与えられたら掴めなくなる

まぁ、これまた極端なタイトルかもしれませんが。

何が言いたいかというと、安全で平和で恵まれた環境で、色々と用意されたものを与えられていたら、自ら掴みに行こうなんて思わなくなりますよね。
ということなのです。

言ってみれば、恵まれすぎた国のダークサイドってとこでしょうか。
贅沢な悩みですが、何事にも多面性があるということでしょうか。
盛者必衰ということか。

同じ先進国でも、清濁ともに抱え込んじゃってる国なんかは、やりたいことをやるにはハングリーさが求められるわけですが…本当のところは我が国も同様なのですけど、どうも、そうはなっていないように感じます。

我が国の場合は、あまりに環境が整いすぎているというか、「勉強ができれば開発の仕事ができる」とか、何を夢の国みたいな嘘を言ってやがる、と言いたくなるような状況になっています。

だって、その理屈おかしいんですよ。

言われたことをやっていれば、言われてもいないことができるようになる
みたいな変な話しです。

勉強して得られる知識は大事です。何度も言ってますが。
でも、その知識を駆動するマインドとかパッションも無しに仕事になるんですか?という話しです。
まぁ、中にはうまくいく人もいますが。

ウチの研究室を出て、介護の会社の社長をやってる卒業生が言ってました。

「年寄り殺すの簡単ですよ。どうしたらいいと思います?
ぜーんぶやってあげるんですよ。何からなにまで。
そうしたらすぐ死んじゃいます」

うむ。なるほど。
教育も一緒で、何から何まで、お膳立てしておいて、ぜーんぶ与えてあげると…
自力では何も掴めなくなるでしょうね。

ただ、これにもポイントがあって、与えられるものに対して感謝できるマインドを持っていれば話は違ってくるかな、とも思っています。

「ありがとうって言え!」
ということじゃないですよ。

得たものに対して感謝できるなら、その気持ちは行動になってアウトプットされて、それが新たな価値を作っていくでしょう。
結局は、道徳観の問題なのかな。

でも、当たり前に存在しているものに感謝はできませんわな。
いやぁ、難しいな。でも、何とかしたい。

そのためには、やっぱり面白いことにチャレンジしないとね。

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