手段とはいえブチ抜ければ強い

日本人は、どうにもこうにも手段好き
と思っています。

目的無しで勉強する
これは目的無しで手段を収集しているようなものです
というのは、ここまで書いてきた通り。

目的無しで
強力に手段獲得に走れるのは凄いのかもしれません。

日本は技術立国
なんて言葉を聞いたことがありませんか?

聞こえは良いですが
「技術」は手段です。

何かの目的を達するために必要なことであって
もし、その技術を用いずに目的を達することができるのなら
即座に不要になったり置き換えられたりします。

とはいえ
日本の場合は、この技術にめっぽう強い。
ムチャクチャ強い。

なので、そう簡単に置換えができない領域まで行っちゃってます。

科学技術はもちろんなのですが
職人さんの技術だって、ムチャクチャレベル高いです。
凄いなぁと思います。

技術は目的のためにあるので
普通は要求を満たしたらそれでOKなのですが
その先に行っちゃう人がいます。

結果、その会社じゃないとできないとか
その人じゃないとできない
なんて技術が結構あります。

普通はそんな領域に行きません。

なので、その世界はぜひ生き残って欲しいと願っています。
ただ、後継者の問題やら色々あって
簡単では無いでしょうけど。

手段でゴールは作れない

別に今の日本人が頑張ってないとは言いませんが
精神的な部分はかなり変化しているとは思います。

前回で、近代日本のキャッチフレーズ的なものを挙げて
それはどうもゴールではなく手段だぞ
というお話をしましたが
今回はこの「手段」にフォーカスします。

というのも
日本人は「手段」が好きなんですよ。

どれくらい好きかというと
ゴールを無視できるくらい好き。
手段さえあればゴールなんて要らない
ってくらい。
…ってのは言い過ぎか。

そんなの大げさだって?

そうでもないですよ。
目的は無いけど、お金は欲しいとか
夢は無いけど勉強する
なんてのは、そういうことですよね。

手段によってゴールが作られる
みたいなやり方をしている人は多いと思います。

手段を沢山得ておけば、将来の選択肢が云々
という考え方はそういうことですよね。

学校教育は、まさにそういう傾向があって
色々お勉強できないと卒業できません。
それを否定するつもりはありません。
そういうのがあっても良いとは思います。

しかし、多くの手段を手に入れるためには
そのためのリソースが必要なわけで
そのために失うものもあるのは確か。

ピンポイントな尖ったものを手に入れることは
諦めざるを得なくなるでしょう。

つまり
この目的のために
これで勝負するのだ
というような戦略的な考え方や行動がしにくい。

そういうやり方を志向する者にとっては
「皆が同じように勉強ができなければいけない」
というのは
考えようによってはドリームキラー的なやり方
とも言えるのではないでしょうか。

さらに
「手段を得たい」
と思うのは、もちろん理由があって
多くは必要に迫られて
とか
念のため
みたいなことでしょう。

そういうのは「仕方なく」でもあったりして
それをしないと面倒なことになりそうとか
ネガティブな感情とか小さな恐怖が起点になっているなら
その目的は、不安を回避して安心するためです。

そういう感情ベースで何かやっても
あまりうまく行かないはずだし
その結果得られるのは最低限の成果です。

その「最低限の成果」が欲しくて
それによって安心したいなら
それはそれでアリでしょう。

多くはそうしたいと思っているかもしれません。

しかし、その反面
自分にできることは何だろう?
と考えていたりもします。

考える前に、やってみたらいいのに
と思います。

そこで払うリスクは
後にきっと価値になって帰ってくるはず。

でも、実際にやるとなると、なかなか難しいようですね。
勇気が必要ですから。

だからこそ価値があるのですが
リスクフリーな価値が欲しい
ってことになっちゃうと
それはそれは難しいことになりますね。

そう。
安心を狙うとか、最低限を狙うって
実は凄く難しいことだと思うのです。

だって、ちょっと踏み外したら
そこは安心が無い世界ですから。

それを最低限のモチベーションで狙う?

いやぁ、それはますます難しくなりますね。
大きなチャレンジだ。

日本人が頑張れた動機

日本は国土面積が小さく、資源を持たない(弱)小国だ

我々は、何となくそんな風に思いがちではないでしょうか。
これ、最近に始まったことではありません。

でも実はそうではない。
西欧の人などは、そうではないと知っているそうです。

今やGDPが3位とか4位とか、フラフラしてはいますが
かなり昔から世界のトップランカーの一員です。

が、我々はそう思ってきた。
その危機感に対する反骨精神が
頑張る動機の一つとなってきたのは事実でしょう。

今や反骨精神なんてのは
ほとんど死語扱いですが…
ナントカ精神なんて言葉は
軒並み死語ですけどね。

反骨精神は
困難が無くなり
恵まれた環境になれば必要無いし

心の原動力となる反面
管理する側からすると
厄介な特性だったりすることもある。

そこには、衝突とか軋轢とかが発生しがちだけど
従順になってしまえば面倒が無くなる。

個人的には、新しい動機が必要だけど
危機感だけが動機では、ちょっと不健全な気がするので
やはり夢というか、共通のポジティブなビジョンが必要だと思っています。
じゃないと、やってられないですから。

と、ここまで書いてきて
近代の日本にポジティブなビジョンとかキャッチフレーズがあったのかな?
と思ったので調べてみました。
代表的なところでは以下の通りです。

  • 所得倍増計画(1960年代)
  • 日本列島改造論(1970年代)
  • 構造改革(2000年代)
  • アベノミクス(2010年代)

うーむ、何か違うぞ。
これらは「政策」と呼ぶべきなのかな。

少なくともゴールではない。
手段です。
手段は何かのためにあるべきです。
一体何のためだったのだ!?

続く