うまくいくための方法 「やる」について

今回は「やる」についてです。
ザックリで極端な話ですが、何が問題なのか考えてみました。

前回の「考える」も、「やる」のためで、「うまくいく」ってのは、結局は「やる」ことによる結果が、望みに沿ったものになるかどうかということです。

「考える」からスタートして、「やる」ことによる成果を得るまでは、色々あるわけですが、ここで肝になってくるのは、何を重視するかという優先度。プライオリティってヤツです。

なぜ「やる」のかというと、結果が欲しいからなのですが、多くの場合は、それに掛ける労力などと秤に掛けます。
そして、どのようなバランスにするかは個人の価値観によるといったところでしょう。

優先度もヘッタクレもなく、厳然として存在する時間という存在、つまり「締め切り」もあります。
これは他から課された締め切りだったり、自分で設定したタイミングだったり、はたまた人生という逃れようのない時間的な限界(残りがどれくらいあるか分からないですが、若いうちは気にしません)だったりします。

とまぁ、こんな感じで、優先度、結果と労力のバランス、時間的な限界、それら中でどのように「やる」かを決めるということになるのでしょうね。

とはいうものの、そういったことを決めていくにしても、前提としてすごく大事なことがあります。それは熱意、パッションです。望みを叶えるための原動力になるものです。

で、これもまた厄介で、現状に不満が無ければ理想なんて無いわけで…逆もしかりで、高い理想が無ければ不満も無い、ということにもなります。

平和で、安心安全で、生きることに困難や問題を感じない環境であれば、別に今のままでも良いというか、むしろ今のままが良かったりするわけで、そんな状態であれば手詰まりです。始まる前に終わっています。

学校の場合、その状態に対して「やる」というタスクを課すわけですが、そうなるとそれは「やる」ではなく、「やらされる」になります。

「やらされる」になった途端、欲しいものは「成果」から「課された負荷の低減」に変わります。
なので当然ながら、そのための行動をとります。パッションは萎みます。

とても残念なのは、このようなルーチンを繰り返してくると、それが習慣になっているので、自発的に「やる」べきものに対して、「やらされる」ときと同じ行動をとってしまうということです。それも無意識に。

結局は「やる」がうまくいかないのも環境の影響が大きいですよね。
では、それは悪い環境なのかといえば、平和で安心安全で不満が無いのだから、悪いはずは無くて、何か皮肉だなぁと思うのです。