風土がつくるもの 風土をつくるもの

多くの学校で
同じようなことを教えているのに
成果が違ってくるのはなぜか?

教える側がうんぬんとか
学生の資質とか
そういったことはもちろんあるのだろうけど

やはり学校の持つ風土の影響は間違いなくあるだろうなぁ

というのが今回思ったこと。

これ、授業を見ていて思いました。

学生は無言で授業を受けていても
その姿勢とか雰囲気とか
ノンバーバルな何かを発しているのですね。

コミュニケーションのお話しでも書きましたが
コミュニケーションに占めるバーバル(言語)はわずか7%で
残りの93%はノンバーバル(非言語)なわけでしょう?

ということは
黙って授業を受けている
一方的に情報を受け取っているだけに見える学生達は
凄い量の情報を発しているのです。
これ、教壇に立ってみると分かりますけどね。

ヘタすると
教室の空気感を作っているのは
教員ではなく
学生だったりしますから。

授業って
教員と学生の
ノンバーバルのせめぎ合いだったりするのですね。

バーバル+ノンバーバルで教員が情報を発すると
それを受けた学生がノンバーバル情報を返す

そんなキャッチボールになっているわけですね。

で、ですよ。

情報ってのは
なにも人間のみが発しているわけではなく

環境のあらゆるものが発信源になっているはずです。

ロケーションとか建物とか
それらの形状とか色彩とか

もちろん、人によって受け取り方は様々でしょうが
ある程度は共通認識を持っているはずなので
大まかな流れというか
方向性は定まるのではないでしょうか。

そんなふうに考えると

仮に全く同じ教科書を使って
同じような教え方をしても

教える人や環境によって
その成果は違って当然
ということになります。

会社に社是が見えるように掲示されているとか
学校に創設の理念が明示されているとか
そういうのって組織風土をつくるうえでは
ものすごく大事なはずです。

それを目にした人が発するのは
言葉だけじゃないから。

デザインは多くを語る
なんてのも同様なのでしょうね。
まさにノンバーバルだから。

こういうのって
芸術系の人にしたら当然のことなのでしょうけど
理系人間からすると新鮮なネタだったりします。

言ったの言わないので揉めたりすることがありますが
そういうのも当然といえば当然かもしれません。

このネタは興味深いので
長期的に考えてみることにしましょう。

答えが合ってればいいってもんじゃない

コミュニケーションにおいて重視していることは何ですか?

きっと目的があって
それを達することがゴールとなるわけだけど。

伝達内容の正確性?

そういうこともあるでしょう。
というか、そういうことが多いかな。

伝えようとする情報そのものの正確性は重要でしょう。

それに加えて
というか
それ以前に重要なことがあります。

何度か記事にしているように
言葉に載らない情報
ノンバーバルコミュニケーションです。

私も経験がありますが
言い回しや話す内容に集中しすぎたりして
大事なことを忘れていることがあります。

「言っていることはもっともなんだけど
どうも受け入れがたい」

そう感じることがあるでしょう。

人は往々にして
正しいことを伝えれば目的を遂げられる
と思いがちです。

特に我々、理系人間の場合。

しかし、コミュニケーションの93%を占める
ノンバーバルコミュニケーションを忘れていませんか?
ということです。

無表情だったり元気がなかったり
はたまた
正しい言葉遣いなんだけど
何か違和感を感じたり

いくら正しい情報でも
伝え方によって
及ぼす効果は大きく違ってきます。

多くの場合
本人はそういうことに気付いていません。
大変もったいないことです。

意思疎通を図るには
情報は大事ですが
インターフェイスをおろそかにしちゃいかんよ
という言い方もできるかと思います。

クルマなどの場合
性能は良いのだけど
使いにくい
とか
どうも受け入れがたい
ということがあります。

操縦する際に人が触れる部分が
インターフェイスです。

そこを通じて
ドライバーは意思をクルマに伝達(操縦)するのです。

操作フィーリングが悪い
とか
操作系の配置や形状が悪い
なんてことになると思った通りに操作しにくい
ということになります。

レーシングドライバー、レーシングライダーは
その辺はとてもシビアです。

インターフェイスがダメでは
マシンの性能は十分に発揮できませんから。

人対人のコミュニケーションの場合
ノンバーバルの部分がインターフェイスです。

というわけで
コミュニケーションのインターフェイス
たまには点検してみてはいかがでしょうか。

コミュニケーションについての気付き

コミュニケーションスキルが…という話は学生からも聞きます。
やはり本人達も何とかしたいと思っているようですね。

恐らくこれは世代を問わず
というところでしょう。

何せ、インターネットを基盤とする
コミュニケーションツールが
これだけ発達しているのですから当然かもしれません。

コミュニケーションツールが発達しているなら
コミュニケーションのレベルが上がってるんじゃないかって?

