勇気があるとうまくいくわけ

チャレンジしてゴールに到達するためには、優先度が高いものにフォーカスして、自ら持つリソースを集中する必要があります。
というか、そんなやり方をするなら大抵うまくいくものです。
諦めなければね。

でもそれは同時に、相対的に優先度が低いものを不要なものとして手放すということでもあるわけです。

そこには手放す恐怖があります。
一般的に言われていることや、周囲の声などの雑音もあるかもしれません。
特に「普通は…」という価値観から離れるのは勇気が要ります。
だって普通じゃなくなるわけで、その先に進むと何の保証も無く、全ては自分次第。

もっとも、「普通」だったら何か保証があるのかというと、実はそっちも無いのですけどね。
マジョリティーとなることで安心はしていられるかもしれませんね。
この道を選択すると、多くが得られるものを得て、多くが恐れるものを恐れて…
別に悪いことではありませんが、まぁ普通なのです。

さて、どうしましょうか?
と考えたとき、実はすでに答えはあるのではないですか?
普通を選ぶことによって心がザワザワしそうなら、恐らくその選択は自分に合っていません。
時が経った後に後悔するかもしれません。

自分で選んだことなら結果がどうあれ、やらなかった後悔よりはマシです。
それに、チャレンジしたときに得る経験は、きっといつか役に立ちます。これは絶対。

とはいえ、いきなり大きな勇気を振るって、突然凄いチャレンジをする必要もありません。
しても良いですけどね。
まぁ、それも良い経験になります。

最初は小さなチャレンジでも良いのです。
できれば、大きなゴールを定めておいて、その達成に必要なものを未来から逆算してブレークダウンしていきましょう。
そして、今できそうなところまで小さくなったら、それをやりましょう。すぐやりましょう!

そう、最初は小さな勇気でもいいのです。
それを継続するとどうなるか?

最初に小さな勇気でやったこと
これを継続すると自分にとっての「普通」になります。
習慣化しますから。

そうしたら、次の小さな勇気を振るってみましょうか。
そしてそれも継続すると習慣化して「普通」になります。

そんなことを大学在学中継続すると…
凄いことになります。

シンプルですね。

でもきっと、勇気が無くてもうまくいく方法が…
あると良いのですが、残念ながら思い付きません。

いつやるのか?何をやるのか?

学生は色々やりたいことがあったりするでしょう。
そこでが陥りやすい間違いが今回のネタです。
学生に限らないかもしれないけど。

「なぜやらないの?」
という問いに対して

「できないから」
とか
「やったことがないから」
という答え。

一見もっともそうですね。

多くの場合、本当の答えは
「やりたくないから」
ではないでしょうか。

できないからやらない
できるようになったらやる

一見、凄くまともでもっともな気がします。

でもこれ、凄く変な理屈なのです。
やったことがないことは、やらない限りはできるようにならないから。

夢工房の学生達がやってるレーシングカー関連なんかは、凄く分かりやすい例です。

授業でどんなに一所懸命学んでも、車を作れるようにはならないでしょう。
座学や実習、実験などでは分からない事が多すぎるからです。
実際にやらないとできるようにはなりません。

クルマを構成する小さな要素であれば、それなりに理解することはできるかもしれません。
であれば、そういう感じで色々な小さな要素を学んで、それらを組み合わせればクルマが…

できませんよ。

この辺が大きな勘違いをするポイントなのですが、小さな要素を合体すると最終形態の製品になる?
なりません。

順番が逆だからです。

最終形態、つまりどのようなクルマにしたいかによって、構成する要素がどうあるべきかが決まるわけで、その逆はあり得ません。

「あり得ない」というのは言い過ぎかもしれませんが、仮にそのような要素から組み上げるプロセスでクルマを作るとどうなるか?

