知っていても使えない

知っている

できる
は違います。全く違う。
というお話しです。

分かっているけど
できない

それがよく分かるのが
ピンチの時です。

そんなときに
パニック状態や思考停止になってしまったら
それらを使うことはできません。

それは
知識しかり
道徳観しかりです。

パフォーマンスを伸ばすには
実際にやってみて
追い詰められて
限界に接近したり
限界を突破したり
といった経験が必要でしょう。

その結果を評価して
次のアクションを決めて
再度やってみる。

その繰り返しにより
深層心理に定着して
考えずともできるようになる。

それがトレーニングです。

そんなことを考えていると
いくら授業で知識を身に付けたところで
それが使えるわけでは無いし

実際に使わないと
どのような知識が
どの程度必要なのかも分からない。

さらに言うなら
単に知っているだけでは無く
知識を自分で使う前提として
「自分ごと」
になっているか

チャレンジして
自分を追い込めるか

そんなことも大事です。

それが無いと
知恵も工夫も生まれてきませんから。

でもそれ
好きなことじゃないと無理だよなぁ。

主体性にまつわる矛盾

学校教育で
「主体性を育む…」
なんてことを聞くことがありますか?

まあ、それができたら理想的です。

ですが
多くの場合は
「自発性」と「主体性」を
取り違えているのでは?
と思っています。

言われなくてもやる
というのは
自発性です。

言われなくても宿題やれよ
とかね。

主体性は
ゴールを自分で決めることです。

それ、学校でやったらダメでしょ。
あくまでも今のシステムで
ということですが。

今のシステムは
やることは全て事前に決められています。

それをやらせるのが教育である
という前提があるでしょう?
学校に限らず
ヘタすれば家庭でも。

つまり
ゴールは他人が決めるもの
という前提です。

ゴールを自分で決めたら
怒られたり
心配されたりします。

何のために何をするのか

それを
自分で考えさせない
自分で決めさせない
というのが
学びの構造に組み込まれています。

そんなことやっていれば
「自分が何をしたいのか分からない」
なんてことになるのは当然でしょうね。

「自分が何をしたいのか分からない」

今のご時世
これは別に珍しくもないでしょう?

でも、よく考えてみて下さい。

「あいつが」
なら分かりますが

「自分が」
何をしたいのか分からない
のですよ。

大丈夫かよ?
って感じですが
多くがそうなっていれば
それが「普通」なわけで
別に問題だとは感じないかもしれません。

大問題ですけどね。

当然ながら
そうなってしまう原因は
本人にはありません。

そうなってしまう環境に
適合した結果に過ぎません。

それが「良い子」です。

誰かがゴールを決めてくれる
そんな環境にいるうちは
それで良いのかもしれません。

でも、その先はどうなるのでしょう?

ゴールの設定を他に依存したツケは
未来に先送りされているだけなので
きっと後に襲いかかってきます。

でも、誰もその責任は取ってくれません。

だって
そのやり方が良いのだ
と思っているからこうなっているわけですから
それをケアする構造もありません。

その状態からどうするかは本人次第です。

さて、キミはどうする?

カオスと自由と

世界情勢がグチャグチャになって
AIの脅威が説かれるようになって

ちょっとカオスな空気感で
この先どうなるかなんて誰も分からない。

不安ですか?
そうでしょうね。

ここでとれる選択肢は
ざっくり2つです。

一つは
今まで通り
誰かに決めてもらって
言われたことをやる

その場合
決める役回りの人も
正解は知りません。
AIですら分かりません。

予測の付かない時代だから
これから起きることは
皆にとって初体験です。

でも、他人に決めてもらうのはラクかもしれませんね。
その瞬間だけは。

でも、そっちを選ぶと
考えることも
決めることも
できないままです。

考えて決めてくれた人のせいにしても
責任は取ってくれません、

さて、では
もう一つの選択肢は…

先の見えない不確定な未来においては
正解は無いのだから
手探りで最適化をしていく
というものです。

もちろんキミが。

想像して
決めて
やってみて
…の繰り返しで
最適化していくことになるでしょう。

当然ながら
うまくいかないことはあるでしょう

でも、それは当然です。
先の見えない不確定な未来に向かって
チャレンジするのだから。

誰かが心配して止めようとするかもしれません

では、その人の言うことに従えば
自らが望む未来になるのですか?

どちらの選択肢を選ぶのも自由です。

先の見えないグチャグチャな状態で
カオスと自由は紙一重
そんな気もします。

自由を発揮せざるを得ない
そんな時代になりつつあるのかもしれません。