じゃぁ結局、どうしたら良いのでしょう。
「やらせる」と「やりたくなくなる」のでしょう?
じゃぁ、やらせなけりゃいいんですよ。
やることを指示されて従うのが好みであれば、今のスタイルの学校がピッタリでしょう。
恐らく多くはそっちが好みでしょう。教わる方も教える方も。
「言われたことをやるだけなら、AIとガチンコ勝負になっちゃうぜ」
ということなのですが、多くはそうしたいのだと思います。
それは今の学校の現状を見れば分かるでしょう。
それに、言ったことをやってくれる人材は、これまで必要だったわけだし、これからも必要です。AIや機械が全部やってくれるわけでもないので。
なので、それとは別に、主体性を持って、やりたいことをひたすらやれる学校があっても良いと思います。
現状みたいに、文系とか理系とか、機械とか情報とか、分野で分けるだけではなく、やり方で分けてみても良いんじゃないかと思うのです。
本当にやりたいことがある人間と、やらされたい人間を混ぜた環境はイカンと思います。
人は楽チンな方に引っ張られますから。
やりたいことを明確化して、やると決めたなら、そこにはリソースを投入する価値はあります。
言われたことができるようになったり、言われたことを覚えるのも教育でしょうけど、言われてもいないことができるようになる教育も必要だと思います…というか、絶対に必要です。
より高次な価値はそこにあるでしょう。
商品だって同じことで、お客さんが望むものには価値がありますが、お客さんが思いもしなかったものを提案するところに、より高い価値があります。
そもそも、大学の進学率が高止まりしたのであれば、違う形態が必要な時期が来たってことだと思うのですよね。
新しい学術分野が…とか何とかと言ったところで、「やらせる」のであれば結果は大して変わらないというか、同じことの繰り返しになるだけでしょう。違いますかね。
実は、やりたいことをひたすらやれる学校は、すでにあります。
日本の学校ではないし、分野が限定的ですが。
よく調べたわけではないので、日本にもあるのかもしれませんけど。
で、皆がそういうところに行きたがるかというとそんなことはなくて、やはりいわゆる有名どころの学校に行って、やるべきことを言われて、それをやるというやり方を多くが望みます。
それが良いのだとか悪いのだという話ではなくて、恐らく世が望むバランスとはかけ離れているのが現状だろうと思うのです。
で、ついでに言うなら、こういったことは優劣の問題ではなく、単に自分の役割を自分で決めているだけの話だと思っています。