当然ながら
「こんなんなっちゃった」
というクルマになります。

想像が付きにくいかもしれませんが、恐らく、というか、ほぼ間違いなく…
見るも無惨な、滑稽な見た目の、何に使うか分からない、奇妙なクルマになるはずです。

個別の要素は優れていても、何のためなのか明確でない要素を組み合わせていったら、訳が分からないものになるのは当然なのです。

素晴らしい部品を組み合わせていったら、素晴らしいクルマができあがると思いましたか?
残念でした。

そもそも最終形態のクルマとしてのゴールが無い状態で、個別の部品に良いも悪いも無いのです。
あえて言うなら、目的の無い部品は良いものではありません。
だって目的が無いのだから、評価指針自体が無いのです。
そんなものを組み合わせたところで、良いものになるわけはありません。

これこそ「やってみないとわからないこと」です。
やるべきだと思ったことをまずやってみる。
すると必要なことが分かる。

やるべきだと思ったけど、まずは色々と細かいところから…
それはあまりに遠回りというか、取り返しがつきません。
それが習慣化すると修正が難しいし、時間は戻せないから。

恐らくその辺は、個別の科目を生真面目に学ぶ経験をしてきた学生達には理解しにくいところだと思います。

これ、学校の勉強だって一緒だと思うのですけどね。
個別の科目の出来が良かったり、さらに言うなら、学歴が立派だったりすると素晴らしい将来が待っているような気がしますものね。

成績が良かったり、学歴が立派だと将来の選択肢が広がる…とか最近でも言ってる人がいますが、それに対しては疑問を感じます。
確かに昔はそんなこともあったと思いますけど、そんなの20~30年前に終わっちゃってるはずなのです。

好きなことを突き詰めた結果、成績が良かったり立派な学歴を手に入れていたりすることはあるでしょうけどね。

どこに重心を置くか

学生は色々やることがあって忙しい、大変だなぁ、と思うこともあるでしょう。
まぁ卒業後のため、というか、その後の人生のために色々身に付けておかなきゃね、ってところなので仕方ないのです。

定型的な知識の習得、いわゆるお勉強はもちろん、実践的なスキルや、人生経験としても身に付けておくべき事は山ほどありますね。

そういったもの、どれも大事なのだけど、もっと重要なのは、というか、考えておくべき事は、どこに重心を置くかとか、習得するものの範囲とか組み合わせをどうするかとか、そういった切り口もあるってことです。

当たり前なことだけど、皆が同じように学んで、同じようなことを経験して、同じような仕上がりになったらどうなるのでしょう?

例えが悪いかもしれないけど、スマホだってパソコンだってクルマだって、皆同じだったら選択時に迷う必要は無いかもしれないけど、全く面白くないでしょう?
どれ選んだって同じだよ、ではね。

それに、会社はもちろん世の中は、人と違ったことができる人達が集めって、変わったこと、面白いこと、役に立つことをデッカくやるから発展したり価値を生み出したりするわけでね。
学生諸君は、就活なんかが気になると思うけど、言われたことばかりやって、平均的というか、皆と同じになっちゃうと、別にキミを選ぶ理由は無いわけですよ。
前職で入社試験の面接担当をやったときなんかは
「あぁ、コイツも似たような事を言うのだなぁ」
と思っちゃったものです。

本人は皆と同じなじゃないと不安なのでしょうけど、募集する側は皆と同じじゃ面白くないのですよ。

学校みたいに、皆が同じようなことを同じようにする単一の尺度でのみ評価をするシステムってのは、ハンドリングしたりフォローするのは楽で良いのです。
毎年同じ事を繰り返して、新しいことを考えたりチャレンジしたりしなくても良いからね。

だけど、それと引き換えになっているものが意外と大きいわけで、それが歪みとなって社会に影響を及ぼします。
何事もトレードオフですね。

企業が毎年同じことしてたら継続できないでしょう。
特に製品開発なんかは分かりやすいかもしれないけど、それじゃ新製品できませんもの。

というわけで、基本的な知識ってのは汎用性があって、色んな事に使えたりするので便利で大事なのだけど、人から言われた通りに、むやみに広げたり狭めたり、均一に習得するのではなく、自らゴールを設定して、それに適した重心を考えてやってみるのが良いのではないかな、と思うのです。

そうしないと、面白さとか強みとかは生まれませんからね。