直感に従えるか

人生山あり谷ありですが継続していくと、バラバラだったピースが揃ってくるというか、そういう感覚はあります。

ただ、そう感じたときであっても、そのピースの集合体で、何をどうやるか、どこまでやるかは決める必要があります。
また、実行するにしても勇気とか勢いは大事だと感じますし、相応の労力を払う覚悟も必要です。

で、そんなふうに感じていても、それは「感じている」だけなので、厳密いうと確信ではありません。
なので、それを実行するか否かは自分の持つ見えない基準、つまり「勘」に頼ることになるわけで、いってみれば直感で判断することになるのですが、早く動かないとチャンスという名のバスは走り去ってしまいます。

よーし、やるぞー!
というのが最近の感覚です。
…肝心な、具体的に何をやるかは後日発表しますので、お楽しみに。

さて、ここからは一般論です。

直感に従いたい衝動は、恐らく若い頃の方が強いと思いますが、皮肉なことに親に養って貰って学校に行っている身分だと、自分の直感に従って動くのは難しかったりしますよね。
自分で責任取れないので、具体的に責任を取る人の裁量に従うことになったりするでしょう。

その人達は安心したいので、証拠や確信を持てる材料を求めたりしますが、そもそもそんなものがあるはずありません。
直感が向いている先は「未来にある」「可能性」なわけで、「過去に起きた」「事実」ではないのですから。
でもまぁ、こういうののも運なのかなぁ。
運ってのは、ある程度自分で切り拓いて呼び寄せることができるものですけどね。

直感に従って動くのが難しいのは学生に限った話ではなくて、社会人も同様です。
メディアが、友人・知人が、言っていることにかなり影響を受けますから。

なので、自分の周囲を囲む人の価値観によって、つまり生活環境によって、その直感を磨けるか否かは大きく変わってくるということです。

というわけで、理論など知識はもちろん重要なのですが、直感を磨いてスピーディーに掴みに行ける、そんな若者をよりパワフルに育成していける場を作っていくぞ、というのが今回言いたかったことなのです。

中学生来訪

そうそう、昨日の話なのですが、夢工房に多くの中学生が見学に来てくれました。

高校生も良く見学に来てくれるのですが、夢工房としては中高生の見学は常にウエルカムです。

それはもちろん、将来的に本学に入学して欲しいというのもあるのですが、それは理由としてはあまり大きくありません。

彼らに
クルマやらバイクって自分で作れるものなんだよ、とか
海外のイベントにだって、やる気があれば行けちゃうんだよ、とか
本気でやると凄く面白い世界があるから頑張ってみようよ!
なんて事を伝えたいのです。

なので、別にクルマじゃなくても良いから、夢の実現のために頑張ってみよう!
と彼らに提案したいわけですよ。

あとね、彼らの元気とか笑顔からパワーをもらえる。
これは予想外に大きな力になります。
表情、目が輝いていますから。
そんな彼らと接するだけで、こっちが元気になっちゃいます。
頑張らないとな!って。

彼らは別に自分達の表情とか言葉によって、何かを相手に与えようなんて思っていないと思います。
しかし、結果的に彼らが発する何かが、我々に元気とか自信などのポジティブな感情を与えてくれる。
不思議といえば不思議ですが、当たり前といえば当たり前なのです。

純粋な興味とか驚き、そういったものも含めて、我々は言葉「以外」で色々と伝えることができるのです。
その威力は、言葉の13.29倍です。
我々の直接的なコミュニケーションにおいて、言葉の果たす役割は7%なので、そういうことになります。

ポジティブだろうがネガティブだろうが、人の持つ雰囲気とか表情とか声色とか、そういったものは言葉以上にものを言うってことです。
そして、そういった環境にいれば必然的に影響を受ける。
なので、日頃の態度とかコミュニケーションって、凄く重要なのですよ。

我々に比べれば、はるかに純粋な中学生と接すると、改めてそういうことを実感しますね。

なぜ失敗を恐れる 2

チャレンジしたくて仕方ない子供が、チャレンジしなくなるのはなぜでしょう?
失敗に対するイメージからつくられる価値観が原因でしょう。

それはどうやってつくられるか?

大抵は、他人のリアクションによるものです。
それによって自分の価値観が構成される。

チャレンジしたら失敗した。

これがパーソナルな趣味のことだったらどうでしょうか?
ちょっとは落ち込んだりすることもあるかもしれませんね。

でも、そこに他人が関わることだったら?
怒られたり、嫌がられたり
何かしらネガティブな感情が関係してくるでしょうね。

そういったネガティブな感情とか印象とか、そういったものを再び味わうことを「失敗」と称して、それを避けるためにチャレンジを回避する。
そういうことなのだろうなぁ。

でも、何度も言っているとおり、失敗を含む多くの経験に無駄なものはないわけです。

が!

経験の数自体が少なければ、例え思い通りにならなかった経験でも、未来において有効に使えるってことすら分からないわけです。

「数撃ちゃ当たる」
は、数を撃つから当たることもあるわけで、ビギナーが少ない球数を撃ったところで
「なーんだ、当たらないじゃん!」
となります。

なので、やらなければやらないほど、失敗は怖い。

いや、待てよ!
それじゃぁ、子供が失敗を恐れずにおかしな事をやりまくるのは説明が付かないぞ。

引き続き考えてみましょうね。