托鉢の話

托鉢(たくはつ)とは
お坊さんがお椀を持って
食料やお金を乞うて歩く
という仏教の修行なのですが
すっかり見なくなったというか
そもそも日本で、しかも関東では
ほとんど見かけることはありません。

この托鉢
お金持ちのところへ行くのではなく
貧しい人々の家を回るんだそうです。

というのも
これはお坊さんがお金を得るためにやることではなく
貧しい人の救済になるからなのです。

貧しいのにお金あげちゃったら
もっと貧しくなるじゃん!
とお思いですか。

貧しいには理由があって
他への施しをしないから貧しいのだ
ということだそうです。

これ、お金で考えると納得がいかないかもしれませんが
他に価値を提供しないから
その見返り(対価)が帰ってこない
そう考えると分かりやすいかもしれませんね。

もっともな話です。

まあ、一口に貧しいとは言っても
色々事情はあるでしょうから
一括りにはできないと思いますが。

なので托鉢に喜捨(喜んで「あげる」ということ)をするなら
お坊さんではなく、喜捨した方が
「ありがとうございます」
なのですよ。
チャンスをもらっているようなものですからね。

この托鉢はとても分かりやすい例なのですが
他に与えることができなければ
自分には何も返ってこない
ということを言いたかったのです。

仕事に当てはめて考えてみると…
その通りでしょう?

もっとも
最初から見返りを求めた提供だと
それこそ価値は半減するでしょうし
見返りは最低限になると思いますが。

「(仕方なく)仕事してやってんだ」
とか
「金払ってんだから提供してもらうのは当然だ」
みたいな考え方だと
自身の喜びも
相手の喜びも
最低限ですよね。

なので
喜んで価値を提供していきましょうよ
と言いたいのです。

喜んで価値を提供して
相手に喜んでもらいましょう。

そうしたら自分もハッピーになりますよ。
自己満足で終わるのではなく
相手が喜んでくれるのが一番ハッピーです。

エンジニアの仕事だって
本来そうあるべきだと思うんです。
お客さんを喜ばせてナンボですよ。

なので
大学でもそういう心を育めたらいいよね
と思っています。
知識やスキルは
それを実践するためのツールです。

受け取ることを望むばかり
入ってきたものをため込む
他のためのことをやろうとしない

そんなのが当たり前だとしたら
寂しい世の中で
色んな意味で貧しくなるのは当然です。

と、貧しい教員が偉そうなことを言ってみました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です