精密加工から学ぶ

今日は夢工房のメンバーとともに、以前からお付き合いのある小金井精機製作所という会社に工場見学に行ってきました。
夢工房では毎年の恒例行事のようになっています。

何をやっている会社かというと、社名の通り精密加工なのですが、これがちょっとやそっとの精密加減ではありません。
恐らく世界最高レベルと言っても過言ではないと思います。

精密加工と言っても、小さいものとは限りません。
巨大な精密部品もやっています。

分野は空から陸まで。
いや、宇宙までですね。

世界中の名だたる企業からオーダーが入ります。
なぜかというと…そんなレベルの高精度な部品は自社では作れないからです。

個人的な印象としては、最速マシンのための最高の部品を最速で作る、という感じでしょうか。

色々と詳しい業務内容を紹介したいところですが、何せ機密度の高い仕事ばかりやられているので、とても口外できません。
積極的に自社PRできないのも、その辺が理由です。
世界最高峰の技術レベルを持っているのに、表だって宣伝できないのです。

そんな精密部品をどうやって作っているかというと、当然コンピューター制御の加工機を使うのです。
コンピューター制御の機械なら、良い機械買えば精度出るんじゃん?
なんて思ったりするかもしれませんが、ところがどっこい。
誰がやっても同じなら、小金井精機にオーダーは来ません。

そして、求める精度のレベルが極まると
「このレベルのこういう仕事なら、あの人がやるしかない」
といったエキスパートの出番が来ます。

彼らは技術で勝負していますが、「手先」だけではない。「頭」だけでもない。

やはり「人」ですね。
何のために、どう考えて、どうするのか
それによって結果が決まります。

社長さんをはじめ、従業員の皆さんは、オープンなマインドを持った素晴らしい人達ばかり。
実は、当研究室の卒業生はもちろん、本学の卒業生も何人もお世話になっています。

「技術は人なり」
は本学の理念ですが、それを地で行っています。
現場を見せて頂いて、話を聞いて、納得です。
今回も大変勉強になりました。
というか、恐れ入りました、という感じです。

そうそう、皆さんマインドはオープンですが、口は堅いですよ。
仕事が仕事なので。

自己肯定感に思う

野球のイチローさんが、自己肯定感について
「気持ち悪い」
と言ってましたね。

これ、分かります。
今日はそんな話です。

私は自己肯定感が低い方だと思ってます。というか、低いです。
「自分は、まだまだだ」と思ってます。

現状を肯定してしまったら、もうおしまいって気がします。
成長がおしまいってことです。

これ、卑屈になるってのとは、ちょっと違います。
謙虚さといえば、そうなのかもしれません。

「どうせダメだ」
じゃなくて
「まだまだだ」
です。

自分を肯定した上で向上心を持てるなら、それはそれで良いのでしょうけど、そういうタイプではないのです。

ただ、自信は持っていたいと思っています。
これは、何かができるとか、やったとか、そういうことではなく
「何かが起きるかもしれないけど、自分はきっと(対処するから)大丈夫」
という感じです。

それが果たしてうまくいくかどうかなんて、やってみなけりゃ分かりません。
だからその点について、事前にクヨクヨ悩んでも仕方ないのです。

いくら心配しても未来は良い方には変わりません。
そんな暇があったら、事前に何かしら手を打っておくか、腹を決めておけば良い。
やるだけやって、ダメならしょうがない。

現状の自分は肯定できないけど、未来の自分は信じてる
そんな感じですかね。

やりたいことをやろう

結果が大事やら、過程が大事やらありますが…
まぁ、どっちも大事なわけですよ。

ただ、学生の活動においては、どのようにやるかという過程が大事なのは間違いありません。
ただし、それはどのような結果を求めたときの過程なのか、ということだと思っています。

今回は、その辺について考えてみましょう。

学生に限ったことではありませんし、最近に限ったことではないですが、結果にばかり執着すると、面白くもならないし、なかなかうまくいくことも無いんじゃないかと思っています。

まぁこれ、色々と前提があって、その「結果」、つまり、どういうゴールを設定しているのかというのもあるのですが…

あいまいなゴール設定をしているか、もしくはゴールを設定すらしていない状態で、「できるかどうか」に拘りすぎていると、面白いことにはなりません。

「できるかどうか」に拘ると「できそうなこと」を選択しがちになります。

「できそうなこと」によって行動を決めてしまうということは、過去にやったことがあることとか、できると分かっていることをやるということです。

なので、それをやったところで(自分は)安心はするかもしれませんが、喜びとか驚きとか、「面白い」に繋がりそうなことではありません。当然です。

そして往々にして、それは「やりたいこと」ではなかったりします。
やりたくもないことをやったところで、面白くないので続かないでしょう。
もちろん結果は得られません。

ゴール設定が無かったりすると、「できること」をやることが「やりたいこと」だ!
みたいな、訳の分からない状態になりがちです。

すると、すでに「できる」と分かっている「手段」にとらわれます。
やりたいこと、やるべきことが、いつの間にか「手段」とすり替わっていたりします。

こんな風に、できると分かっている「手段」を用いることがゴールになっていたりする訳ですが、皮肉なことに学校では手段ばかりを教えるので、凄く自然にそういうことをやっちゃうのですよね。

大事なのは、「できるかどうか」じゃなくて「やりたいかどうか」です。

やりたいことをやるのはチャレンジで、チャレンジする過程でこそ学びがあるのです。

チャレンジするための駆動力を発生するエンジンは、あなたのマインドやパッション。
学校の授業で学ぶことは、いわゆる「引き出し」に過ぎません。
「引き出し」をいっぱい集めたところで、前には進みません。