手段と目的が混同されるているとか
それらの区別が付いていないとか
これは良くある話です。
特に日本の教育現場では。
昔から
四の五の言ってる暇があったら勉強しろ
学生の本分は勉強だ
みたいな感じでしょう。
勉強ができるようになっておけば選択肢が広がる
とか言いますが、そうはいきません。
おっと、このままでは脱線しそうだ。
学校教育を例に取ると、手段と目的の混同が説明しやすいのです。
本来
教育は何かのための手段に過ぎないはずで
学力だって何かのための手段に過ぎないはず。
そう考えると
「知っている」ことに価値がある
なんておかしいと思うでしょう。
学力は何かのために必要なはず。
その目的は何か?
というのが曖昧になっていないか?
下手したら、手段と目的を同列視していたり
下手したら、目的より手段を優先していたり
そんなことになっていたりしないだろうか?
と、教育を例に取るとこんな感じなのですが
似たようなことは世の中に沢山ある気がします。
「お金が欲しい」
なんてのもそうじゃないでしょうか。
大事なのは
「何のために?」
というゴールのはずなのです。