今の世の中便利で結構なのですが、価値を生み出す者と、受け取る者の二分化が、二極化に向かうのは避けられない構造になってるんだろうなぁ、なんてことを思ったという話です。
人は誰しも、何かを発して、何かを受け取ります。
完全に発する側に徹するとか、受け取る側に徹するなんてことはできないでしょう。
面倒なこととか、難しいこととか、勇気が必要なこととか、危ないこととか…
便利な世の中というのは、ユーザーがそういったリスクを背負わなくても良い世の中だったりします。
でもそれは、リスクが消滅したわけではなく、誰かが代わりに背負っているのです。
リスクが必要なことは、大抵価値があります。だから仕事になり得るわけです。
皆が価値を作り出して、互いがそれを交換して、我々の生活が成り立っている
…のですが!
便利な世の中は、価値を生み出すシステムが、より巨大化していって、大量の価値を生み出します。
それに対して受け取って消費する側は、より消費専門になっていって、消費するために仕事をする…みたいな傾向が強化されている気がします。
価値を生み出すのは限られた人間。
彼らは価値を生み出すためにリスクを背負って、やりたいこと、やるべきことをやる。
一方、消費する側は可能な限りリスクを避けて、消費に徹する。
そのための原資は、言われたことを我慢してやって、報酬として得る。
価値を生み出す側と消費する側の数のバランスが、大きく消費側によっているのが今の消費社会ってことでしょう。
世の中には、この2種類の人間しかいないわけでもなく、それぞれの役回りが生活上の何事にも適用されているわけでもありません。
なので今回の話は極端な表現になっていますが、大筋ではこんな傾向が強まってきたような気がします。
これが極端な状況が進んで行けば、少数の者が多くを持つ、富の集中が起きるのは当然です。
そんなことを考えていると
学校で「言われて、やる」「与えられて、受け取る」という姿勢を強化しているとしたら、これはマズイことだぞ。
と思うのです。
だって、自ら価値を創り出せなければ、欲しいものを受け取るために、言われたことをやる意外に選択肢は無いのですから。
ものをつくるってのは良いことです。
価値をつくり出す基本的なマインドの構築に繋がりますから。
見た目上で「つくってるかどうか」というだけの話では無いのです。