理想のお話し

「人は願ったとおりになる」と言いますが、これはある意味真実だと思っています。
ちょっと思ったくらいじゃどうにもなりませんけどね。

本気で願って、それが行動に繋がれば、大抵のことは何とかなると思うのです。
あと、意識レベルではなく、無意識、つまり習慣となっていることも大きく効いていますので、これまた重要です。
で、思いの強さや、それによる行動を起こすタイミングの早遅が結果を決める。

なのでまず、願う対象である理想ありきということになりますが、この「理想」とは一体何なのか?

もちろん、理想とは未来のことですから、「現在は無いもの」です。
現在は無いのであれば、事実として存在しないものなので、正解として確定したものではない。

そう、今の学校では教えられないことです。
学校とは言わず、今の社会では理想を掲げることに対して、何か抵抗があるようにすら思います。そんな気がしませんか?

特に、現状に対して理想のギャップが大きいと否定されたり、そのギャップをうまく埋められないと非難されたり、そうなることへの恐怖をあらかじめ回避することが行動原理となっている気さえします。

現在は存在しない理想を手に入れようとうするのはチャレンジです。
チャレンジができないのであれば、現状を変えることはできません。

理想って大事です。

人の価値

何かしら価値ある人になりたいですよね。

どんな価値?
どれくらい?
誰にとって?
とかありますが。

仕事なんて最低限にやって楽して暮らしたい
なんて思うのも自由なわけですが…

それ、外から見たら
別にいなくてもいい人
ですよね。

結局、人の価値なんてのは自分では決められないわけです。
「あぁ、アイツがいてくれて良かったなぁ」
とか、そういうことですよね。簡単に言うと。

特にエンジニアなんてのは分かりやすくて、まさにそこでしょう。
エンジニアじゃなくても同じかとは思いますが。

となると話は簡単で、人がやりたがらないこととか、できないことができると良いわけですよ。でしょ?

皆がやっていることをやっていて、その中で相対的に優秀だってのも確かに価値なんでしょうけど、独自性とか希少性とかも価値です。

そういうのって世には色々あるのだけど、学校なんかだと
「それは難しいこと(学術的に難易度が高いこと)ができることだ!」
みたいに、単一の物差しを用意しようとするのですよね。
まぁ確かにそれは分かりやすいところだろうし、評価しやすいってのはあるのでしょうけど。

でも、実はそんなのは他にも沢山あるわけで、例えば「勇気を持ってチャレンジする」なんてのは最たるものなわけですよ。
「すぐやる」とか「人がやらないことや、できないことをやる」とか「諦めずに続ける」とかね。

でもそういうのって点数にならないからなぁ。

でもね、そもそも在学中の点数って、何の役に立つんでしょうね?
自信が持てたりはするでしょうし、心の支えになったり、何かに一所懸命取り組んだ証拠みたいにはなるかもしれませんね。

まさかそれで将来の重要な何かが決まるとでも??

誤解のないように言っておきますが、知識は大事だと思います。
それが使えるのなら。

使いもしない知識を得ることに膨大な時間とか労力を使うのは無駄なんじゃないかな。
無駄ってのは言いすぎかもしれないけど、皆がそうじゃなくても良いと思うんですよ。
そんなヒマがあるなら、やりたいことを一所懸命やって、ぶち抜けちゃえば強力な価値を得られるんですけどね。

こんな考え方をするのは、自分が劣等生だったからなんでしょうね。
まぁ、色んなやり方があるってのは確かです。

うまくいくための方法 教育ということであれば

じゃぁ結局、どうしたら良いのでしょう。
「やらせる」と「やりたくなくなる」のでしょう?

じゃぁ、やらせなけりゃいいんですよ。

やることを指示されて従うのが好みであれば、今のスタイルの学校がピッタリでしょう。
恐らく多くはそっちが好みでしょう。教わる方も教える方も。

「言われたことをやるだけなら、AIとガチンコ勝負になっちゃうぜ」
ということなのですが、多くはそうしたいのだと思います。
それは今の学校の現状を見れば分かるでしょう。
それに、言ったことをやってくれる人材は、これまで必要だったわけだし、これからも必要です。AIや機械が全部やってくれるわけでもないので。

なので、それとは別に、主体性を持って、やりたいことをひたすらやれる学校があっても良いと思います。

現状みたいに、文系とか理系とか、機械とか情報とか、分野で分けるだけではなく、やり方で分けてみても良いんじゃないかと思うのです。

本当にやりたいことがある人間と、やらされたい人間を混ぜた環境はイカンと思います。
人は楽チンな方に引っ張られますから。

やりたいことを明確化して、やると決めたなら、そこにはリソースを投入する価値はあります。

言われたことができるようになったり、言われたことを覚えるのも教育でしょうけど、言われてもいないことができるようになる教育も必要だと思います…というか、絶対に必要です。
より高次な価値はそこにあるでしょう。

商品だって同じことで、お客さんが望むものには価値がありますが、お客さんが思いもしなかったものを提案するところに、より高い価値があります。

そもそも、大学の進学率が高止まりしたのであれば、違う形態が必要な時期が来たってことだと思うのですよね。

新しい学術分野が…とか何とかと言ったところで、「やらせる」のであれば結果は大して変わらないというか、同じことの繰り返しになるだけでしょう。違いますかね。

実は、やりたいことをひたすらやれる学校は、すでにあります。
日本の学校ではないし、分野が限定的ですが。
よく調べたわけではないので、日本にもあるのかもしれませんけど。

で、皆がそういうところに行きたがるかというとそんなことはなくて、やはりいわゆる有名どころの学校に行って、やるべきことを言われて、それをやるというやり方を多くが望みます。

それが良いのだとか悪いのだという話ではなくて、恐らく世が望むバランスとはかけ離れているのが現状だろうと思うのです。

で、ついでに言うなら、こういったことは優劣の問題ではなく、単に自分の役割を自分で決めているだけの話だと思っています。