中学生来訪

そうそう、昨日の話なのですが、夢工房に多くの中学生が見学に来てくれました。

高校生も良く見学に来てくれるのですが、夢工房としては中高生の見学は常にウエルカムです。

それはもちろん、将来的に本学に入学して欲しいというのもあるのですが、それは理由としてはあまり大きくありません。

彼らに
クルマやらバイクって自分で作れるものなんだよ、とか
海外のイベントにだって、やる気があれば行けちゃうんだよ、とか
本気でやると凄く面白い世界があるから頑張ってみようよ!
なんて事を伝えたいのです。

なので、別にクルマじゃなくても良いから、夢の実現のために頑張ってみよう!
と彼らに提案したいわけですよ。

あとね、彼らの元気とか笑顔からパワーをもらえる。
これは予想外に大きな力になります。
表情、目が輝いていますから。
そんな彼らと接するだけで、こっちが元気になっちゃいます。
頑張らないとな!って。

彼らは別に自分達の表情とか言葉によって、何かを相手に与えようなんて思っていないと思います。
しかし、結果的に彼らが発する何かが、我々に元気とか自信などのポジティブな感情を与えてくれる。
不思議といえば不思議ですが、当たり前といえば当たり前なのです。

純粋な興味とか驚き、そういったものも含めて、我々は言葉「以外」で色々と伝えることができるのです。
その威力は、言葉の13.29倍です。
我々の直接的なコミュニケーションにおいて、言葉の果たす役割は7%なので、そういうことになります。

ポジティブだろうがネガティブだろうが、人の持つ雰囲気とか表情とか声色とか、そういったものは言葉以上にものを言うってことです。
そして、そういった環境にいれば必然的に影響を受ける。
なので、日頃の態度とかコミュニケーションって、凄く重要なのですよ。

我々に比べれば、はるかに純粋な中学生と接すると、改めてそういうことを実感しますね。

なぜ失敗を恐れる 2

チャレンジしたくて仕方ない子供が、チャレンジしなくなるのはなぜでしょう?
失敗に対するイメージからつくられる価値観が原因でしょう。

それはどうやってつくられるか?

大抵は、他人のリアクションによるものです。
それによって自分の価値観が構成される。

チャレンジしたら失敗した。

これがパーソナルな趣味のことだったらどうでしょうか?
ちょっとは落ち込んだりすることもあるかもしれませんね。

でも、そこに他人が関わることだったら?
怒られたり、嫌がられたり
何かしらネガティブな感情が関係してくるでしょうね。

そういったネガティブな感情とか印象とか、そういったものを再び味わうことを「失敗」と称して、それを避けるためにチャレンジを回避する。
そういうことなのだろうなぁ。

でも、何度も言っているとおり、失敗を含む多くの経験に無駄なものはないわけです。

が!

経験の数自体が少なければ、例え思い通りにならなかった経験でも、未来において有効に使えるってことすら分からないわけです。

「数撃ちゃ当たる」
は、数を撃つから当たることもあるわけで、ビギナーが少ない球数を撃ったところで
「なーんだ、当たらないじゃん!」
となります。

なので、やらなければやらないほど、失敗は怖い。

いや、待てよ!
それじゃぁ、子供が失敗を恐れずにおかしな事をやりまくるのは説明が付かないぞ。

引き続き考えてみましょうね。

なぜ失敗を恐れる

ホントに、なんで?

できればこの状態をひっくり返したい。
というわけで、なんで?を検証してみましょう。

まず受験のシステムでしょう。というか、教育システム全般か。
学力という単一の尺度で、合格・不合格という両極端の判定がされる。そして、そのための学習。
この試験や成績に重きを置くやり方では仕方ない気がします。

なぜか他人の目を非常に気にする傾向がありますね。
で、失敗をしてネガティブに捉えられるのが怖い。

経済的不安も失敗を許容しにくい環境を作り出している可能性があります。
安定した職を得たいというプレッシャーはありそうですね。

メディアとかSNSの影響力も侮れないでしょう。
現代のメディアやSNSは成功例を頻繁に取り上げるので、逆に失敗することに対して恐れを感じるようになるのかもしれない。

日本は細部にこだわる完璧主義の文化が強くて、失敗を許容することが難しい場合がある。

「不安遺伝子が…」なんて話もありますね。

そして、失敗を恐れてチャレンジする経験が無いと、ますます失敗が怖くなって、ますますチャレンジできなくなるでしょう。
高飛び込みやバンジージャンプと一緒です。

これらの要因が組み合わさって、失敗を恐れる傾向が強まっているのではないかと思っています。
しかし、革新や成長のためには、失敗を恐れずに挑戦することが必須でしょう。
いずれは社会全体としての意識改革が求められる時が来る…というか、そうせざるを得ないときが来るでしょう。

それはそれとして、夢工房はどうするか?
それを日々考えてチャレンジしています。