なぜ失敗を恐れる 4

なぜ失敗を恐れるかってぇと、そりゃぁ過去の経験からの学習でしょう。
経験による判断ですよね。

好きなことをやってうまくいかなければ、そりゃガッカリもするでしょうけど、好きなことは何とかしたいわけで、それを恐れて避けるというのとはちょっと違うかな。

やはり他からの反応ですよね。

やりたいことをやってみた結果
指示されたことをやった結果
その両方のケースがあると思いますが、その結果に対して怒られたり文句言われたりの外的要因からくるもの。

で、当然ながら怒られないやり方を模索していくわけで。
失敗しない可能性の高さを追求していくと、チャレンジしないことにたどり着きます。
ノートライ・ノーエラーってヤツです。

しかし、変態の馬鹿野郎は怒られてもやめないのですよ。

新しい経験を手に入れて、その結果が意にそぐわないことであった場合、それをどのように受け止めるかが重要なのです。
果たしてその先のチャレンジに役立つ一つの経験として受け入れることができるか否か。

これは、ものごとを考える時間軸をどのくらいの長さで考えるかが効いてくるのではなかろうかと思うのです。

短い時間軸で、「今」を重視するのであれば、失敗して怒られるなんてのは、まさにネガティブな経験でしょう。
短期的にネガティブな刺激を避けたいという価値観だとノートライ・ノーエラーは理想的なのかもしれません。
恐らく本人は損しているなんて感じていなくて、むしろ得しているとすら思っているかもしれません。
もしくは、そういった自己評価を一切していないか。
それもありがちかもしれません。

さて、失敗を避けてチャレンジしないようになるのは、外的要因によるものだと思うわけですが、難しいのは学校教育を受けているときは、外部からの指示に従って行動するというのが基本になっているわけで、そういう状況ではむやみにチャレンジできません。

では、社会に出たらどうか。
業種や職種によって異なるものの、開発の仕事をしたりするのであれば、仕事の過程において試行錯誤、つまりチャレンジを避けられない場合が多々あります。

というか、私は開発という仕事はリスクを取ってチャレンジするものだと思っていますが。
だって、新しいものを作るなんてのは、やったことがないことをやるのだからまさにチャレンジでしょう?

で、そういった仕事に就いたら突然チャレンジできるようになるのかというと…
なるわけありません。

成長の過程において、学校でどのような教育を受けたか、どのような家庭環境だったか、その辺に原因があろうとなかろうと、誰も責任を取れません。

とまぁ、色々考えておくと、学生のうちにチャレンジしておくというのは、極めて重要なことなのだよなぁ、と思うのです。
後からはどうにもなりませんから。

ただね、若いうちにチャレンジしまくると価値観が変わるというか、人生の基準が変わってしまうので、いわゆる普通のことが全く面白くなくなったりするかもしれません。
人はそれを「面白い人生」と呼ぶのですが。