成長には何が必要なのだろう

学生を宿題で一杯いっぱいにしてしまうと、勉強はできるようになるかもしれません。
「かもしれません」というのは、私ならそうはならんかな、と思ったからです。

どうも今の価値観としては、色々知ってることが成長していることだ、という捉え方をしている気がしてならんのですが、そんなことはないでしょうというお話しです。

仮に、宿題をいっぱい出されて、出された課題をひたすらやって、つまり言われたことをやるだけで時間を使い果たしてしまうと何が起きるのでしょうか。

知識としては、そこそこ得られるでしょうけど、それで良いのか?と思います。

というのも、沢山ものごとを知っていると、それはすなわち価値があるということなのか?ということなんですけどね。
これ、以前もネタにしたはずですが。

まぁ、自分がいくらものごとを知っていたところで、それを何かの役に立つようにアウトプットしない限り、それは価値に変換されることはありません。
つまり、自分も他人もハッピーにはならないということです。

日本の子供達は、すごく勉強していると思います。
量的にも、質的にも。
だって、小学生で英語とかやってるんでしょう?

で、どれだけ彼らがハッピーになっているのかってのが凄く疑問なんです。

本当に大事なのは、学んだことを利用してみる経験ではないでしょうか。
頭の中にとどまっていた知識が、何かに利用できると分かった瞬間って楽しいと思うのです。

その経験ができなければ、皆が同じようなことを「知る」レベルに留まって、均質化していくしかないでしょう。

行き着く先は、「知っただけ」でどうなるか分からない不安から逃れるために、安心を求めるために、もっと勉強するのだけど、結局は皆で同じことをやっているわけで、アドバンテージを感じられなくて、不安の連鎖に入っていく…
そんなことになりませんか?

知った!やった!できた!
というのを小刻みにやって、どんどん大きく回していくようなのって、ダイナミックで面白いと思うのですよね。

それを見た者が
「へー。じゃ、オレはこんな風にしちゃおう!」
みたいな連鎖反応があったら面白いですよね。

若い連中には、彼らが自ら進んで何かをやるための機会とか時間とかが、もっと必要なのではないかな。