できるヤツってなんですか?

人に教えるのって難しいです。

例えば、A君に
「これを見なさい。この部分はこうなっているんだよ。
これは重要だよ」
と教えたとします。

真面目なA君は、言われたことを覚えます。
これを「知った」と言います。

いっぱい知っていれば優秀だと言われます。
できるヤツだと言われます。

でもA君は、言われたことをやっただけです。
他人に重要だと言われたから、重要だと覚えただけです。
なぜ重要なのかは分かりませんし
それを使って何ができるかは分かりません。

こんな状況があったとして
これ、本当に優秀で、できるヤツなのでしょうか。

本当に優秀で、できるヤツは
「何だ、これは!?」
「これはどうなるんだ!?」
という気持ちが抑えられないヤツだと思うんです。

で、やりたくて仕方なくて
やっちゃう。
その結果をいっぱい知っている。

うまくいったら
「もっとだ!」
もしうまくいかなくても
「何でだ!?」
と前進できる。

そんなこと分かっていますよね。
言われるまでも無いことです。

でも、なかなかそうはいかない。

その根底には何があるのでしょうね。

成長過程で形作られた性格とか
そんな所だと思うのですけどね。

だとしたら、不可抗力ですね。
若者であれば。

だって、子供が自力で成長過程の環境なんて作れませんもの。

じゃぁ仮に
成長過程の環境を「良いもの」にしたらどうか?
という話なんですが
この場合の「良い」って何?ということになります。

衛生環境とか、成熟した社会とか、豊富な情報のリソースとか
色んな尺度の色んな内容が考えられると思うのですが
我々が考えつく限り、最高のものを用意したらどうでしょうか。
最高の環境になるのでしょうか。

レオナルド・ダ・ヴィンチは
1452年のイタリア生まれです。
今から500年以上前の人です。

当時のイタリアに比べて
今の日本はどうなのでしょう?

教育環境に関して言えば
圧倒的に優れた状態ではないのでしょうか?

ではなぜ
今の日本は大量のダ・ヴィンチを生み出せないのでしょうか。

環境を当時のイタリアにしたところで
問題は解決しないでしょう(笑)

今も昔も
高度な知識とか技術が発達する土台には
好奇心とか熱意が欠かせないのは言うまでも無いことでしょうけど
多くの教育環境では
そこには手を付けられていないと思います。
学校で「やる気」は評価されません。
1点にもなりません。

じゃぁ、それに点数が付けば良いのか?
というと、そうとも限らないと思いますが。
そもそも、点数で評価するシステム自体どうなんだ?
と思います。
それは若者の琴線に触れるのか?とか。
こういうことを考えはじめたらきりがないですが。

飛ぼうとしない鳥に強制的に餌を与えても
フォアグラができるだけですね。

さて、いったい誰が美味しく召し上がるのでしょうね。

と、そんなことを考えていると
必死に飛ぼうとする学生達が集まっている
夢工房と言う環境は恵まれているなぁ
と思うのです。

そんな環境に身を置かせていただいているのは
本当にありがたいことです。

技術は人なり

失敗しても やらかしてもいいよ

チャレンジする学生は
色々と壁にぶち当たったり
失敗したりするものです。

ピンチはチャンス
と言いますよね。
よく聞くのではないでしょうか。

ピンチが起きた時
神様に試されていると思え
こういうのも聞きますよね。

とはいえ、なかなか腑に落ちないでしょう?
分かります。

誰でも失敗は嫌なものです。

なので、チャレンジしない学生もいます。
むしろそういうタイプの方が多いはずです。
つまり「普通」です。
でもそれは無意識レベルでの行動の結果です。
自然とそうなっちゃってるのです。

でも、そこを切り替えないと
大変もったいないことになります。
「普通」が嫌ならね。

だってね
困難を乗り越えるということは
イコール成長ということです。

成長してしまえば
今その目の前にある困難は
困難ではなくなってしまうのですよ。
成長したから。

「~と思え」
と言ったって、そんなに簡単に思えない?

思えますって!

思うのは自由ですよ。
簡単です。

むしろ難しいのは
それを信じて習慣にできるかどうかです。

習慣にするためには
繰り返すこと
これしかありません。

そのために必要な日数は
21日
と言われています。
3週間です。

そのためにどうするか?

チャレンジしまくって
壁にぶち当たりまくればいいんじゃないでしょうか
経験の数を増やすことです。
3週間に1回のチャレンジじゃダメですよ。
意識すれば1日に数回はできるはずです。
最初は小さいチャレンジからでもいいんです。

で、その度に思えばいいんです。

試されてるぞ!
って。

回数が増えれば習慣になりますから
あとは自動的に成長していきます。

ピンチが訪れたり
やらかしてしまったら
「はい!来たー!!」
と思えば良いんですよ。
「俺の出番だ!」と。
口に出してもいいんですよ(笑)
そうしたら、もうやらざるを得ませんね。

これ、性格を変えるってことなのかもしれません。
多くの人は
「性格だから変えられない」
と思いがちですが
そんなことはありません。
それは変えたくないだけです。
「その方が得する」
と深層心理の野郎が思っているからです。

でもあなたは
困難を乗り越えられる者の方が
価値があることを知っています。
これ、表層真理で考えていることです。

深層心理に変更を加えるには
行動の習慣化
ですよ。
表層真理から深層心理への落とし込みです。

そういうお前はできたのかって?

