興味を持てないことなんてうまくいかない。
それは自分自身の今までの経験からも、学生の成長を見ても実感したことです。
けど、周囲を見渡すと、興味が無くてもソコソコ何とかしなければならない、というようなことばかりではないかな?
「言われたことをとにかくやって、その中に興味を見出しなさい」
といったようなことはあるかもしれませんね。
まぁ、それはそれで良いのかもしれませんし、それが必要なこともあります。
でも、そもそも「言われたことをやって」という辺りに怪しさが潜んでいるというか…
時と場合と程度によっては、それがトリガーとなることはあるでしょう。
しかし、年がら年中、何から何まで「言われたことを…」となると、困ったことになります。
言われないと動かない、言われたことしかやらない(やれない)となってしまう。
しかもその場合、言われたこと(しか)やらなかったりするので、最低限の結果しか得られません。
そして、それで安心したりします。
そんなこんなで、言われたらやる、最低限やるというのが習慣化されていきます。
それで良いなら別にかまわない、と言いたいところですが、そうはいきません。
そんなの面白くないから。
最低限を狙って、本当に最低限に到達するのは実は凄く難しいことってのもありますが、仮にそれが成功したところで、そこにあるのは安心で、喜びには到達できません。
なので面白くない。
でも、最低限を狙って安心を得ることが喜びだ、みたいにはなるかもしれません。
それまた面白くないですね。
で!
何が言いたいかというと、我々はもっと高い付加価値を追求すべきではないかということです。
だって、人件費が高くて、人口が減少していくのでしょう?
そんな環境で、皆で同じように最低限のことをやっていたら、ガンガン下降していくのではないかな?それはもうあらゆることが。
で、心が萎んで守りに入って、下降のループが加速していくのは目に見えていませんか?
こういうことの理屈に関して私は素人ですが、それでもこのくらいの見当は付きます。
というか、そんなのは誰でも分かることですよね。
人件費が高くて、人口が減少していくのであれば、それぞれがより高い価値を生み出せるようになる必要があるのでしょう。
効率やら何やらってのは、その先の話だと思います。
そういうのって、ものを作れば誰だって分かることだと思います。
面白さに絡めて、独自性や希少性を追求していけば、きっと上昇のループを作れるはずです。
そこで大事なのは、やはり興味を持てることでしょう。
「あ、これは好きだな」という直感は思いのほか正しいです。
いや、別に正しくなくても良いのです。そう思うことが大事。
「好きだな」という思いは強力な動機ですから。
それ以外に理由は要らないくらい。
「好きだからやってる」というのは崩しようがありませんもの。
その気持ちから
知りたい、できるようになりたい
と、自分発の本当の学びが始まるのが健全なのではないかな。
そこから始まる上昇ループには終わりがありません。
しかも自発的です。