言わなくても やらなくても伝わるもの

言ったの 言ってないの
という話がよくありますが…
ま、それとはちょっとズレてるかもしれませんが。

以前も記事にしましたが
人と人のコミュニケーションは
言語として伝わっている情報は
わずか7%。

その他は、声のトーンとか、見た目とか
実にさまざまな情報が大量に伝わっています。

で、それらは言語化されていないだけですが
立派な情報として発信されていたりするわけです。

暗いトーンで元気なく話せば
それなりのものが伝わって
周囲に影響を与えます。

もちろん逆もしかり。

その与えた影響は
結果的には自分に帰ってきます。

もちろん直接的に
自分自身の行動にも影響が出ます。

景気の悪い雰囲気で良い仕事はできないし
逆もしかり。

凄く当たり前だけど
気付きにくかったり
つい忘れちゃったりする
大事なこと。

成長するために大事なこと

今までがどうだったか
今がどうなのか

そういったもので、将来どうするかを考えたりしがちだけど
そんなのはどうでもいいこと
と言いたい。

そういうのは大抵、やらない言い訳の材料になるし
そんなことで将来が決まるなら
夢なんて存在できない。

確かに過去の実績は大事かもしれなくて
未来において役には立つだろうけど
それが未来の全てを確定するわけではない。

現状から変化するのが成長だから
今がどうであれ、それもあまり関係ない。

今、この瞬間からどうするのか
最も興味があるのはそれです。

何のために何をするのか
決めたらやってみたらいい。

考えるだけ
知っているだけ
それだけでは何も変化しない。

失敗からしか学べない
とはよく言うけど

確かにその通りだと思うし
チャレンジしないと成長しない
そう思います。

エンジニア教育の違和感の正体

あ!あるほど!
と思ったことをお伝えします。
今日の気付きです。

このブログで散々ネタにしている「考え方が逆」の正体が分かりました。

高校の理科系科目を教えているのは理学系の先生。
大学では、理学とかを学んだサイエンス系の人です。

夢工房に来る学生達に限らず
私もそういった人達から学びました。

大学で機械系を含む理系の知識を教える人は、学者さんがほとんどです。
いわゆるアカデミックな人達です。
日本語では、学究的な人と言います。

アカデミックな人達の基本的なやり方は
「なんだ、これ?」
みたいなアプローチで、正体を明らかにしたり
新しいものを発見したりします。
博士号を取るための論文には新規性が求められます。
それには知的な能力が最重要でしょうね。

先生になる人達の多くは、掘り下げたり分析したりするのが得意な人達専門家と言って良いでしょう。
特定の分野を深掘りして追求することが仕事で、その成果が得られる日は特定しにくい。

対して開発者としてのエンジニアのアプローチは
「どうすんだ、これ?」
です。

世に無いものや、やったことがないものをゴールに設定して
決められたときにまでに形にする。

しかし、別に既存の技術を使うことは禁止されていません。
使う要素技術に新規性があろうがなかろうが、さほど問題ではなくて
むしろ、既存の技術をいかに上手に使うかが大事だったりします。

世に無いものや、やったことがないものにチャレンジするのですから
足りない技術や知識が出てきますが
それはやりながら、時には失敗の中から手に入れていく。

ちょっと乱暴な表現ですが、求める働きが実現できるなら、使う技術は何でも良くて
それによって形作られる製品に新規性のある働きがあれば良かったりします。
品質とか性能とかコストとか、いわゆる商品性が重要です。

iPhoneが世に出たときが分かりやすい例です。
使っている要素技術には、ほとんど新しいものは無いけど
製品としての働きや外観などは新しくて、商品としての魅力がある。

要は
エンジニアにも知的な能力は必要ですが
むしろ大事なのは
パワーとか勇気とかスピードとか
文字とか形にできない能力なのですね。

これ、教科書では伝えられないことで
やらないと分からない。

そして
レースってエンジニア教育に最適なんです。

だって、スタートのシグナルが変わる瞬間に
欲しい性能を持ったマシンと、必要なスキルを持ったドライバーが
スターティンググリッドについていなければお終いです。

決められたときに、狙ったものが形になっていること
ということですから。