心の力を鍛えるには

何か行動を起こすとき

「心の力」みたいのが効いてきます。
勇気なんかもそういうものでしょう。
というか、勇気とイコールかもしれませんが。

単に朝起きる時だってそうでしょう。
快適に寝ている状態から
何かのために状態を変化させなければならない。
小さな勇気みたいなものが必要です。

生存本能に従ったり
生理的な欲求を満たすためだったり
そういうときは自然に行動するので
そういうのは必要ありませんけどね。

これを鍛えるにはどうしたら良いのでしょうね。

心の力を使えば何か良いことが起きる
と分かっているなら発動するでしょう。

でも
分かっていなければ発動する理由はありません。

とはいえ
知識だけではどうにもならないことも多くて
分かっていたってできないかもしれません。

その辺を形づくるに当たっては
成長過程での経験が効いてくるのは間違いないと思います。
実体験で行動と結果の関係を身をもって知る
そんなことが大事なのでしょう。

そういう経験が
思考とか心の形みたいのを形成していく
なんてのは常識でしょうけど。

さて、では
成長過程とはどんな時期なのか
それはいつなのか
それが問題です。

幼少期の経験が大きく効いてくるのは当然でしょうけど

これ、たぶん
自分で決められます。

だって、年齢が低くても頑固に変わらないこともあるし
お年を召した方だって、凄く柔軟な発想を持っている方もいますから。
おっと、「柔軟な思考」というのは良いキーワードですね。

柔軟性を持つということは
変化を許容するということなので
成長そのものですね。

柔軟に変化するって
軟弱で弱いようなイメージがありますけど
たぶん逆です。
変化するには勇気が必要ですから。

反対に頑固と聞くと
強固で強いイメージがありますけど
これも逆で
変化する勇気が無いというケースも多いかと。

信じたものに対して
信念を持って臨む
のような場合はちょっと違ってくると思いますが。

いずれにせよ
基本は「心の力」みたいなものではないかな
なんて思うのです。

それは
自分はどうありたいかを考えて
それを実行するかどうかによって決まる
そんなところではないかな。

考え方が逆 考えと行動編

「何のために?」
とか考える時点で
それは未来の何かのためなわけですね。

なのに
「今、自分が安心するために」
のようなことをやると
大抵はうまくいかないんだよなぁ
なんて考えてました。

そりゃそうですよ。

やることが
短期的なことだったり
自分のためだったり
ショートスパンで内的な
最小限のことばかりやっていても
そこに幸せはやってこないのですね。

というか
そういうのって
必ず後になって
それに見合った結果を得ます。

良く言われることですが
「種まき」
みたいなものですよ。

播いた種に見合った花が咲く
のようなことが言われますよね。

なので
短期的に利己的なことをやってたりすると
必ず相応の結果を得ることになります。

逆に
他のためにしんどいことをやっていれば
必ず相応の結果が得られます。
即効性は無いでしょうけど。

手前のちっちゃいことでははく
遠くの、でっかいことから考えましょう
ということです。

これは経験上実感してます。
ある程度年齢がいった人なら
みな感じていることだと思いますけど。

私はそもそもそんなに優秀ではないので
前職では、色々うまくいかないこともありました。

そういう時は
「今頑張っておけば、この後必ず良いことがある」
と思っていましたね。
「神様に試されているぞ」
って。

まぁそう思わないとやってられない
というのもありましたけど
そう思えば少しはポジティブになれますよ。

失敗に打ちのめされたり
調子悪かったりしたときに
暗い顔、暗い声で
良いことが起きるわけ無いじゃないですか。

調子悪い人は
「調子が悪いのだから
暗い顔、暗い声なのは当たり前だ」
と思っているかもしれませんが
それがますます情況を悪化させる
ということに気付いていません。

ま、こういうのも
かつて先輩方から教えられて
やってみて実感したことなのですけどね。

「あの人は、実力があって
うまくいっているからポジティブなんだ」
なんて思いがちですが
それは勘違いで

ポジティブだからうまくいくのですよ。
これまた順番が逆ですな。

夢と目標の関係

夢が無い人って、夢と目標が別だったりしませんか?

幼稚な子供じみた非現実的な希望が夢で
現実的な希望が目標とか

もしそんなふうに考えているなら
「夢は何?」って聞かれても
簡単には答えられなかったりするでしょう。

どうでしょう?違ってますか?

夢と目標は別ではなくて…

夢とかビジョンとか
抽象的でボンヤリしたものが上位にあって
それに具体性を持たせて落とし込んで
達成するための目標とか
そのための手段とか
下位に行くにしたがって
より短期的で具体的になっていく
という構造です。

夢の具体化のために目標が必要なのであって
それらを分けて考えるのではなく
同一線上に乗っているということです。

レベルの低い無難な目標を立てると
「現実的だ」と言って褒める人がいるけど
それは自分の想像の範囲内でコントロールできるから
安心して喜んでいるだけ。

高い目標にチャレンジして
失敗したところで何も損はしません。

それをあたかも損をしているような
そんな捉え方をする価値観に感染してはいけません。
それが元でビビっちゃっていたら
チャレンジなんてできないでしょう。
その結果、価値を生み出すことができなくなります。

そもそも
レベルの低い無難な目標の到達ばかり繰り返していて
そのうち大きな目標にチャレンジできるようになるのでしょうか?
どうもそうは思えません。

デカいことを言う(やる)前に
まずは堅実に…
というのが良くある話だと思いますが
それって本当に順当なアプローチなのですか?
どうもそうは思えません。

最初はそういうのが順当なやり方のような気がしますが
そんなのを繰り返していると習慣化します。

習慣になっちゃったら
意識の外側の問題ですので
もう自分からは見えません。
自動実行の対象です。
意識しなくても
それが自動的に繰り返されていきます。

すると未来はどうなるか?

全然無難じゃなくなりますね。
皮肉ですが、そういうことです。