色々良くしたい…だったらどうする?

明るく元気に頑張ろう!
ってできたら苦労しないわけで。

ネットニュースを見渡せば、世の中事件やスキャンダルだらけで、世界情勢も不安定。
おまけに日本は暗黒の30年とか言われて、どうにも停滞気味。

明るく元気に前向きになるネタが見当たりません。

「あぁ、何かワクワクするようなネタが転がってないかなぁ」
と思う気持ちも分からなくもない。

そういった姿勢の場合、原因とか動機とか、そういったものを外に求めてるわけです。
ですが、そもそもそういうのって待つものでしょうか?

つまり、前向きになるための動機は他人が作るべきもの、という考え方ですよね。
で、自分はそれを受け取る側だ、と。
でも、自分で作っても良いし、むしろ自分で作れたら他に依存する必要は無くて自由自在ではないですか。

確かに外部要因がその場の環境を作る一端になっているのでしょうけど、そんなの人任せにしたところで、一体誰がやってくれるのでしょう。
まぁ、誰かしらそういった責務を負っているのかもしれませんが、それは誰なのか、いつ、どのようにしてくれるのか、それは自分の意に沿うものなのか、とか考えていくと、外部に期待する事自体がおかしな事だと思いませんか?
どうせ誰も自分の思い通りになんてしてくれません。

だったら、自力でやってみませんか?

別に急激に完璧な状態にする必要も無いし、それを求めたら「どうせできない」と言う結論になるのは明かです。

なので、今よりも少しでも良い状態にするために、少しずつでも何かやってみたらどうでしょう?
最初は、誰かがちょっとだけ嬉しくなることで良いと思います。
誰も気付かないようなことでも、ちょっとだけ誰かのためになることでも良いでしょう。
そういうのを「陰徳を積む」って言うのですけどね。

少しずつなら何かできそうだし、それを継続すれば、そこそこなことにもなりそうです。
そんな人がちょっとずつでも増えていけば、それが環境になって、その環境の影響を受けた人も何かやり始めて、どんどん規模が拡大すれば世の中変わりそうな気がしませんか?
少なくとも自分の周囲の環境はマシになるはず。

皆が小さなチャレンジを始めたら、きっと色々良くなるはずです。
別に最初からうまくいかなくても、やっていればそのうち何か気付きがあるはず。

そのためには、自分は受け取る側ではなく、やる側、発信する側だという意識を持つだけで良いのではないでしょうか。
で、ちょっとしたことをやってみて、それを繰り返すだけ。
シンプルですね。

で、実に当たり前の事実があります。

原因を変えれば結果が変わる。
やることを変えたら、それによる結果が現れるのは当然のことです。

新しい時代は混乱とともにやってくる

何やら世界的に混乱の予感がしてきましたね。
ただ、そういったことは今に始まったものではなく、周期的に発生するもののようです。
過去にも恐慌やら戦争やらはあったわけで。

ただ、そんな中にも気付きや学びはあります。

フェイクな情報や脅迫は、ディールのための武器になる
それは昔からあったことだし、事の大小の違いはあれど実は日常にも潜んでいることです。
カオスな国のお土産屋さんなんて、そんなのが日常だったりもしますしね。

ただ、それを国家間でやるとかなり困ったことになるのですね。
いやぁ、勉強になります。

正しいものではなく、強いものが正義
実はそれはずっと昔からそうだったのですけどね。
戦争なんて善悪の問題ではなく、勝った者が正義となるわけで。

でもそれが世界標準になってくると、昔からあったことでは済まされません。

今回言いたいのは、そういった混沌としたバトルの価値観に合わせていこうぜ!ということではなく、そんな中で我々はどう振る舞うべきなのかというのを考える機会が来たのではないだろうか?ということなのですよ。

以前、「余裕」について記事にしましたけど、こういった混沌とした状況になる理由は、やはり余裕が無くなってきたからなのでしょうね。

そういった一見厄介な状態が物事の見方を変えて、大きな価値の転換点となるのかもしれません。
かつての混沌とした時代で何が起きたかというと、革命やら改革です。
要は、大きく変わる前段階として混沌の時代があるということです。

民主主義だって、資本主義だって、人類誕生より前にあったものではなく、後に作り出されて、徐々に形が変化してきたわけで、もちろん今後も変わったり消えてなくなったりする可能性はあるわけで。
ひょっとしたら新しい形の文化が生まれる前段階がやってきたのかもしれません。

どうしようも無い行き詰まった状態になれば、変革を嫌う人だって変わらざるを得ません。

この状態の明るい面を見るなら、これから理想的な状態へ移行するサインみたいなものと捉えても良いのかもしれませんね。

で、どうしましょうか?
混沌の中で、我々が目指すべきゴールは何か?

混乱に乗じて一儲け…
ではありません。
そんなことをするから混乱するのです。

こんな時こそ道徳だと思います。
「得」じゃなくて「徳」です。

徳があるところに本当の価値がある。
もちろん金銭の問題ではなく、それを超えた価値です。

時代は巡るわけで、きっとこの状態は我らの先人がかつて通った道。
その時彼らはどうしていたのか?
そんなことを振り返ってみるのも良いかもしれませんね。

成長するために大事なことは何だろう?

成長とは、単に頭の中の情報量を増やすことではありません。
それも必要でしょうけどね。

チャレンジする学生にとって大事なことは何でしょうか?と言った方が良いかもしれませんね。
そのスタイルは色々あると思いますが、共通することというか、本質的なものを挙げてみましょう。

まずは行動することですね。
行動しなければ何も起きませんから。

そしてスピード。
「後で」は「やらない」とほぼ同義ですからね。
これ、前もネタにしましたが…
「後で」+「やる」
なんてのは
「今はやらない」わけで、そんなのやるうちに入らないでしょう。
ま、ありがちなのですが、「すぐやる」ってのはけっこう難しいことです。
でもそれは、自分でもビックリするくらい大きな違いを生みます。

そして動き出したら諦めないこと 継続すること。
諦めなければ何とかなるものです。
それに、一度止まってしまうと再度動き出すのは難しくなります。
何事に桃慣性力が働きますので。
止まったら終わりだ!
くらいに思っていて良いでしょう。

とはいえ、なかなかうまくいかないのが人生。
そこから変化を起こせるか?これも大事。
「あー、うまくいかないなぁ」
なんて思うこともあるでしょう。
うまくいっていなかったりする現状に対して「なぜ?」と評価するのは良いです。
でも、あまりその状態に執着せずに、次のアクションを決めて変化していけるか。
変化は異なる結果を生み出します。当然です。

そして、信じることとか勇気ですかね。
信じることも勇気が要るでしょうけど。
考えて、決めて、行動して、それらはいずれも勇気や決意が必要でしょう。
「ダメだったらどうしよう」
と思うこともあるでしょうけど、心配しても何も良くなりません。
そんな暇があったら
「ダメだったらこうしよう」
とプランBを考えましょう。

最後に
分からないとき、できないときにどうするか
そんな時に必要なものこそが大事な能力なのかもしれません。
これに対しては適切な、これといったものは無い、というか、それこそ色々工夫して、自分のやり方を構築していく必要があるし、それこそが学びではないかと思うのです。