我々の労働観

日本人にとって、仕事とは何か?
そんなことを考えたりします。

昔から「時短」(労働時間の短縮)とか言われてきて、昨今では「働き方改革」なんて言っていますね。

我が国では、世界的に有名になった「過労死」(英語でもKaroshi)なんて言葉があったりします。

ずいぶん前に、オーストラリア人の友達が、日本語の学習ブック見たいのを見せてきて
「karoshiって、本当なのか!?」
と聞いてきました。
彼は信じられないようで笑っていましたが。
まぁ、そうでしょうね。

色々な考えがあると思いますが、私はやりたいヤツにはやらせたら良い、と思っています。
もちろんセルフコントロールはすべきで、その能力も手に入れるべき。

そして、やりたくないヤツにはやらせなければ良いとも思います。
やりたくないヤツに無理矢理やらせたら、本当に死んじゃいますから。
そう、やりたくないヤツにやらせるのが問題。

でも、やりたいヤツにガンガンやらせて、やりたくないヤツを放置したら、今の社会構造から言うと大変な格差社会になるのでしょうね。
現にそうなっている国はありますしね。

なので、ガンガンやりたいヤツには、興味が無くても適性が無くても、決められたことを課して頭を押さえておき、やりたくないヤツにやらせる、ということが、昔からずっと続いている…ような気がします。

でもそれで一億層中流ができたのかな。
それはそれで凄いことかもしれない。

古事記を読むと、神様が機織りしたり畑仕事したりしているわけで、我々にとっての仕事ってのは貴いものなのかなぁとか思うし、であれば、日本人が仕事人間でも仕方ないし、それもアリなんではなかろうか、とも思ったりします。

でもまぁ、外圧とあるのでしょうけど、色々あって良いと思うのですよね。
特に学生は。

やりたいヤツには、やりたいことをトコトンやらせてあげたい。
失敗しながら経験を積んで欲しいのです。

そもそも成長過程なんてのは非効率なものだし、そうであるべきだと思うのです。
経験の数が重要なので、その中にはしょうもないくだらないものとかがあってしかるべきなのです。
だって、そういうのを知らないと、良いもの、素晴らしいものが分からなくなるから。

効率とか何とか言うのは、エキスパートになってからで良いんじゃないですかね?
小さい頃からやるべき事をキッチリ決めて、失敗無く、無駄なくやらせる。
そんなことしたら、つまんない人生になっちゃいませんかね。