我々は何でもできる!

昨日の話の続きでもあります。

どういうことかというと
こういうことです。

我々は、コップを沢山持っています。
壺でも良いです。

それらのそれぞれは
我々がやることを示しています。
自分がやりたいこととか
やらなければならないとされていることとか
そういったことです。

そのコップが一杯になるということは
やり切ったとか
成功したとか
そういうことだとしましょう。

10個でも20個でも良いので
コップが並んでいると想像しましょうか。

あなたは、それら沢山のコップ全てを満たそうとしていませんか?
たぶんそれは無理です。

多くのコップをできるだけ均等に満たそうとしても良いのですが
そうすればするほど多くのコップが中途半端になります。

でも、どれが一つを選んだらどうでしょうか?
そのコップを満たすことはできそうでしょう?

「何でもできる」ってそういうことです。
何を選ぶのも自由です。
勇気は必要かもしれませんが。

実生活では、「どれか一つ」という訳にはいかないでしょう。
でも、基本的な考え方はそういうことです。

どうせ完璧な人間なんていないのです。
それを前提に
あなたはどうなりたいですか?
という話なのです。

マイナスをゼロにするな

まずダメなところを直さなければ

それも大事なことですが
それが全てでは無い
というお話しです。

でも、日本人はそう考えがちですけどね。
それを「真面目」と言い、尊重したりするでしょう。

マイナスを無くしたらゼロで
ネガティブがなくなったらニュートラルで
悲しくなければ嬉しいわけではありません。

マイナスやネガティブを無くしても
決してプラスにはならない。

でもどうやら、マイナスを徹底的に無くして
それからプラス側を積み上げるのだ
みたいなアプローチを取るのが大好きなようです。

というか、そのようにすべき
という教育を受けてきていたり
そんな同調圧力があったり
そんなことが原因で
こんなことになっているのかもしれません。

まぁ、そもそもは
人様に迷惑かけないように
ということで
道徳的な住みやすい世の中をつくるために
重要なことの一つだったのでしょうけど

いつの間にやら行きすぎちゃって

とにかくマイナスを無くさなきゃ
みたいなことになって
物事のネガティブな側面にばかりに
注目するようになってしまったのかな。

怒られたくないとか
指摘されたくないとか
吊し上げられたくないとか

そんな気持ちが…つまり恐怖を動機として
マイナスをゼロにする
なんてことを片っ端からやっていったら
それだけで疲れ果てて失速します。

そういうことができる人もいるとは思いますが
その辺はある程度妥協して
何かに特化して
プラス側への一点突破を狙ってみても良いと思います。

マイナスが無いことが成功ではなくて
ゼロを積み上げたら成功するわけでもありませんから。

興味のあること

やはりね、気になるというか、興味があるのは
どうしたら人はやる気になるのか
ってことです。

そもそも「やる気」ってなんだ?
という話もあるのですが…。

基本的に、他人は変えられない。

変わるとしたら、自分が変わることを望んで行動して
それが習慣になるレベルにまで行けば
それは「変わった」ということなのでしょう。

どうしたら自身を変えたいと思うのでしょうね。
うん、そうそう。
「思う」ですよ。
起点はそこ。

そういうのって、答えは無くて
それこそ人それぞれなのかもしれないけど
深く掘っていくと
奥深くにはありそうな気がするのですよ。
何かが。

それに、思いが、考え方が、行動が…
それらが変わらないと結果は変わらない…

というか、それらを変える結果は変わるわけで
みんなもっとそういうのを楽しんだ方が良いのではないかな?
なんてことも思ったりしているのです。

そもそも「変わる」ということに抵抗があるのかな?
世の中、現状に満足いっていない人がほとんどだと思うのだけど
どうなのでしょうね。

うーむ。興味深い。