結果が大事やら、過程が大事やらありますが…
まぁ、どっちも大事なわけですよ。
ただ、学生の活動においては、どのようにやるかという過程が大事なのは間違いありません。
ただし、それはどのような結果を求めたときの過程なのか、ということだと思っています。
今回は、その辺について考えてみましょう。
学生に限ったことではありませんし、最近に限ったことではないですが、結果にばかり執着すると、面白くもならないし、なかなかうまくいくことも無いんじゃないかと思っています。
まぁこれ、色々と前提があって、その「結果」、つまり、どういうゴールを設定しているのかというのもあるのですが…
あいまいなゴール設定をしているか、もしくはゴールを設定すらしていない状態で、「できるかどうか」に拘りすぎていると、面白いことにはなりません。
「できるかどうか」に拘ると「できそうなこと」を選択しがちになります。
「できそうなこと」によって行動を決めてしまうということは、過去にやったことがあることとか、できると分かっていることをやるということです。
なので、それをやったところで(自分は)安心はするかもしれませんが、喜びとか驚きとか、「面白い」に繋がりそうなことではありません。当然です。
そして往々にして、それは「やりたいこと」ではなかったりします。
やりたくもないことをやったところで、面白くないので続かないでしょう。
もちろん結果は得られません。
ゴール設定が無かったりすると、「できること」をやることが「やりたいこと」だ!
みたいな、訳の分からない状態になりがちです。
すると、すでに「できる」と分かっている「手段」にとらわれます。
やりたいこと、やるべきことが、いつの間にか「手段」とすり替わっていたりします。
こんな風に、できると分かっている「手段」を用いることがゴールになっていたりする訳ですが、皮肉なことに学校では手段ばかりを教えるので、凄く自然にそういうことをやっちゃうのですよね。
大事なのは、「できるかどうか」じゃなくて「やりたいかどうか」です。
やりたいことをやるのはチャレンジで、チャレンジする過程でこそ学びがあるのです。
チャレンジするための駆動力を発生するエンジンは、あなたのマインドやパッション。
学校の授業で学ぶことは、いわゆる「引き出し」に過ぎません。
「引き出し」をいっぱい集めたところで、前には進みません。