変化とか成長とか言ったところで
現状が分からなければ
そこからどうしたらいいかは分かりません。
そうなのです。
自分のことって
自分が一番分かっているようで
実は自分が何者なのかは良く分からなかったりします。
我々は、自分の姿を鏡を通してしか見ることができないし
自分の声を録音したものを聴くと
「え?これが慈雨分の声?」
って思ったりします。
なので、自身を知る
というのは結構難しいところ。
自分を知りたいと思ったら
まずは外に向けて発信し見て
その「反射」によって
間接的に知ることしかできないのでしょうね。
自身の現状が分からなければ
ゴールを定めても
どんなギャップを埋めたらいいのか
そのためにどうすればいいのかが分かりません。
そういうのを試行錯誤で何とかしてもいいですが
アドバイザーとかメンターがいるといいのでしょうね。
メンターというのは
お師匠様のようなものです。
これ、学校の授業で先生の話を聞くようなのではダメですし
友達にそういう関係を求めるのも難しいと思います。
一方的に色々言ってくる
という関係では
言われたことをやるだけの
奴隷のような関係になってしまうし
単なる仲良しの友情が介在していると
言いにくいことは言えないですし。
自分の過去を振り返ると
幸いなことに何人かメンターがいました。
そんな人たちとの出会いのきっかけは色々でしたが
大事なことは
能動的であることと
その機会を大事にすることではないかと思います。
弟子が師匠に教える
なんてことはそうそう無いわけで
メンターからは一方的に頂くだけ
という関係になってしまうと思いきや
学生と付き合っていて思うのは
彼らの行動や発信することから
色々気付きがあるのです。
それに、彼らの成長こそが
未来そのものなわけですし
成長を目前にすると
単純に面白かったりもします。
だからこそ
こちらからも彼らに発信したくなる。
そういうやりとりによって
相互の関係は成立しているわけなので
弟子は「ただ黙って聞いていればいい」わけではありません。
ただ一方的に吸い取られても…ねぇ。