自由って面倒くさいもの

我々年長者は、未来のために若年者の成長に手を貸す必要があります。
色んなアプローチや、色んな関係があるでしょうけど、それは確かでしょう。
だって、そうしないと未来はお先真っ暗になりますから。

教育期間は教育する相手のためにあります。当然です。
この「教育」って一体何でしょう?
「教え」「育む」ですか。そうですね。

それは一体どういうことですか?
「言って」「やらせる」ことですか?
そういうのも当然あるでしょう。

そんなことばかりだと、単に「他人をコントロールしたい」ってことなってるのではないかな?と思うことがあります。良くあります。
学校の先生に限らず、「親心」なんてのはそういうのが多分に含まれているのではないかな、とも思います。

まぁ、若年者をコントロールするというのも、多少は必要かと思いますが、そればかりじゃ未来は困ったことになります。

どういうことかというと、私みたいに大したことがない教員に教育されると、学生は、もっと大したことがない人間になってしまいます。
だって、知ってることを伝えてやらせるのだからそうなるでしょう。
その伝達がうまく行かなければ、成果はどんどん劣化していきます。

そんなの当たり前じゃないかと思うなかれ。
学生達の本来のパフォーマンスは、そんなもんじゃありません。

学校は、単に教え伝える場とは限りません。
彼らにチャンスを与える場であるべきです。
それはもう色んな意味、色んな形の。

気付は20年以上も、ものを作る学生達に付き合ってきたわけですが、彼らが自由の意味を理解して頑張ると、想像以上の力を発揮するのを見てきました。

ただ、近年では、「言われたことをやる」という前提が強固な壁となっている気がしているのです。
それが彼らの本来のパフォーマンスを発揮するのを妨げているように感じます。

言ったことをやらせて学生達をコントロールするという前提であれば、この状況は大変楽チンで良いことです。面倒がありませんから。
でもそれでは、学生が思いもしなかったパフォーマンスを発揮することはありません。

彼らに自由を与えてチャレンジさせたら凄いことになるのは分かっています。
でも、それをやると面倒なんですよね、きっと。双方にとって。

面倒なのをぶち破るなんてのは、単純なことなんだけど、思いのほか難しいんですよ。
だって、我々は面倒が無くなる未来を夢見てきたはずだし。

最近の傾向を踏まえた戦略

コロナ禍は、ほぼ落ち着いた…と思ってますが、どうでしょう。
現状では、まだそうは言い切れないのかもしれませんが、遅かれ早かれ落ち着くときが来るのは間違いないでしょう。

学校に勤める身として気になるのは、このコロナ自粛期間の影響が学生達にどのような影響を及ぼしているのか?彼らはどうなっちゃっているのか?ということです。

それはもう、環境によってそれぞれなのだとは思いますが、色んな所からの情報を得て、何となく全体的な傾向は掴めているとは思っています。

で、一体どうなっているのでしょう。

コロナ禍前には、全体的に大人しく真面目な傾向になっているな、と感じていました。
恐らく、親も先生も扱いやすく、管理しやすくなっているな、と。
これ、あまり良い傾向だとは思っていませんでしたが。

そしてコロナ自粛がやってきて、その傾向がますます強まった気がしています。
ますます大人しくなった。

オンライン授業やら、諸々の自粛によって、コミュニケーションスキルが低下して、受け身で守りに入る傾向で、そもそも経験の数が増やせませんでした。

そりゃ仕方ないと思います。
これは学生に限ったことでは無いでしょうけど。

行動を抑制される時期が続けば、基本的には抑制された状態が習慣化してしまうでしょう。それが3年とか4年も続いたのですから当然です。
もちろん、その反動が出ることもあるでしょうけど、全体で見れば大したことはありません。

こういった状態は、あまり好ましいことではありません。
こと、開発職を目指して頑張るような環境では大問題です。というか、ものを作る環境で、皆が受け身で守りに入るってのは致命的です。

で、これは確かに問題ではあるのですが、以前から言っているようにチャンスでもあります。
ただし、そこに気付いている者だけにとってですが。

差別化とか希少性とか、そういったアドバンテージを作ると、相対的に優位性を作りやすいからです。
ただし、実際にやるとなると、身に付いてしまった習慣を破っていく必要があるので、勇気とかモチベーションとかは必要になりますが、裏を返せば、今まで高い評価を得てきたいわゆる優等生の持っていた価値が低下して、アクティブなヤツが大きな優位性を得られるチャンスだと言うことです。

これは、ウチだけが抜け駆け的にうまいことやっちゃおう、と考えているわけではなく…いや、ちょっと考えていますが、これからはそういった人材が求められるのは、ほぼ間違いないでしょう、ということです。

だって、そういう人材は常に必要なのに、今は極めて少なくなっているはずなのですから。
なので、うまいことそういう流れを作れれば、多くのチャンスを得られる可能性が高いわけです。

重要なキーワードは何でしょう。
スピードとか、パワーとか、粘り強さとかですかね。あと、広い視野とか高い視座。
シンプルで泥臭くて当たり前かもしれませんが、恐らくその辺はコロナ禍の自粛環境下で抑制されたり、求められなかったりしたものなので、多くが失っているはずです。

これらが外れていても責任は取れませんが、いずれにせよ、そういったことは時代を問わず重要なことです。今は特にそれが求められていると思います。

理想はどこにある

我欲を満たすための理想を設定するのは結構ですが、そこで終わってしまったら面白くないというか、小さいのです。
広がりが無くて先が無い。

では、何を理想とすべきか?

そんなのは人それぞれなのですが、価値ある理想とは一体どんなものかというのは結構シンプルです。

それは、他から見て価値があるかどうか。
つまり、利他的なものになっているかどうかでしょう。
簡単な言い方をするなら、自分以外にどれだけの人がハッピーになるか、です。

ものを作ると良く分かるのですが、相応の審美眼を持っているのであれば、できたものに対して客観的な評価ができます。

ですが、ビギナーにありがちなのは、自分以外からどう見えるか、という視点が無くて「単にやった」とか「こうなっちゃった」みたいなことになりがちです。
せいぜい「前よりは良いよね」くらいなもの。

たぶんそれは、理想無しでやったから。

できたものが理想に対して相対的な評価がされていないので、良いも悪いも無いのです。
というか、少なくとも良くはない。

残念ながら、理想無しでは何回やっても大して変わりません。
誰も喜ばないようなことを何回やっても面白くはなりません。

恐らく最近は、そういう傾向が強くなっているような気がします。
言われたことばかりやっているから理想が必要無いのかもしれません。

学校の成績とか学歴が、仕事ができるかどうとイコールではないってのは、そういうことでもあるのでしょうね。

じゃ、どうしたらいいのか?

個人的には、シンプルだけど勇気が要るやりかたをやるしかないと思っています。
それをやってみたら道が見えるかもしれない。
ダメなら、その時はその時ですよ。

一番危険なのは、理想を人任せにしたり、責任を他に押しつけたりってことだと思っています。
それをやると、自分が無くなっちゃいますから。