
学生は効率よく問題を解いて正解を得たい
そうでしょうそうでしょう。
自分が学生の頃を思い出してもそうだったかもしれない。
効率よく正解に近づくためには、余計なことはしたくない。
効率が良いってそういうこと。
すると何が起きるか
最初からいかにフォーカスをするかということになる。
つまり、視野を制限すると言うこと。
もちろん、余計なものが目に入らないように。
しかし!
そのアプローチには問題がある。
視野を制限すると言うことは、考える対象の要素は最小限になっているということ。
正解を探すなら、どんどん絞っていって、正解にたどり着くイメージでしょう。
でも、その絞った視野の中の最小限の要素を検討対象にすると何が起きるか?
そもそもの比較対象が少ないため、選定したベストと思われるものはショボかったりする。
まぁそれは良いでしょう。
本当は良くないけど。
でも、成長過程においては、もっと大きな問題がある。
そもそも経験の数が少ないため、後に活かすことができない。
これが最大の問題だと思う。
過去の自分を振り返っても思うことだけど、若いうちは楽したいという欲望が強いので、効率を求めれば求めるほど、後に使える引き出しの少なくなるという、効率の良くない成長期を過ごすことになりがち。なんという皮肉。
自分の場合は、残念なことに高効率を達成できるほど出来が良くなかったので、幸か不幸かその時は無駄と思える余計な経験が沢山できて、引き出しはそれなりに増えた気がする。
そういった経験を重ねているときは、そんなものが後に役立つなんて思いもしなかったけど。
今にして思うと、無駄な経験って無いもんだなぁ、と思う。
楽しそうだけど、やってみたらしんどかったとか、ヘマばかりしたとか
理不尽とか恐怖を感じるとか
その時はポジティブな感覚は得られたり得られなかったり色々だったのだけど、その全ての経験が今の自分を作っているわけで、構成要素が少なかったらつまらない人生になっていたろうな、と思う。
スティーブ・ジョブズが言ってた「点と点が繋がる」ってこういうことなんだね。なるほど。
とはいえ、こんなことを学生達に言ったところで、果たしてどれくらい伝わるのだろうか?
ほとんど伝わらないだろうなぁ
とは思うのだけど、それをやるのが年長者の役割なのでしょうね。