
我々にとってコロナ禍とは一体何だったのか?
そんなことを今頃になって思い返していたりします。
我々年長者にとっては、長い「コロナ禍前」があって、人生のトータルで言ったら、コロナ禍はほんの一部。
なので、基本的な価値観にはさほど影響が無かった気がします。
でも、ちょうどその時に多感な時期を過ごしていた彼らにとっては、人生のうちの結構な期間を占めることになったわけで、その影響はかなり大きかったに違いありません。
「多感」どころか、あまりに刺激が少なくて抑圧されていて、それがそれこそ価値観の一部を形成してしまうほどの威力があったでしょう。
学生なんて、ただでさえやりたいことができないという経験が多いと思うのだけど、それがさらに強化されたわけで、そしていつまで続くのか先が見えない。
そんな状態では、未来を想像するのは難しいどころか、意味が無かったのかもしれません。
自由がないのは当たり前で、来るものを単に受け止めるだけ、オンラインで垂れ流される情報を受け止めるだけ。
そんな状態が続いていて、それによって価値観の基本的な部分の一部が形づくられていたとしたら…。
我々年長者の持つ基準や価値観と比べたら、そんなことになっていた、と言っても良いくらいなのではないかな、と思いました。
虫のノミっているでしょう。
ピョンピョン跳ねるヤツ。
アレをコップに閉じ込める。
すると、跳ねると天井にぶつかってしまうので、やがて高く跳ねなくなるそうです。
で、コップを外しても高く跳ねないまま。
魚を水槽に入れて、中にガラスで仕切りを設けます。
水中ではガラスの壁が見えません。
魚は、ガラスの見えない壁にぶつかって、その先に行けません。
すると、ガラスの壁の先に行こうとしなくなるそうです。
で、その壁を外しても、その先には行こうとしないまま。
そういうことなのだろうなぁ。
例えが極端かもしれませんが、きっとそういう風に、見えないリミッターが効いた状態なのかもしれません。
見えないリミッターはキツイです。
自分でもなぜそうなっちゃうのか分からないし、分からないものは手の付けようが無い。
ところが今年の1年生は、その効き目がちょっと弱くなった世代なのかな、と思うのです。
彼ら、結構グイグイ行きますから。
良い傾向です。
で、その影響がチームに及んで、皆でグイグイ行って欲しいものです。
自分だけで考えていても分からないことでも、他と比べれば気付くこともあるでしょうから。
きっと大丈夫!