今日、大学内をてくてく歩いているときに思いました。
「何で日本は幸福度低いんだろ?」
「そもそも幸福って何なんだ?」
別に何か辛いことがあったわけではないですよ。
ご心配なく。
急に思っちゃったんです。
そういうことありませんか?
幸せって何だろうね?
ってこんなこと急に言い出したら気持ち悪いでしょうか。
気持ち悪いかもね(笑)
でも、何か解決策ないかな
と思っちゃいました。
で、こんなことを考えてました。
お金があったら幸せ?
そんなこと無いですよね。
だって、宝くじで「億」当てた人って
多くが人生破綻しちゃってるんでしょう?
同様に
何かいい物
欲しい物を手に入れる
ってのも違うな。
たぶん
何か「物質」を「もらう」ってことじゃないですね。
じゃ、逆はどうだ
「物質じゃないもの」を「あげる」
だ!
これ、当たってるかも!
いえね、最近改めて試してみたことがあるんですよ。
お店に行ったときに
挨拶して
ありがとうございます
って言うのを
改めてちゃんとやってみてるんです。
子供が元気よく言うように
バーン!!って言う訳じゃないけどね(笑)
いや、いずれそうやった方がいいのか?
飲食店ではずっと前からやってました。
相手が
日本人でも台湾人でもパキスタン人でもネパール人でも中国人でも。
それを
コンビニとかスーパーに行ったとき
もっとちゃんとやるように拡張しました。
前からもやってましたけど
それをもっとちゃんとやるようにしました。
するとね
やっぱり、お店の人嬉しそうなんですよね。
そりゃそうだよね。
ウチの工房の学生達と食事に行くと
奴らは帰りがけにお店の人に言います。
当たり前のように
「ごちそうさまでした!おいしかったです!」
やっぱりお店の人は嬉しそうですね。
そりゃそうでしょう。
で、お店の人はその後どうするでしょう。
きっと元気になって頑張ってくれると思うんですよ。
我々が次回行ったときにサービスしてくれることもあるけど
別にそれは期待してたわけじゃありません(笑)
元気になって頑張るお店の人にサービスを受けた
他のお客さんも喜べば…
おぉ、これは価値が循環しているってことだぞ!
この場合の価値は
相手の存在意義、存在価値です。
価値を認められたときって幸せですよね。
だとすると
そうか!
ひょっとすると
価値の根源は
幸福の根源は
ありがとう!か!
ありがとうって言うことか!
ってことに気付いてきました。
でも
こういうこと考えてる人
いっぱいいるんだと思います。
そんなこと当たり前だろう!
っていう人、いっぱいいるでしょうね。
そんなことないですか?
私は今頃気付いちゃいましたよ。
ところで
幸福感が高いと
誰かのためのことをやろうとするでしょう?
幸福感が低いと
誰かのためのことなんてやろうと思わないですよね。
じゃ、幸福感が高まるまで
人のためのことをやろうとしないの?
誰かが幸福感をくれるとか
そのうち幸福感に満ちあふれてくるとか
そうなるまで待ってるの?
それは待ってても来ませんよね。
やろうとしなければできるようにならない
けど
やろうと思ったらいつでもできる。
できるようになったらやろうなんて
思ったりするけど
そんなことはありえない!
面倒でもいいからやろうぜ!
ダメでもいいからやろうぜ!
だって、やらないとできるようにならないんだよ。
裏を返せば
やってれば、できるようになっちゃうんだよ。
とかね。
こういうの、ある程度歳いってから気付くんだな。
「あー、もっと早く気付いていれば
もうちょっとマシな人間になっていたかもしれん!」
とか思ったりもするけど
そんなことはあり得ない。
だって、気付くまで経験を積むプロセスが必要だったから。
なので、こういう話を若い世代に伝えているけど
100%伝わるとは思っていない。
そもそも彼ら
そういうことを本当に必要と思っていないかもしれないもんね。
せいぜい
「無くても困らないけど、あるとちょっぴり得する情報」
みたいな感じ?
でも、それでもいいんです。
話したことの1%でも伝わって
そのうちいつか、それを思い出したりして
で、試しにちょっとだけやってみたりして
それで彼らが
誰かをほんのちょっとだけでもハッピーにしてくれたら目的達成だ!
ほんとはみんながいっぱいやってくれると嬉しいんだけどね。