでできた」という自信
などなど

もちろん
ワクワクすることにチャレンジしたところで
壁にぶつかったりして
困難はあるでしょう。

でも頑張れ!
これで解決だ!
と言いたいところですが
ここで問題が発生します。

恐怖が行動原理になっている人は
チャレンジ中の困難すら避けようとします。

せっかくワクワクすることにチャレンジしているのに
しかたなく最低限のことをやろうとしてしまったりする。

結果、手に入るのは
安心未満の体験です。

恐らく本人も意識はしていないと思います。
習慣ですからね。

でも、動機をどのように設定するかなんて
個人の自由で、考え方、気持ち次第です。
能力の問題では無いのです。

結局
心の持ちよう一つで
結果は大きく変わるということです。