我、事において後悔をせず

江戸時代を生きた剣豪、宮本武蔵が晩年に記した五輪書(ごりんのしょ)にある言葉です。

私は、吉川英治が書いた小説「宮本武蔵」を、大学生時代に当時お世話になった人から借りて…というか、「読め!」と押しつけられて、読んでみたら人生観が変わるほどの感銘を受けて、その後「宮本武蔵 全」という一冊にまとめられた分厚いのを入手して、3回くらい読み直して悦に入っていた思い出があります。

もちろん、小説に登場する武蔵は、行いも人となりも、色々と脚色されているでしょうけど、剣豪として実在した人物であることは確か。
生涯負け無しで、62歳で世を去る2年前に五輪書を執筆しました。
現在も書籍としてそれが読めるというのは凄いことだな、と思うのです。

五輪書は兵法書なので、戦い方に関する内容ですが、何事も物事の本質は似たようなものなので、考え方は現代に適用できます。

さて、「我、事において後悔をせず」ですが、武芸者にとっては死活問題であったはず。
やったことに対して、一々後悔して心を奪われていたら命に関わります。
それに、後悔するかもしれないやり方をするのも同様。

そういった考え方は、物事の重さは異なりますが、現代を生きる我々にも応用が効きます。

やったことを後悔したって、何も良いこと起こらないよ
とか
後悔する暇があったら、その経験を活かして次にどうするか決めろ
みたいな感じです。

大事なことって、昔から大して変わらないのですが、世の価値観が変化していくうちに、埋もれてしまったりするのです。
先人達が命をかけて得たものが、世の中には沢山眠っています。
それを活用しないなんて、もったいないですよね。

自由と責任

責任は、ある意味リスクです。
面倒ですもんね。
でも、やり甲斐とか価値はもちろん
大抵のチャンスはそこにある。

自由は解放されたフリーダムではない。
自分で決めること。

自由の裏側には責任がある。
そういうトレードオフ。

なので
責任を回避しようとすると
同時に自由を手放すことになる。

実は、多くの人がチャンスをかぎ分ける嗅覚を持っているのだけど
リスクの側を見てしまうので
せっかく感知したチャンスがチャンスに見えない。

もったいないなぁ
けど、そんなもんだよなぁ
と思う今日この頃。

ぶち抜けるのは今だ

自分のやり方とか、最適値や限界を探るのは今しかない
って話です。

そういうのは年齢を重ねるほど難しくなるから。
今日より明日はより難しくなっている。

学生の場合なら
早めに自分の限界を知っておくのは大事。
何をどの程度やると、どんなことが起きるか
それを知るのも超重要。

現状から、チマチマ積み重ねていくと
どこまで行けるのか分からないし
自分の限界までどれくらい余裕があるのかも分からなくて
どれくらいやったらゴールに到達するかも分からないまま。

まぁ、限界点まで行くってのは
そもそも勇気とか労力が必要なのだけど
それこそ若いうちだからこそできること。

なので、やりたいことはあまり考えずに
とにかくやれるだけやってみたら良いのです。
その結果を活かして次々にリファインしていきましょう。
それができるのは貴重なことです。

今ぶち抜けなければ「後で」は無い。