コロナ禍の環境下では、考えていなかったのではないか?
「反応」はしていただろうけど
それは思考停止だな。
なんてことを考えていました。
これ、学生に対して思うことでもあり、もちろん「果たして自分はどうだったのだろう」なんて省みたりもしているわけですが。
この思考停止状態は、全く頭を使っていない状態を指しているわけではありません。
自分発で、何のために、何を、どうする?
みたいなことを考えていたか?そうじゃなかっただろう?
ということです。
これ、比較対象があると分かりやすくなります。
何かを言われたり、何かが起きたりすることに対して反応する
なんてことです。
「言われたから、やった」
「そういう立ち位置にいたから、やった」
みたいなこと。今回、これを思考停止と考えています。
もちろんその時に、全く頭を使わないなんてことは無いでしょう。
でも、対応はかなり「反射」的になる可能性があります。
「言われたから、やる」
そんな時、あまり頭は使いませんよね。
恐らくそうなった場合の行動の内容は、最低限で最小限だったりすると思いますが、恐らくそれは本人の意識に昇ってこないのではないかなぁ。
要は、思考停止に陥っていることすら気付かない。
でも、ある程度は仕方ない気もするのです。
だって毎日、TVやらPCやら、画面を見て情報を受け止めるばかりの日々を過ごしていたわけですから。しかも年単位ですよ。
そりゃぁ、出された問題を解いたり、そういうリアクションはしていたとは思いますが、それってやはり単なる反応的な処理ですよね。
それが習慣になって、ちょっと大げさですが、それが生き方みたいになっちゃうのではないかな。
で、これは本人も気付いていなかったりして。
だって、それが今や普通だったりするわけですから。
だとしたら、指摘したところで入っていかない。響かない。
そんなことにもなるでしょう。
じゃぁ、どうする?
と、これ、クヨクヨ心配して悩んでいるわけじゃなくて、シミュレーションの一環のようなものなのです。
「…こんな可能性がある。だとしたら、どんな戦略を展開するべきだろうか?」
というミッションを検討するわけです。
そんな風に考えた戦略は、色んな対象に対して有効だろうな、なんて考えているのですよ。