面白いと成果が出るのは当然

なんか学校って
「面白くないことを我慢してやるのが勉強だ」
みたいなことになってませんか?

いや、これは学校という組織だけではなく
学生自身も、親も、社会も。

良薬口に苦し
みたいなことなのでしょうか。

面白いことをやる中での困難であれば
自身の意思で乗り越えようともするでしょう。

面白くないことをやる中での困難は…苦行です。

そうか!
教育って修行か!

いや…どうなんだ、それ。

ということを前振りに、核心に入っていきましょう。

やってることが面白ければ成果が出る
それは当然です。

だから、面白いことをやりましょう。
当然ですね。

逆もしかりで
成果が出るやり方は面白い
それも当たり前。

さてさて、なので…
周囲は当事者が面白く取り組めるような環境を作るべき
それも当たり前のように聞こえますし
実際、重要なことでしょう。

しかし!

それよりもっと重要なのは
当事者自身が面白くしていくことです。

面白そうな環境を与えられて
面白く取り組む、なんてのは誰でもできることであって
受け身です。
「言われたことをやる」ってのとあまり変わりません。

自身が面白くなるようにしていく
と、言うのは簡単ですが
これまた言われたらできることなのか?
言われてやったら、それは言われたことをやっただけでは?

うーむ。難しいですね。
やはり資質の問題なのでしょうかね。

でも、最初にそんなことを伝えてあげることは大事でしょうね。
で、そこから気付きを得られるかどうかは本人次第ってところでしょう。

リスクの閾値

リスクを回避したいというのは、ごく自然なこと。
とはいえ、リスクと言っても色々あるわけで…

リスクと感じる程度は人それぞれで
それこそ、直接的に命に関わることから
人間関係や、ちょっとした労力まで
実に様々。

人の行いのほとんどには
大なり小なり、何かしらのリスクが発生する
と言っても良いかもしれません。

ただ、何をリスクと感じるかは
価値観に基づくわけで
どの程度までのリスクを取れるかは
それによって得たいものに対して
見合うかどうか。

見合わない
と思えば
やらない
ということになります。

ただこれ
直感的にやっていて
意識的にコントロールされていないことが多い
というのがポイント。

その「得たいもの」が
自分でもよく分かっていなかったりするし
そのためにどの程度のリスクまで払えるか
というのも考えていなかったりもします。

そんなことありませんか?

得たいものの明確化と
払えるリスクの程度
これらについて、ちょっと考えておくだけでも
結果はかなり変わってきます。

というのが今回言いたかったこと。

ちなみに
「得たいもの」としましたが
結局欲しいのは、それがもたらす「感情」だったりするのですけどね。


我、事において後悔をせず

江戸時代を生きた剣豪、宮本武蔵が晩年に記した五輪書(ごりんのしょ)にある言葉です。

私は、吉川英治が書いた小説「宮本武蔵」を、大学生時代に当時お世話になった人から借りて…というか、「読め!」と押しつけられて、読んでみたら人生観が変わるほどの感銘を受けて、その後「宮本武蔵 全」という一冊にまとめられた分厚いのを入手して、3回くらい読み直して悦に入っていた思い出があります。

もちろん、小説に登場する武蔵は、行いも人となりも、色々と脚色されているでしょうけど、剣豪として実在した人物であることは確か。
生涯負け無しで、62歳で世を去る2年前に五輪書を執筆しました。
現在も書籍としてそれが読めるというのは凄いことだな、と思うのです。

五輪書は兵法書なので、戦い方に関する内容ですが、何事も物事の本質は似たようなものなので、考え方は現代に適用できます。

さて、「我、事において後悔をせず」ですが、武芸者にとっては死活問題であったはず。
やったことに対して、一々後悔して心を奪われていたら命に関わります。
それに、後悔するかもしれないやり方をするのも同様。

そういった考え方は、物事の重さは異なりますが、現代を生きる我々にも応用が効きます。

やったことを後悔したって、何も良いこと起こらないよ
とか
後悔する暇があったら、その経験を活かして次にどうするか決めろ
みたいな感じです。

大事なことって、昔から大して変わらないのですが、世の価値観が変化していくうちに、埋もれてしまったりするのです。
先人達が命をかけて得たものが、世の中には沢山眠っています。
それを活用しないなんて、もったいないですよね。