「若い世代に同じ苦労を味わって欲しくない」
良く言われる言葉です。
というか、良く言われていた、といった方が良いのかな。
かつては、特に戦時を過ごされた方から聞くことがあったと思います。
でも、最近ではあまり聞かないかな。
これ、単に「苦労して欲しくない」と捉えることができるし
本人もそういうつもりで言っていることが多かったのかもしれません。
気持ちとしては大変ありがたい。
実際に、苦労のタネを除去しようと頑張って下さる方もいる。
その結果として、次の世代が実際に苦労なく生活できたとしたら、それは本当に幸せなのかというと、そんなことはないと思います。
数十年前の子供時代は、未来はクルマが空飛んで、人の代わりに機械が何でもやってくれて楽ちんな生活がやってくる、なんて脳天気な未来予測をしていたりしたわけですが、そんな未来はやってくるはずもなく、そんな未来が本当にやってきて、我々人間が何もしなくて済むようになったら、それこそ存在する価値すら無くなってしまうわけで、そんな想像すらできなかった恥ずかしい過去は誰しも持っているのではないかと信じたい。
苦労の質と、本人がどう捉えるかという価値観の問題もあると思うので一概には言えませんが、次の世代は、その世代が担うべき固有の苦労があるわけですし、先人が除去してくれた苦労の先にある苦労をすることになるのだなと思うのです。まぁ、当たり前のことなのですが。
それを見つけたり、関わることができなければ、存在意義とか存在価値が得られなかったりするわけで、むしろ苦労することが生きていることの証だったりしないでしょうか。
まぁつまり、現代に生きる我々は、現代ならではの苦労のタネを見つけて頑張るからこそ生きている実感を得られるわけで、その辺は腹を決めないと面白くならないだろうな、なんてことを考えていた次第です。