何のための学び? なんでできない?じゃぁどうする?

勉学が得意な人
というか、好きな人
と言ったら良いのでしょうか

そういう人は、しかるべき学校に行きますし
そうでない人も、相応の学校に行きます。

中には、勉強ができて、自分の好きなことも勝手に伸ばしていけるような逸材もいるでしょう。
けど、その数は少数だし、そういう人材を大量生産するのは不可能でしょう。
なので、ここでは除外します。

ここでフォーカスするのは、それほど勉強が好きでも得意でもない人です。
でも、そんな人もほとんどが、かつては夢を持っていたはずです。

そもそも何で勉強が得意じゃないかというと、好きじゃないからです。
頭では、それが必要であろうことは理解できても、心から欲していないから、やる気が起きない。

でも、大学みたいに、ある特定の分野を選んでいるなら、それは興味のある、好きな分野であるはずではないですか?

なのに、なぜやる気が起きないのでしょう?

理由は色々あるでしょうけど、実体験から言うと…

例えば、自分の好きな機械について学びたいと思ったとするでしょう。
そんなとき、もっとも大事なのは最終的なビジョン。
つまり機械そのものを作ったり、といったことです。
そこに夢を見て大学を選ぶわけです。

しかし、学校ではいわゆる基本から入ります。
一般的には、その「基本」が、何のためなのかよく分からないままに、できるようにならなければならない。
そんなのがウジャウジャあって、好きじゃなくて不得意なものに対して大きな労力を払うことを要求されます。
そうしないと卒業できないから。
(そもそも、このやり方が逆だというのはこの辺をご参照下さい)

結果として、自分のパワーの総量のうちの大部分は、好きでもなくて苦手なことに使わなければなりません。
好きなことにそのパワーを投入したら、凄いことが起きるかもしれないのに。

もちろん、苦手なことを克服するのも時としては大事なのですが、それをやる気になるのは「何のため?」が腹に落ちているときです。

そんなことを繰り返すうちに、「好きでもないことをやらされる」という時の感情やら姿勢やらが習慣となって身についていきます。
その習慣がその後の行動原理を決めるわけですから、残念ながらうまくいくはずはありません。

「基本」は大事なのですが、それを吸収できるのは、その必要性が実感できているという前提があります。

なので、最終的なビジョンやらゴールについて考えたらり試したりして、「うまくいかねぇなぁ。何でだ?」というタイミングでそういったものが目の前に表れたらどうでしょう?

そりゃ飛びつくでしょう。

そんな環境を構築する工夫が必要だと思うのです。