人生は無意識の結果だ

日頃の行動や考え方のほとんどは無意識にやっているわけで、我々の現状はそれらの結果に過ぎないわけです。

これはつまり、知識や資格や学歴など、立派なものをもっていたところで、それらをどう使うかは、ある程度は意識的にできるものの、全てというわけにはいかないどころか、ほとんど習慣によってハンドリングされるということ。
この習慣は価値観によるもの、と言っても良いかもしれません。

もちろん、立派な能力を持っているのは良いことでしょう。
でも、何事も使いようなのです。
どう使うかを習慣化しない限りは無意識によって自動的に駆動されます。

どうなるか予想がつかないというか、未来に対して確信が持てず、恐れる対象になってしまうと守りに入る。
守りに入ると、それに準じた対策を打つことになるのですが、確信を持てないことに対する対策ですから、一般論ベースで手数を打つことになるでしょう。

知識や資格や学歴などは、こうやってコレクションされていきます。
すると色々できるようになる錯覚を起こすのですが、実際には「やる」というプロセスが無いので、自信は得られません。
そしてこのループは延々と続く…

この状態を「選択肢が広がる」と言う人がいますが、客観的に状態を見る限り「発散している」状態です。

ゴールと価値観に基づく意識が入っていれば、結果は異なります。
「何のために」があると無いとは大違い。
極端なことを言うなら、「何のために」が無ければ、それは意味が無いということでもあるから。

例えば、レーシングカーを作るなんてのは分かりやすいかもしれません。
知識は重要ですが、知識が、それも一般的な知識があったところで何も起きません。
ただ動くものを作ったところでレースにはなりません。
一人では何もできません。

知識を得る方法
知識を使う方法・試す方法
問題を解決する方法
改善の方法
チームでゴールに到達する方法
などなど

そのプロセスで得たものは、あらゆるフィールドで役に立つはず。
もちろんそれはレーシングカーに限ったことでは無く、チームでものを作るコンペティション全てに言えることでしょう。

そういったことを4年も続けていれば、きっと価値観が、習慣が変わります。
それはその後の人生を形づくることになる。

というわけで、習慣が無意識の駆動力となって、全ての鍵を握っているのだなぁ
なんてことを、卒業生達、夢工房で頑張っている現役生達を見て思う今日この頃なのでした。