いえいえ、そんなことはないと思いますよ。

ひょっとしたら頻度は向上しているかもしれません。
でも、その内容はどうでしょうか。

多くはLINEなどを用いた文字主体の情報ですよね。
せいぜいZoomなどのネットミーティングだと思います。

実はコミュニケーションにおいては
言葉以外が果たす役割が大きいのです。
ひょっとしたらご存じかと思いますが。

なんと言語によるものは
わずか7%に過ぎません。

その他の93%は、ノンバーバル・コミュニケーション
つまり非言語によるのですね。
見た目の印象や声色、声の大きさなどによるものです。

文字情報ではノンバーバルはほとんど欠落してしまいます。
絵文字やらスタンプやらで補完はできるかもしれませんが
それはほんの一部。

ネットミーティングでカメラをオンにしても
かなりの情報量が欠落しているはずです。

まぁいずれにせよ
コミュニケーションを取らないよりは遙かに良いとは思います。
現在は状況が状況なので仕方ないですね。

コミュニケーション云々が問題だ
という気配を醸し出してきたのは
このコロナ禍に突入する以前です。

なので、このコロナ禍による自粛体勢では
問題が加速されたに過ぎません。

なので、コロナが収束して
対面のコミュニケーションが再開されても
問題は解決しないはずです。

今後、そのための工夫はされると思いたいですね。

と言うのも
学校をはじめ、世間では
ノンバーバル・コミュニケーションを含む
コミュニケーションの質の向上などについては
ほとんど何ら工夫されてきていなかったと思うのです。

そういうセミナーなどはあると思いますが
特定の職業など、かなり少数の人が
対象だったのではないでしょうか。

学校に関していえば
バーバル・コミュニケーションどころか
文字情報「しか」評価しませんので
ノンバーバルはどうでも良いというスタンスです。
コミュニケーション内容の93%を占めるのに。
せいぜい口頭でのコミュニケーション止まりです。
それも評価対象ではなかったりするどころか
バーバル、ノンバーバルのコミュニケーションを
評価したらクレーム対象ではないでしょうか(笑)

ちなみに「見た目」の果たす役割は
なんと50%以上だそうです。
なので、ヘタをすると話を始める前に
結果が出ていることもあるわけですよ。

皆さんも経験があると思います
「言ってることはもっともなんだけど、どうも受け入れがたい」
という感覚。

「正しいことを言ってるんだけど、やる気になれない」
ってありますよね。

「頭良さそうなんだけど、期待できそうに無い」
とかも。

もちろん受け手自身に問題がある場合もあるんですけどね(笑)

さらに
意外と意識されていないのは
そこにいない
何も言わない
それら自体がすでにコミュニケーションの一部になっている
ということです。
「無い」ことが確実に発信されている
ということです。
これ、今日気付きました。

そこにいない
何も言わない
その本人は、いなかったり、言わなかったりするわけだから
「無」を起点に何かが起きるはずは無い
と思っているかもしれません。

暗い雰囲気を醸し出して
それに気付かなかったり放置している人は
何も発していないと思っているかもしれません。

無とかネガティブ側のエネルギーは強力です。
凄い勢いでポジティブなエネルギーを消失させます。

そんな彼らを責めて矯正しろとは言いません。

往々にして彼らには自覚がありません。
自然とそうなっちゃってるケースがほとんどです。
なので怒っても通じません。

自覚が無いというのは
意識の外に問題があるわけで
見えないものに対処するということですので
大変難しいということでもありますが。

というわけで
ノンバーバルを何とかしないと
せっかく色々身に付けても
それらを活かすチャンスすら掴めない
ということになりかねません。

裏を返せば
ノンバーバルを磨けば
言葉で発するより遙かに強力な情報を
発信できるのかもしれません。

そんなの無理?
やってみてから判断しましょうよ。

そこには凄い可能性があるはずです。
だって人が動く原動力って感情でしょう?

理屈で感情は動かないけど
ノンバーバルなら動かせるかもしれません。
これができたら最強ですよ。

夢工房の学生達は元気いっぱいです。
まだまだ修行中ですが
元気なうちは可能性があると思ってます。
そんな彼らから得られることは山ほどあります。