手段でゴールは作れない

別に今の日本人が頑張ってないとは言いませんが
精神的な部分はかなり変化しているとは思います。

前回で、近代日本のキャッチフレーズ的なものを挙げて
それはどうもゴールではなく手段だぞ
というお話をしましたが
今回はこの「手段」にフォーカスします。

というのも
日本人は「手段」が好きなんですよ。

どれくらい好きかというと
ゴールを無視できるくらい好き。
手段さえあればゴールなんて要らない
ってくらい。
…ってのは言い過ぎか。

そんなの大げさだって?

そうでもないですよ。
目的は無いけど、お金は欲しいとか
夢は無いけど勉強する
なんてのは、そういうことですよね。

手段によってゴールが作られる
みたいなやり方をしている人は多いと思います。

手段を沢山得ておけば、将来の選択肢が云々
という考え方はそういうことですよね。

学校教育は、まさにそういう傾向があって
色々お勉強できないと卒業できません。
それを否定するつもりはありません。
そういうのがあっても良いとは思います。

しかし、多くの手段を手に入れるためには
そのためのリソースが必要なわけで
そのために失うものもあるのは確か。

ピンポイントな尖ったものを手に入れることは
諦めざるを得なくなるでしょう。

つまり
この目的のために
これで勝負するのだ
というような戦略的な考え方や行動がしにくい。

そういうやり方を志向する者にとっては
「皆が同じように勉強ができなければいけない」
というのは
考えようによってはドリームキラー的なやり方
とも言えるのではないでしょうか。

さらに
「手段を得たい」
と思うのは、もちろん理由があって
多くは必要に迫られて
とか
念のため
みたいなことでしょう。

そういうのは「仕方なく」でもあったりして
それをしないと面倒なことになりそうとか
ネガティブな感情とか小さな恐怖が起点になっているなら
その目的は、不安を回避して安心するためです。

そういう感情ベースで何かやっても
あまりうまく行かないはずだし
その結果得られるのは最低限の成果です。

その「最低限の成果」が欲しくて
それによって安心したいなら
それはそれでアリでしょう。

多くはそうしたいと思っているかもしれません。

しかし、その反面
自分にできることは何だろう?
と考えていたりもします。

考える前に、やってみたらいいのに
と思います。

そこで払うリスクは
後にきっと価値になって帰ってくるはず。

でも、実際にやるとなると、なかなか難しいようですね。
勇気が必要ですから。

だからこそ価値があるのですが
リスクフリーな価値が欲しい
ってことになっちゃうと
それはそれは難しいことになりますね。

そう。
安心を狙うとか、最低限を狙うって
実は凄く難しいことだと思うのです。

だって、ちょっと踏み外したら
そこは安心が無い世界ですから。

それを最低限のモチベーションで狙う?

いやぁ、それはますます難しくなりますね。
大きなチャレンジだ。

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