正解とか不正解とか 4

「正解」を出すのが価値あること

今の日本の学校での価値観はそうでしょう。

これ、結構危ないと思うのです。

「正解」って、すでに分かっている古いものでしょう?
それに従っていたところで新しい価値は創造できません。

だって、新しい価値って正解は無いから。
さらに言うなら、未来は不確定で、これから作るものなので、正解は無い。

環境に合わせて最適化
なんてのはあるでしょうけど、学校で言う「正解」とは違いますよね。

「正解」を出さねばならない
と思っていたら、「正解」意外は「不正解」なわけで
不正解を出したくない
と思ったら、やらないことが一番確実です。

でも、そうすると
失敗という恐怖を避けたい
という恐怖による動機付けによって
武器を持てずに丸腰になる
という新たな恐怖が発生することになります。

結局のところ実社会では
何が正解かなんて分からなくて
むしろそれは作り出すことなのでしょう。

それは「発明」だ、なんて大げさなことは言いませんが。

なので
好きなことを頑張ってやってみて
それを価値が生じるまで継続する

そんな姿勢が大事なんじゃなかろうか
と思うのです。

「そうすれば絶対に価値が創造できるのだ!」

なんてことは言いませんが、少なくとも価値が生み出されるプロセスなんかを調べてみれば、往々にしてそういうことになっているってことが分かると思います。
「正解」というわけではありませんが、ある程度の前提条件みたいなものはあるわけで、まぁそういうことなのでしょうね。