主体性の育み方6

主体性が不要となる原因の一つは

失敗しないように
間違えないように

という親切心であり親心でしょう。

教員として言わせてもらえば

聞かれたことに正しい答えを返せる
言われたことができる

そういう学生になって欲しいわけで
言ってみれば
授業が効率よく進むための能力獲得
かな。

それが果たして
実社会で求められる能力なのかはさておいて
ですが。

さておくなよ!
という感じですが。

で、この場合重要なのは

失敗しないように
間違えないように
聞かれたことに正しい答えを返せる
言われたことができる

というのが、果たして誰のためなのか?
それらのゴールは何なのだ?
というところです。

そんなのは簡単で
指示する人を安心させて
満足させるためでしょう。

指示する人がハッピーになれば
指示された側もハッピーになるでしょうね。

しかし多くの場合それは
学校や家庭という
限定されたフィールドにおける短期的なものです。

しかし皮肉なことにそれが

考える経験
実行する経験
その結果に対する自己評価と改善

そういった機会を奪っていて

結果として
自分で考えられない
決められない
行動できない

ということが起きる。

言われたことしかやらない
言われないとやらない

そうなるのは当然かもしれない。

それが極めて上手にできるのであれば
テストで満点が取れるでしょうから
家庭でも学校でもハッピーでしょう。

しかし、それが社会から求められているかというと
決してそんなことは無いわけで
他から必要とされなければ
それはハッピーではありませんね。

とはいえ、本人はどうなのかというと
天井は自分の価値観で決めているので
「そんなもんだ」と思うなら
満足できるかは別として
納得はできるのかもしれません。

続く

主体性の育み方5

効率よく正解を求めることを要求するシステムの中では
学ぶ内容(手段)にばかりフォーカスされているので
そもそも動機が主体的では無いわけで

効率よく正解を求めようとすればするほど
不正解が及ぼす結果にもフォーカスされて
主体的に動けなくなる。

問題は動機であり目的だ

もちろん動機無しで動ける人がいても良い
目的無しに手段にこだわる人がいても良い

良いのだけど
そればかりでは困ったことになるでしょう。

今や特に珍しい話ではないのだけど

やりたいことを探すために大学に行く
とか
色々学んだ末に
できそうなことを探して就職を決める
とか
自分が何をやりたいのか分からない
とか…

そんなことになっていたりする。

やりたいことができるようになるために
学校に行く必要がるのでしょう?
義務教育は別でしょうけど。

と、ここまで書いて思ったけど
きっと義務教育の時点で
うまく離陸できていないのはないだろうか。
やりたいことが定められないのでは?

子供のうちの将来の夢は

スポーツ選手とか宇宙飛行士とか
お花屋さんとかパン屋さんとか
一見幼稚と捉えられがちな夢があったりするのだけど
その時点で何が起きているのかな。

「じゃぁ、たくさん勉強して良い大学に入らないとね」
「そんなの儲からないからやめときなさい」
のような事が起きていないだろうか?

別にアドバイスすること自体は悪いことではない。
ここで言いたいのは

本人が求めていないことを
本人が考える前に
一方的に突っ込もうとしていないだろうか?

ということです。

自分の夢を設定して実現するためにはどうすべきか?

最初は分からなくてもできなくても良いし
それが当然だと思うのだけど

自分が求めることについて考える
これは主体性の「本体」と言っても良いことでは?

まず自分で考えてみる
とか
まず何かやってみる
といったような主体性な経験を
奪う環境になっていないだろうか?

分からないし、できない人が考えたことややったことは
間違えたり失敗したりするのが当然なのだけど
そのプロセスをすっ飛ばして
最初から間違えないように
失敗しないように導こうとしていないか?

どうでしょうか?

そんなことをしていたら
主体性なんて必要なくなるのは当然でしょう。

ちなみに
「主体的になりなさい」
と指示すること自体が矛盾を孕んでいます。

他人に言われてやるのなら
それは主体的ではないのだから。

主体性は、主体的に行動する経験によってしか育くむことはできない。

そして当たり前だけど
主体性があるから主体的に行動するのではなく
最初から十分に持ち合わせていなくても
それでも考えて
それでもやってみて
主体的に行動する経験を通じて主体性が育つ。

主体性が十分ではない学生に対して
どのように自分の意思で行動する機会を作るのか。
それが現状に対する課題だと思います。

そして
それこそが教育と言っても良いのではないか
とも思います。

まだ続く…かも

主体性の育み方4

現状のシステムの問題点の話をしましょう。

結論から言ってしまうと
正しい正解を効率よく出せるように育成するシステム
それ自体に問題があると思っています。

効率を求めるシステムからすると
低い効率は「悪」です。

しかし皮肉なことに
正解を求めようとすればするほど
不正解にもフォーカスされます。

「不正解は出したくない」
しかし、そう思えば思うほど
人は恐怖にフォーカスしてしまう。

これはバイクに乗っている人なら良く分かるかもしれません。
行きたくないところを見ると、そこに行ってしまう。
人の心理ってそういうものです。

バイクの場合はどうするか?
行きたいところを見るのです。
これ、大きなヒントですね。

さて
正解を先に探すというのは裏返すと
「間違えたくない」が先に立っている状態です。
だから動く前に止まってしまう。
「まずやってみよう」
とはなれない。

もちろんその状態では
評価の軸から外れてみる
とか
試してみる
という行動が合理的ではなく見えてしまう。
というか、できれば避けたい。

この状態は
チャレンジしたくない
という状態で
主体的にやりたくない
ということです。

つまり
正解を効率よく出すことに最適化された教育の構造が
間違えるコスト(リスク)を大きく見せ
結果として主体性を削ぐのではないか
というのが私の見方です。

正解主義が失敗への恐怖を生み
結果として主体性はリスクとなる]]。

教育システム自体が
主体性を削いでいる可能性がある
ということです。

もっとも、こういうシステムに上手に適合して
効率よく成果を出せる人もいるわけで
「全員が」というわけでも無い
ということも言っておきます。

もうちょっと続く