答えはどこにある?

自分の外にある定型的なものを自分の答えとするか?
これは答えが決まっていて、記憶することを中心とした学校などの学びの場合。
それがうまくできれば「完璧」ということになります。

それとも自分で作っていくか?
これ、近年では
「答えの無い問題を問い続ける力」
とか言われて、教育の場では重要とか言われていたりすることですが、正直なところ全くピンときませんでした。
だって、そんなことを言いながら、正解はすでに決まっていたりする。
正解があるからこそ、それに対して点数が付けられるわけですから。
なので、そういった教育は現状のシステムでは無理なのです。

では、その「答えの無い問題を問い続ける力」とは一体何なのか?

実は最近までピンときませんでした。
でも、実は自分の足元にあったのですね。

開発なんかは最たるものです。
ゴールを定めても、達成方法、実現方法は決まっていない。
試行錯誤しながら形にしていって、ゴールに到達する。

なーんだ、仕事のことじゃんか!
新製品の開発なんて、まさにそのものです。

新しい製品なのだから、どうしたら良いかなんてやってみないと分からない。
試行錯誤のチャレンジをしながら形にしていく。

社会に出たらごく当たり前のことです。
ミッションは与えられたりするけど、達成方法は自由。
それ、能力って言って良いのだろうか?
常識じゃん!
でも、確かに授業では手に入りませんね。

この能力、定型的な学習をすればするほど手に入らなくなる気がします。
人にもよると思うけど、一般的には正解を探す定型的な学習の方法に嵌まると、視野が狭くなって、型破りで失敗のリスクがあることを避ける傾向になるでしょう。
だって定型的なやり方って、達成方法が決められているのだから。

自由な発想とチャレンジが無いとできないことを、それ無しでやるってのは無理。
両手を縛られて自由を奪われた状態でボクシングするようなもの。

キミがチャレンジングな開発者を目指すなら、型破りなチャレンジの中に面白さや突破口があるってことを知っておいた方が良いです。

最初から決められている完璧なものなんて、やっても面白くないし、別にキミがやる必要は無いわけです。
そういうのは、そのテが好きな人やAIに任せれば良いでしょう。
リスクや問題(テストの問題ではない)があるからチャレンジする意味や価値があるわけで、それをやらなければキミの存在意義は無いのです。

そういうことです。

でもまぁ、学校では言われたこともある程度やらないと困ったことになるので、バランスが重要ですけどね。

未来の話 ロボットの話

「未来」といったらどんな想像をしますか?

人工知能
自動操縦
空飛ぶクルマ
高速で移動する交通機関で結ばれた未来都市

そういったことはSFの世界から始まって、ずっと昔から夢見てきたことで、近年は徐々に実現してきています。
そう、人は夢見たことを実現しようとするのですね。

発展のキーワードは「夢」なのです。
希望であり想像力です。
想像力から創造するってことですね。

そして実現のためのツールが知識とかスキル。

それらのいずれか一方が欠けても実現は難しいでしょう。
まさにクルマの両輪のようなものです。

そう、それらの両方を成長させていく必要がある。
で、そのための環境に身を置くことが重要。

新しいものを創造して、ワクワクするような環境がとても重要になってくるはず。

これからは何が来るでしょう?

環境問題の解決?
それも重要なことですが、ワクワクするというより、我々の生存に関わる問題といった方が良いのでしょうか。
これについては色々な意見があって、喫緊の課題なのか、どの程度深刻なのかすら確定が難しい気がします。
いずれにせよ、無視するわけにはいきませんので、何をするにおいても心掛けるべき事なのでしょう。

それはそれとして、冒頭に挙げた未来のイメージですが、ロボットも忘れてはいけないものの一つでしょう。
SFの世界には必ず登場します。

現状では産業用ロボットなど、かなり実用化されてはいます。
人間の特定の働きに変わるものとか、人の能力の一部を強化して特定の働きをするものなどです。

しかし最近では、一般消費者も認識できる、人の役割に取って代わる、いかにもロボットといった感じで認識されるものが登場しそうな気配がありますね。
人間の姿形をした、いわゆるヒューマノイドタイプのロボットです。

産業用のロボットは、特定の働きをするので「専用機」といった感じですが、人の形や働きを模倣したヒューマノイドは、色々なことができる「汎用機」と言っても良いでしょう。

特定の仕事をさせるなら専用機の方が高効率ですが、人間に合わせた既存の環境で色々やらせるなら汎用機の方が効率が良いという考え方もあるでしょうね。
改めてロボットのための環境を作る必要がありませんから。

もちろん最近のヒューマノイドロボットには、成長著しいAIが組み合わされて使用され、今後は高度化していくでしょう。

今までは、我々が創造したものは、我々が使命を与え使役させてきましたが、そこから離れて自分の役割を自分で決めて行動できる「製品」がやってくるということになるのでしょうか。

そうなってくると、自ら判断し、自らを最適化していく超汎用機となっていくヒューマノイドは、我々人間とどういった関係を気付いていくのでしょう。
その環境での我々の役割は?価値は?

これは興味深いテーマです。

チャレンジャーの時代がやってくる

AIが登場したことにより、定型的な知識や理論の価値が低下する。
これは間違いないでしょう。
ここで言っているのは、あくまでも定型的なものです。
それらが必要なのは変わらないだろうけど。

で、理論などの「すでにあるもの」は容易に入手できる時代になっている。
ただ、それらを「利用する」のは別問題です。

やらなくても分かることの価値は急激に低下するはず。

であれば今後は
知ってるかどうか
ではなく
できるかどうか
の重要性がより高まってくるでしょう。

これは断言してしまって良いと思います。

必要なのは「新しいもの」
しかも、やらなくては分からないもの

別に発明じゃ無くても良いのです。
既存の理論を利用して、新しいものを創る
それ自体をチャレンジする
そういったことが重要になるはず。

チャレンジする
と、失敗する。
それと同時に分かることがある。

それを使って再度チャレンジする
と、さっきよりはマシになる。
また、それによって分かることがある。

またそれを使ってチャレンジする
と、もっとマシになる。

これを繰り返せば、どんどん良くなる。
途中でやめてしまったらそれまで。

チャレンジは大事です。
それを継続するのも大事です。