文句の問題 自分の外では

前回の続きです。

どうして文句を言うのでしょうか?

何か気に入らないことがあるからですね。

それは相手に対して直接だったり
もしくは、直接ではなかったりもします。

では、一体何のために?
これが問題です。

まず最初のケース
文句とは言うものの
直接的かつ具体的な相手に対する働きかけであれば
何かが良くなるかもしれません。

どのように働きかけるとか
スキルや経験やマインドが
時としてはチームワークなどが
ものをいう部分ですね。

双方、共通のゴールに向かっていて
そのための手段などで食い違いがあったりする場合は
どんどん言い合えば良いと思います。
こういうのは健全なのでOKです。

まぁ「文句」に見えるような言い方はどうかな
とも思いますが
アウトプットができているなら上等です。

コミュニケーションの質は
回数を重ねて磨いていけば良いでしょう。

さて、次に
直接相手に言わない文句ですが
これが問題です。

「愚痴」ってヤツですね。

参考までに
そもそも愚痴とは、仏教用語で
「愚かなこと」や「心の迷い」をいうそうです。

さて、愚痴は一体何のためなのでしょうか?

仕事や授業や対人関係
政治問題やら事件やらスキャンダルやら

色々と愚痴を言うのは何のためなのでしょうか?

たぶん、問題を本気で解決したいわけではなさそうです。
だって言うだけでしょう?
しかも当事者に向けてではなく。

解決に向けて具体的に動くわけでは無いので
事態は何ら変わりません。

愚痴はストレス発散になるでしょうか?

一時的なガス抜きにはなるかもしれません。

でも、ストレスの根源は解消されないわけなので
一時的に圧力が発散しているだけで
また同じような状態になるでしょう。

愚痴を言っても不毛なのですよ。
それで何か良いことが起きるわけでなし。

聞く方は、それに対して
何かができるわけでもなかったりします。

せいぜい共感したり同情したり
そんなものでしょう。

ネット社会では
不満をSNSにぶちまけるようなこともあるでしょう。

言う方は一時的に気持ち良かったりするのかもしれませんが

それを聞く方は
明るく前向きな気持ちになることはありません。
なので愚痴を言うということは
自分がネガティブな環境を作っているということもお忘れなく。

というわけで
愚痴は誰も得をしないのです。

今回の結論は…

愚痴の根源には
怒りとか不安とかがあるのでしょうけど
それを圧縮して圧力を高めたり
他に放出したり
そんなことにエネルギーを使わずに

「何かちょっとでも自分にできることはないかな」
と考えて、行動してみてはいかがかな?
と思うのですよ。

ネガティブなエネルギーを
ポジティブ側に変換してみましょう。

具体的に問題解決に動いてみるのも良いですが
愚痴の対象とは違うことでも良いのです。

怒りや不安の対象からフォーカスを外すのは
結構難しいことなのですが

他人に親切にしてあげるとか
仲間を助けるとか
明るく振る舞うとか
寄付をするなんてのも良いと思います。

そんなことでも世の中がちょっとだけ良くなりますよ。
絶対です。