できましたとも!

君もできるよ。

コミュニケーションについての気付き

コミュニケーションスキルが…という話は学生からも聞きます。
やはり本人達も何とかしたいと思っているようですね。

恐らくこれは世代を問わず
というところでしょう。

何せ、インターネットを基盤とする
コミュニケーションツールが
これだけ発達しているのですから当然かもしれません。

コミュニケーションツールが発達しているなら
コミュニケーションのレベルが上がってるんじゃないかって?

いえいえ、そんなことはないと思いますよ。

ひょっとしたら頻度は向上しているかもしれません。
でも、その内容はどうでしょうか。

多くはLINEなどを用いた文字主体の情報ですよね。
せいぜいZoomなどのネットミーティングだと思います。

実はコミュニケーションにおいては
言葉以外が果たす役割が大きいのです。
ひょっとしたらご存じかと思いますが。

なんと言語によるものは
わずか7%に過ぎません。

その他の93%は、ノンバーバル・コミュニケーション
つまり非言語によるのですね。
見た目の印象や声色、声の大きさなどによるものです。

文字情報ではノンバーバルはほとんど欠落してしまいます。
絵文字やらスタンプやらで補完はできるかもしれませんが
それはほんの一部。

ネットミーティングでカメラをオンにしても
かなりの情報量が欠落しているはずです。

まぁいずれにせよ
コミュニケーションを取らないよりは遙かに良いとは思います。
現在は状況が状況なので仕方ないですね。

コミュニケーション云々が問題だ
という気配を醸し出してきたのは
このコロナ禍に突入する以前です。

なので、このコロナ禍による自粛体勢では
問題が加速されたに過ぎません。

なので、コロナが収束して
対面のコミュニケーションが再開されても
問題は解決しないはずです。

今後、そのための工夫はされると思いたいですね。

と言うのも
学校をはじめ、世間では
ノンバーバル・コミュニケーションを含む
コミュニケーションの質の向上などについては
ほとんど何ら工夫されてきていなかったと思うのです。

そういうセミナーなどはあると思いますが
特定の職業など、かなり少数の人が
対象だったのではないでしょうか。

学校に関していえば
バーバル・コミュニケーションどころか
文字情報「しか」評価しませんので
ノンバーバルはどうでも良いというスタンスです。
コミュニケーション内容の93%を占めるのに。
せいぜい口頭でのコミュニケーション止まりです。
それも評価対象ではなかったりするどころか
バーバル、ノンバーバルのコミュニケーションを
評価したらクレーム対象ではないでしょうか(笑)

ちなみに「見た目」の果たす役割は
なんと50%以上だそうです。
なので、ヘタをすると話を始める前に
結果が出ていることもあるわけですよ。

皆さんも経験があると思います
「言ってることはもっともなんだけど、どうも受け入れがたい」
という感覚。

「正しいことを言ってるんだけど、やる気になれない」
ってありますよね。

「頭良さそうなんだけど、期待できそうに無い」
とかも。

もちろん受け手自身に問題がある場合もあるんですけどね(笑)

さらに
意外と意識されていないのは
そこにいない
何も言わない
それら自体がすでにコミュニケーションの一部になっている
ということです。
「無い」ことが確実に発信されている
ということです。
これ、今日気付きました。

そこにいない
何も言わない
その本人は、いなかったり、言わなかったりするわけだから
「無」を起点に何かが起きるはずは無い
と思っているかもしれません。

暗い雰囲気を醸し出して
それに気付かなかったり放置している人は
何も発していないと思っているかもしれません。

無とかネガティブ側のエネルギーは強力です。
凄い勢いでポジティブなエネルギーを消失させます。

そんな彼らを責めて矯正しろとは言いません。

往々にして彼らには自覚がありません。
自然とそうなっちゃってるケースがほとんどです。
なので怒っても通じません。

自覚が無いというのは
意識の外に問題があるわけで
見えないものに対処するということですので
大変難しいということでもありますが。

というわけで
ノンバーバルを何とかしないと
せっかく色々身に付けても
それらを活かすチャンスすら掴めない
ということになりかねません。

裏を返せば
ノンバーバルを磨けば
言葉で発するより遙かに強力な情報を
発信できるのかもしれません。

そんなの無理?
やってみてから判断しましょうよ。

そこには凄い可能性があるはずです。
だって人が動く原動力って感情でしょう?

理屈で感情は動かないけど
ノンバーバルなら動かせるかもしれません。
これができたら最強ですよ。

夢工房の学生達は元気いっぱいです。
まだまだ修行中ですが
元気なうちは可能性があると思ってます。
そんな彼らから得られることは山ほどあります。