どうも今は「やらせる」の限界に達しようとしている気がします。
もちろん「やらせる」にも良いところはあるのですが
全員に対してこんな風にやっていくのは無理があるのではないかと思うのです。
そもそも、今の学校教育のスタイルは
各専門ごとに、何でも知っている先生が
担当ごとの知のエキスパートとして知識を伝授する
というスタイルになっていますが
インターネットが発達したこのご時世
「知っている」に関して言えば
ネット検索した方がよほど効率が良い。
形式知の量では、先生はネットに到底叶わない。
自分が本当に知りたいと思うことに関しては
学校よりネットの膨大なリソースの方が優れています。
もっとも、情報の精度などを判断できるとか
能動的に情報を取りに行けるのであれば
という前提がついてしまいますが。
結局、知識の伝授のみを目的とした学校の役割は
ある意味すでに終わっちゃってるのでは?
と思います。
自ら知識を得ようとしない者に対して
進級とか卒業を楯に無理矢理突っ込む
という機能が学校にある点に
存在意義があるような無いような…
「そんなこと言ったって
未経験の学生に大したことができるわけないだろう」
どうでしょうね。
それは正解でもあり不正解でもあると思ってます。
実は、ここが凄く重要な点だと思うのですが
サポートする側が
「彼らにはできるはずだ」
と信じられるかどうかが
結果を大きく左右するのではないでしょうか。
「どうせできない」
と思えば、それに準じた対応になります。
「どうせできないのだから
すべきことを指示しよう」
とか
諦めるとか。
そもそも、相手から信じられていないのに
成果を出そうなんて思えないでしょう。
そういうのって、言うとか言わないとか以前の問題です。
で、今や教員が知識の伝達をする必要があるのか?
全く無いとは言わないけれど
「まぁやってみな」
と、やりたいことをやらせてみて
その結果(数字ではなく)を評価するとか
考え方とか、暗黙知とか
そういったことを伝えるとか
そんなことで、彼ら自身が思いとか考え方を形にして
実社会に対して価値を発信できるようになる手助けをする
とまぁ、その辺が重要なのだろうな
と思っています。